- 著者
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大舘 大學
- 巻号頁・発行日
- 2011-11
ジャコウネズミSuncus murinusはトガリネズミ科の小型哺乳類であり(いわゆるネズミ=齧歯類の仲間ではない)、名古屋大を中心として実験動物化され、その生物学的な性質はよく調べられている。ジャコウネズミは北インド・ネパール、東南アジア大陸部からインド南部が原産地とされている。インド洋-南シナ海は古来より海洋貿易がさかんであり、マレー系、インド系、中国系、そしてなによりもイスラーム勃興以降にアラブ人やペルシャ人がさかんに貿易活動を行った。さらに大航海時代以降にはヨーロッパ各国の商業活動も行われるようになった。日本では16世紀-17世紀前半の朱印船貿易、琉球の進貢船、江戸時代の長崎貿易がこの海洋貿易ネットワークの東端を担っている。このような人間の活動によって、ジャコウネズミは原産地から東南アジア島嶼部、ペルシャ、アラビア半島、アフリカ東海岸、マダガスカル、コモロ諸島、九州などに人や品物と共に移動したと考えられている。遺伝子解析や核型分析では東南アジア島嶼部への人為移入が強く示唆され、さらにはインド中部においては二つの系統のジャコウネズミが陸路で牧畜民に伴い移動して中部で交雑した可能性も示唆されている。しかし移動の歴史についての詳細は不明で、特にインド洋西部沿岸地域の移動の詳細は分かっていない。
この研究プロジェクトではジャコウネズミがどのような歴史的過程で分布を広げたか、各地域でどのように認識されているのかなどを明らかにしたい。そのためには広範囲を対象地域として、動物学(系統地理学、集団遺伝学、核型分析、形態分析)、ウイルス学、生態学(絶滅と定着の条件)、歴史学(インド洋交易史、南蛮貿易史、イスラーム史など)、民俗学(フォークロアの比較、意図的移動の可能性)、文献学(文学作品や年代記)、言語学(呼称の分布)など理系・文系を超えた様々な学問分野の専門家との有機的協力体制が必要不可欠である。
ジャコウネズミはこのように小さなマイナーな(そして臭い)動物ではあるがその人為移動の歴史はまことにダイナミックである。住家性ネズミ(クマネズミ、ドブネズミ、ハツカネズミ)も人と共に移動することが知られ、多くの研究がなされているが、温暖な地域に分布が限定されること、陸路よりも海洋ルートで拡散したらしいこと、歴史学的な裏付けがとれることなどから、移動のルートと過程を特定しやすいメリットがある。当学会では特に人と動物の関係史という観点から、この研究の面白さを理解していただき、人文境界研究として興味ある方の協力、参加を願いたい。対象地域が広大な地域(しかも危険地帯)でかつ異分野の学際にまたがるのでこのプロジェクトは大型研究予算の獲得を目指していますが、科研費の当否に関わらずこのプロジェクトは進める積もりです。