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跡部主殿 「武田三代軍記」 https://t.co/Hu1OCjRTKu 塩崎千次郎という者が、吉光の刀を賜った。塩崎に渡した者が御小姓跡部主殿介。 帰依している洗岸法師に見せたら、この刀の相には武田滅亡の兆しがあると言われる。この話は隠していたが、長篠敗戦後、真田安房守に伝えた設定。
「武田三代軍記」 https://t.co/Wo9WHz5s5b 其人々には、阿部加賀守貞村・土屋惣蔵昌恒(廿七歳)・秋山源蔵親久(十六歳、惣蔵舎弟、秋山晴親の養子、土屋御乳子と号す)・金丸助六郎(惣蔵舎弟)・秋山紀伊守・同子息十三郎(十五歳)・小原丹後守・子息忠五郎・秋山民部少輔・子息彌十郎
「武田三代軍記」 https://t.co/pp92JEhe22 されば、此閑所を以て、山と號せられし事、如何なる謂あるかと、武田家拝趨の諸士、評議しけるに、長坂源五は、山にはくさきが絶えぬといひ、小宮山内膳は、山の匂は焼物を願ふといひ、曽根輿市之介は、山は登れば下るといひ、
「武田三代軍記」 https://t.co/pS6NgFkyL3 此時、跡部、彼の無楯の冑を着せり。然るに信昌、心中に祈念して、上野介を唯一箭に射殺し給ひける。
相木森之介 「武田三代軍記」 https://t.co/1iqfcxBdDX 跡部勝五郎、乗込んで働きしを、相木森之介、能き敵ぞと打笑つて、押雙びて組みたりしが、相木、元より大力なれば、跡部を取つて押へ、終に首を掻落しけり。
珍諱を探そうとしたら、武田三代軍記に武田信玄の伯父が穴山になる理由が書かれていた。大井夫人が穴山氏設定?甲陽軍鑑に大井夫人の出自が書かれているか後で確認します。 「武田三代軍記」 https://t.co/pS6NgFkyL3 左京大夫信虎は、父信縄の家督を續ぎ給ひて、新羅三郎十八代に相當れり。
三枝勘解由左衛門尉晴行 https://t.co/SzlbPcuIk9 勝頼の備には、三枝勘解由左衛門尉晴行をぞ越されける。 ※把握している晴の字武将
・秋山伯耆守晴近 https://t.co/VqGuGWYRVw 秋山伯耆守晴近に、五十騎預け下されけり。 ・甘利晴吉 https://t.co/VqGuGWYRVw 後、甘利左衛門尉晴吉と名乗りしは是なり。 https://t.co/U22xHrgfg9 去る九日、左衛門尉になされて、其上、晴の字を給はつて、甘利左衛門尉晴吉と號し、
・秋山伯耆守晴近 https://t.co/VqGuGWYRVw 秋山伯耆守晴近に、五十騎預け下されけり。 ・甘利晴吉 https://t.co/VqGuGWYRVw 後、甘利左衛門尉晴吉と名乗りしは是なり。 https://t.co/U22xHrgfg9 去る九日、左衛門尉になされて、其上、晴の字を給はつて、甘利左衛門尉晴吉と號し、
( ˘ω˘)スヤァ……遊ぼう……武田三代軍記からハレハレ(晴晴)愉快 ・武田晴信 https://t.co/OwwIYohF1G 将軍家、御諱の字を給はつて、武田太郎晴信とぞ名乗り給ひける。 ・山本勘助晴幸 https://t.co/G600E0rbD7 晴信の一字を給はつて、山本勘助晴幸と號け、
( ˘ω˘)スヤァ……遊ぼう……武田三代軍記からハレハレ(晴晴)愉快 ・武田晴信 https://t.co/OwwIYohF1G 将軍家、御諱の字を給はつて、武田太郎晴信とぞ名乗り給ひける。 ・山本勘助晴幸 https://t.co/G600E0rbD7 晴信の一字を給はつて、山本勘助晴幸と號け、
