- 著者
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福光 瑞江
Mizue Fukumitsu
京都学園大学非常勤講師
- 巻号頁・発行日
- vol.16, no.2, pp.83-95, 2007-03-01
哲学者J.マッキーは、①「神は全能である」、②「神は全善である」、③「悪は存在する」という三つの命題の間には論理的な意味での矛盾があり、これら三つを同時に整合的に固執することができないと見て、「善なる全能者と悪のパラドクス」および「全能と自由意志のパラドクス」を指摘する。そして、これらのパラドクスが、有神論者を自己矛盾に陥らせていると批判する。この批判に、分析哲学に精通したアングロ・アメリカ系の神学者、A.プランティンガとR.スウィンバーンが以下のように応戦する。「全能なる神でさえ、丸い四角形を作るような論理的矛盾を犯すことはできない」、また、「神は全能ではあるけれども、自分が気に入った可能世界のどれをも現実化できたわけでもなければ、道徳上の善をふくむが道徳上の悪をふくまない世界を創造することができたわけでもない。」こうした哲学と神学の攻防が、学問の進歩を誘導することになる事態を、本稿はクローズアップする。