著者
筒井 はる香 TSUTSUI Haruka
出版者
京都
雑誌
同志社女子大学大学院文学研究科紀要 = Papers in Language, Literature, and Culture : Graduate School of Literary Studies, Doshisha Women's College of Liberal Arts (ISSN:18849296)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.45-63, 2022-03-31

本論では、1950 年代から70 年代にかけて活躍した作曲家で、同志社女子大学学芸学部音楽学科の創設に深い関わりのある中瀬古和(1908-1973)の生涯と創作活動を辿る。これまでに発行されたいくつかの記事から中瀬古和の略伝や教育活動を伺い知ることができるが、音楽活動に関しては十分に語られてきたわけではない。とりわけ創作活動については、作品の全貌が明らかになっていないことから、作曲家としての評価や、戦中・戦後日本の音楽史における位置づけが正当になされているとは言い難い。そこで本論では、中瀬古和の生涯に関わる文献資料を調査し、1)修業時代、2)演奏活動、3)創作活動、4)作品の初演の4 点に焦点をあてて論じた。修業時代については、同志社女学校時代、アメリカ留学を経てベルリンでパウル・ヒンデミットPaul Hindemidth(1895-1963)に師事した時期までに受けた音楽教育について述べた。演奏活動については、ドイツ帰国後の1930 年代から50 年代にかけてチェンバロ、パイプオルガン、ピアノの奏者として活動していたことを確認することができた。1950 年代以降、演奏活動はほとんど見られなくなり、それに代わって自作品を定期的に発表するようになった。創作活動については、未完やスケッチ、消失曲を含め65 作品あり、このうち20 作品が京都を中心に初演されたことが確認された。なお現存する47 作品をジャンルごとに分類したところ、聖書を題材とした日本語による宗教的声楽作品が創作活動のなかで大きなウエイトを占めていたことが明らかになった。このことは戦争体験の他、中瀬古和自身がキリスト者であったことが少なからず影響していたと言えるだろう。また、日本語による宗教的声楽作品を創作することこそが彼女の作曲家としてのアイデンティティであったと推察される。