- 著者
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水谷豊文 [著]
- 巻号頁・発行日
- 1800
水谷豊文(1779-1833)は尾張藩士、同藩の薬園を管理するとともに、名古屋の博物家の会である嘗百社の指導者だった。本資料は上巻が文化7年6~7月に木曽を巡回した折の採薬記、下巻は採薬地の地誌で、多数の詳細な手書き地図を含む。採薬は享保頃のそれ(『諸州採薬記』解題参照)などとは大分異なり、目的は特定の薬草の採取ではなく、現在の採集と同じく生物相の調査にあり、鳥獣虫魚にも目配りしている。品名だけの記載が多いが、詳細な記述もある。たとえば、御嶽の7合目以上にライチョウ(雷鳥)が棲むこと、御嶽のコマクサは人々が採り尽くして稀であること、天明5年(1785)に木曽でスズタケが結実し、折からの飢饉の救いとなったなど。また、「山ノ神ノコロ、一名山ノ神ノヲコジヨロ」は、日本でもっとも古いオコジョの記録の一つと思われる。(磯野直秀)