著者
丸山 敬介 MARUYAMA Keisuke
出版者
京都
雑誌
同志社女子大学大学院文学研究科紀要 = Papers in Language, Literature, and Culture : Graduate School of Literary Studies, Doshisha Women's College of Liberal Arts (ISSN:18849296)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.1-38, 2016-03-31

『月刊日本語』(アルク)全291冊を分析し、「日本語教師は食べていけない」言説の起こりと定着との関係を明らかにした。 創刊直後の88~89年、日本語学校の待遇が悪くてもそれは一部の悪質な学校の問題であって、それよりも日本語教師にはどのような資質が求められるかといった課題に興味・関心が行っていた。ところが、91年から92年にかけて待遇問題が多くの学校・教師に共通して見られる傾向として取り上げるようになり、それによって読者たちは「食べていけない」言説を形作ることになった。 90年代後半には、入学する者が激減する日本語学校氷河期が訪れ、それに伴って待遇の悪さを当然のこととする記事をたびたび掲載するようになった。「食べていけない」が活字として登場することもあり、言説はより強固になった。一方、このころからボランティア関係の特集・連載を数多く載せるようになり、読者には職業としない日本語を教える活動が強く印象付けられた。 00に入ってしばらくすると、「食べていけない」という表現が誌上から消えた。さらに10年に近くなるにしたがって、日本語を学びたい者が多様化し、教師不足をいく度か報じた。しかし、だからといって教師の待遇が目立って好転したわけではなく、不満を訴える教師は依然として多数を占めていた。そう考えると、言説はなくなったのではなく、むしろ広く浸透し一つの前提として読者には受け止められていたと考えられる。