著者
Wang Yunan
出版者
西南学院大学言語教育センター
雑誌
西南学院大学言語教育センター紀要
巻号頁・発行日
no.8, pp.19-27, 2019-07-09

中国の八〇後文学において、「感傷」という言葉は重要なキーワードである。多くの八〇後文学作品が青春期の困惑と孤独をテーマに取り上げ、感傷的情緒を描いている。「感傷美」は八〇後作家が求める美学の一種であると思われる。実は、感傷的情緒を強調して描くのは八〇後文学に特有なものではない。古今東西を通じて多くの文学作品が人間の感傷的情緒に対して力を入れて表現してきた。人間の感情はきわめて豊富で複雑なものであり、幸せを謳歌する文学作品を愛読する読者もいれば、自分の心境に合致する感傷的な作品を読みたいという読者も少なくない。異なる感情の需要を満足させることこそ文学の重要な役割で、感傷文学は美学的内包と現実的な意味があることは言うまでもない。しかし、感傷的情緒が溢れる八〇後文学は多くの文学評論家に否定的に評価されている。甚だしいことに八〇後文学の代表作家である郭敬明の感傷文を「宦官文学」と鋭く非難する人もいた。(ここでいう「宦官文学」は、作品に気骨が不足していることを指している。)これは一体なぜだろう。八〇後文学における「感傷的情緒」は中国現代文学史に現れた感傷文学の作品と比較してどのような特徴を持ち、その形成理由および意義は何であろう。本稿では中国の八〇後作家の成長の背景を振りかえりながらこれらの問題の考察を試みたい。