著者
FUJIWARA Paula I.
出版者
一般社団法人 日本結核病学会
雑誌
結核 (ISSN:00229776)
巻号頁・発行日
vol.77, no.1, pp.29-35, 2002-01-15
被引用文献数
4

1970年代の後半から1980年代にかけて, ニューヨーク市の結核患者は増加が始まり, 1990年代初期には3倍にも増加した。この結核再興には4つの要因があった。すなわち, 1) 予算措置などへの行政的な取り組みの低下による結核対策組織の弱体化, 2) HIV流行, 3) 院内感染対策の不備, 4) 高蔓延国からの移民の増加。しかし, 強力な対策努力により, 1992年から1999年にかけてニューヨーク市の結核は著しく減少した。新患者数は62%, 多剤耐性患者も93%減少した。米国生まれの成人患者, 特にHIV感染の大きい青年から中年 (25~44歳) では81%も減少した。患者中のHIV感染者の割合は34%から22%に減った。一方, 外国人の比率は18%から58%に増えた。この結果をもたらすためには, ニューヨーク市はDOTS戦略の原則を採用した (もちろん当初はDOTSという表現を用いていない) 。またDOTSとDOT (直接監視下治療または直接服薬支援) は異なる。DOTSはDOTをその一部とした結核対策5原則からなる総合的パッケージを指す。すなわち, 1) 強い政治的意志 (ニューヨーク市保健衛生局長の強い支援, 国・州・市当局へのロビー活動と予算の拡大, 大学教授連への働きかけによる変革中心者としての支援等), 2) 菌検査サービスの充実 (検査結果報告の迅速化, 感受性検査の義務化, 菌検査汚染動向の把握等), 3) 抗結核薬の安定供給 (開業医もDOTを条件に薬が支給される, 多剤耐性患者のため標準方式遵守を条件に新治険薬を許可), 4) 定期的対策評価 (全患者の治療コホートを四半期ごとに検討する評価会の開催, 受持スタッフが対策責任者〈結核課長〉に報告。会の最後には次回までの目標の設定。1患者に対する接触者検診者数=接触者検診指数の検討等) 。1992年から1999年までに対策の質は確実に改善されたと言える。