著者
浅原 正和 ASAHARA Masakazu
出版者
三重大学教養教育機構
雑誌
三重大学教養教育機構研究紀要 = BULLETIN OF THE COLLEGE OF LIBERAL ARTS AND SCIENCES MIE UNIVERSITY
巻号頁・発行日
no.2, pp.1-18, 2017-03-31

国家間における動物の贈与は、歴史的に外交の一手段として用いられてきた。先行研究において、オーストラリアが歴史的に“ カモノハシ外交” とも呼べるカモノハシの国外移送をイギリス、アメリカに対して行ってきたことが論じられている。それに加え1990 年代、カモノハシを移送する試みが日本に対しても進んでいた。これら3 か国への移送計画は、それぞれ異なる組織が異なる目的のため進めたものだった。1943 年のイギリスへの移送は英首相ウィンストン・チャーチルのリクエストであったが、一方で戦時下におけるオーストラリア政府の外交政策の一環でもあった。これまでこの移送は戦時中、機密事項であったとされていたが、顛末を報道する新聞記事も戦時中に発行されていた。なお、生体の移送に先立って送られた剥製は、ボーア戦争でチャーチルを助けた隊に所属していたエディー氏の飼育個体であった。1916~58 年にかけて試みられたアメリカへの移送は、動物商や動物園といった民間が主導して進めた。1947 年の移送も動物園間の交渉で始まるが、オーストラリア政府が輸出許可を出さなかった関係で政治家が動いた。最終的に、カモノハシを戦時中の返礼とみなすということで許可が下りる。日本の東京で1996 年に開催が予定されていた博覧会でカモノハシが出展される計画は、ニュー・サウス・ウェールズ州フェイ首相と、東京都鈴木知事との間で自治体外交として進められた。しかし、1995 年に両者の首長が交代することで、計画は中止に追い込まれる。これら時代ごとに計画があったカモノハシの移送先は、オーストラリアの経験してきた国際情勢の変遷と関連している。まず、第二次世界大戦前後で、国防の依存先がイギリスからアメリカへ替わったことは、戦中・戦後のカモノハシの送り先に象徴されている。そして、20 世紀終盤に最大の貿易相手国となった日本との間で自治体外交が活発化し、そのことが日本へのカモノハシ移送計画を生み出した。

言及状況

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カモノハシ外交等を駆使してシドニーオリンピック招致に力を注いだ豪NSW州フェイ首相もオリンピック前に総選挙で負けて退陣してしまった。のちに招致成功を特筆されて勲章をもらってはいたけど。オリンピックは招致活動から大会まで時間的な間があるのも影響してそう https://t.co/saYGj4wNCq https://t.co/GR23iWjaa2
「オーストラリアの “ カモノハシ外交 ” を概観する: 第二次世界大戦から現在まで」 1990年代にカモノハシを移送する試みが日本に対しても進んでいたとのこと。 名古屋市がシドニーと姉妹都市提携を結んだ縁で東山動物園に。 コアラはいいのに鴨嘴は何故ダメなのか。 https://t.co/G4WT8CdG9X
…この計画は残念ながら実現しませんでした。その顛末はまた書籍等でご紹介できればと思います。すぐ知りたい方は以下の紀要論文をご覧ください(日本語) https://t.co/saYGj4wNCq

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