「武田三代軍記」 https://t.co/ky34UjeojS 土屋惣蔵二十歳、是は金丸筑前守が五男にて、土屋右衛門尉が弟なり。容顔美好にして心剛なりければ、勝頼の御寵愛雙び無し。然るに兄右衛門尉を心元なく思ひければ、両度迄、馬を引き返すに【勝頼も、倶に轡を返されける】
「武田三代軍記」 信州高遠の城落城附仁科薩摩守晴清(盛信)生害の事 https://t.co/hnhWENAIyR 斯くて、勝頼御分国の城々、先づ信州松尾城は、小笠原掃部大夫信忠の先手に開け渡して、降人となる。飯田の城に籠置かれし保科弾正少弼も、降を乞うて開け渡す。深志の馬場民部少輔も。 https://t.co/XZmiUYLuVg
「武田三代軍記」 https://t.co/Ad7Ph8WjCF 小宮山が弟又七郎は、御生害の御供と、存じ切つて居たりしを、内膳、土屋に断り、又七に申しけるは、汝、君の御供と究め、是迄参る事神妙なり。然りと雖も、老母と某が女房を、汝、引退けて呉れ候へといふ。又七聞いて思も寄らず、
https://t.co/1MsTmY5eDK 然れども、甘利備前守・飯富兵部少輔等の忠臣を、召寄せらえ、御密談を遊ばされなば、其上にては如何様とも、御為宜しき謀も候べし。 (中略) 竊に穴山伊豆守信行・甘利備前守・小山田備中守・板垣駿河守・飯富兵部少輔を召寄せられて、密談し給ひけるは (中略)
https://t.co/MiJL3YwUmn 八月上旬、信虎朝臣は、御嫡大膳大夫晴信・穴山伊豆守信行を、御屋形の留主に残し置かれ、二男左馬助信繁・三男孫六信連・板垣駿河守信形を始め、四千五百の軍勢を引率し、教来石民部少輔景政・甘利備前守を先鋒とし、甲府を出馬あつて、 (中略)
https://t.co/45iBpdHb0q 其時、長臣甘利備前守、信虎の御前に出で、今井木工允が儀、御秘蔵の猿を切害仕候段、上を恐れざるの科、尤も軽からず。然りと雖も、何程の御寵愛も候へ。相手はこれ畜生にては候はずや。又今井は、数度の軍に、身命を捨て、武功を抽んでたる甲斐々々しき者にて候。
https://t.co/OwwIYoyI3G 去る程に、信虎、信州海野口の城を、攻めらるべしとて発向あり。嫡子大膳大夫晴信・次男次郎信繁・穴山伊豆守信行・板垣駿河守信形・原能登守友胤・同美濃守虎胤・甘利備前守・加藤駿河守・跡部尾張守・飯富兵部少輔・教来石民部、是等を宗徒の士大将にて、
https://t.co/yQnRhhli1F 又或時、信虎、人々を御伴ひありて、居物(すえもの)を遊しける。信虎、自ら切り給ひて、次郎に切れと仰せらるる。畏つて次郎殿、手際よく切落し給ふ。其後、勝千代殿に仰付けらる。深く辞し給ふ気色なれども、信虎の仰せらるる儀なれば、止む事を得給はず、
「武田三代軍記」甘利虎泰抜粋 https://t.co/fLdTqayjIO 信虎を始め、相従ふ人々には、穴山左衛門大夫信行・板垣駿河守信形・工藤下総守虎豊・馬場伊豆守虎貞・山縣河内守虎清・内藤相模守虎資・荻原常陸守昌勝・原能登守友胤・嫡子美濃守虎胤・同名大隅守・小幡入道日浄・嫡子山城守虎盛・
「武田三代軍記」 https://t.co/FH304IvJEE 爰に飯富昌景が隊下に、大熊とて大剛の者ありけるが、伊庵に劣らず血戦しけるに、能き敵に引組み、首掻き落す所を、後より敵来りて、大熊が指物を取つて、逃行きける。大熊少しも騒がず、組敷きたる敵を、首掻切り、鼻を闕きて引合に納め、
「武田三代軍記」 https://t.co/fVlVJLqFog 進藤何某といへる物、此時浪人にて、武者修行し、剣術を教へて、諸国を廻りけるが、此時、甲府にあつて、今日、小山田が備を借る。虎胤入道を目に懸けて、三尺餘りの大太刀を、手綱に取副へ、高聲に名乗つて、一陣に駆出でたり。
