著者
高島 敦
出版者
奈良大学大学院
雑誌
奈良大学大学院研究年報 (ISSN:13420453)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.174-178, 2008-03

我が国において古墳墳時代には、その名が示すように約350年もの間にわたって、汎列島的に高塚墳墓がこぞって築造された。このような現象は何も我が国だけにあらず、中国・朝鮮などの東アジア諸国、さらにはエジプトのピラミッドなどのように世界各地でみられるものであり、それは国家形成初期段階に共通してみられる現象、すなわち人類の歴史過程の一端として捉えられるのである。その一方で、日本の古墳は他と比べ異彩ともいうべき特色が著しくみられる。例えば、墳丘形態にあっては前方後円墳・前方後方墳・帆立貝式古墳・円墳・方墳など実に様々な形態がみられるし、墳丘上には人物・器財・動物などを象った素焼きの土製品の埴輪が樹立されるなど、いずれも日本独自の行為である。それらは、被葬者の身分や業績・個性を世に表現・表示するものであり、外部に誇示するものであった。広瀬和雄氏がいうように、まさに古墳時代は「見せる王権」「可視的な国家」として捉えられるのである。そして、そういう意味において、古墳にとって付加的要素(外部施設)の位置付けは大きいものであった。誤解を恐れずあえて述べるならば、古墳の発達はそういった付加的要素の発達に他ならないのである。周濠もまた、その付加的要素の一つである。周濠は、単に墳丘と外界とを画するものではなく、幾つもの要素により世に被葬者の権力・個性を表示するものであったと考えられる。本稿では、このような古墳の周濠の意義を明らかにすることを目的としている。