「武田三代軍記」 https://t.co/c9WDSUHLR0 平三郎は、金丸筑前守が嫡子にて、土屋右衛門尉信近が兄なり。信玄、寵愛の小姓にてありけるに、早晩(いつも)、御館に宿直して、更に暇なかりけり。或夜、信玄、戌の刻に看経してまします隙に、所用の事あつて、従者一人召連れ、忍んで己が宿所に帰り、
「武田三代軍記」 https://t.co/aqGZVoSRwf 御前の御供仕りし女房廿三人に、御暇を下され ※「甲陽軍鑑」の女房衆二十三人其外皆御いとま下され候は女房衆二十三人と其外に御暇が下されたという意味か……間違えた……
( ˘ω˘)スヤァ兜に注目しました 「武田三代軍記」 https://t.co/M0gYoauVMm 土屋が鍪(かぶと)の天邊にも、鉄炮5つ迄、中ると雖も、敢て裏かかず。其後、猶ほ敵中に進んで、竟に三十一歳にて討死す。 https://t.co/UtHyg3LECD
「武田三代軍記」 https://t.co/lTLxym25rV 穴山左衛門大夫信行は、此頃、癩病に悩みて、身体苦痛し、合期せざりければ、先月九日の合戦にも、甲館の留守に残り給ひたるが、甲斐々々しくも、鎧取つて着、馬に打乗り、士卒を引連れ、大将の前に来り給ひ、此度に於ては、是非とも、
「甲陽軍鑑」 https://t.co/BPnivFQdoB 山県三郎兵衛くらの前輪のはづれを鉄砲にて後へ打ぬかれ則ち討死あるを山県被官志村頸をあげて甲州へ帰る、 「武田三代軍記」 https://t.co/RJOar2RowY 志村又右衛門追懸け、其敵を突伏せ、山県が印を取返す。 ※違う志村さんか……
「武田三代軍記」 https://t.co/NH9CVeRYfQ 六月二日の拂暁に、其勢八千余人を率し、例の五人の者を、先駆に進ませ、大江山に差懸り、京都をさして駆けたりけり。信長、其日は本能寺に寄宿し給ひける事を、兼ねて知りければ、直に進んで、彼の寺を、ひたひたと追取巻き、
「武田三代軍記」 https://t.co/5fcJlaTjRC 駿河先方の士、下方彦作、勝頼へ向って申しけるは、先主今川氏真は、信玄の御旗先を見て、山家の奥に逃入らるる。夫さへ武田家にては大に嘲りたりと申す。今勝頼公は、信長の旗先、少しも見えざるに、郡内をさして落ち給ふ。今川氏真の敗軍には十層倍、 https://t.co/7M8Qgk01xB
「甲陽軍鑑」 https://t.co/MaEQ62P9DU 「武田三代軍記」 https://t.co/lTLxym25rV 「甲陽軍鑑」訳本を見ていて気がついた 穴山伊豆守(信友)(武田三代軍記では穴山左衛門大夫信行)を信玄の叔父(甲陽軍鑑では母方の伯父)としている 軍鑑だから誤記だと思うけど、穴山信友の父親は系図によっては異なる
メモ 竺英甫寅? 「乾徳山恵林寺雑本」 https://t.co/AbrHNGjGK1 起龕に能成寺竺英の名前が有りますが、 「甲陽軍鑑」 https://t.co/2hyUOUomHa 「天正玄公佛事法語 」 https://t.co/Dl2GARtbsT 起龕は説三和尚です「武田氏家臣団人名辞典」も同じです
「戦国遺文武田氏編1巻」p97〇230 天正16年8月11日、荻原弥右衛門が笠原新三郎を討ち取った事を信玄公が褒めています。 「武田三代軍記」 https://t.co/befGZv2Oek こちらにも同じ感状が載っていて、城主笠原新三郎をば、荻原弥右衛門討取りければ、という記述があります。

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