- 著者
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石村 憲意
- 巻号頁・発行日
- 2016-03-24
本研究は、生物がゆらぎを利用して情報処理を行う仕組みを取り入れた電子回路システムを提案し、それによって生物科学の一端と半導体集積回路技術とを結びつける新しい機能集積回路の可能性を示したものである。
現代の半導体技術の発展は、プロセス技術や回路技術の進歩による、ゆらぎ(素子バラツキや雑音(量子雑音やクロストークノイズ、電磁波など))の要素を極力排除する方針の下に実現してきた。しかし、物理的限界を目前とした現在、ゆらぎを排除して情報処理プロセッサを設計するアプローチを継続することは困難になりつつあり、それを打破するプロセスや回路技術の革新、あるいは新規情報処理基盤、アーキテクチャ、デバイスの創出などの新しいアプローチを開拓する事が不可欠である。一方、生物はゆらぎを排除せず、むしろ積極的に利用して情報処理を行うことが知られている。そこで本研究では、生物に倣った、ゆらぎを利用する新規情報処理システムの創出に向けた学術的基礎の構築を目的とした。本研究で得られた主要な成果は以下のとおりである。
(1)ゆらぎを利用する情報ハイディングシステム
ディジタルハードウェアへの実装に向け、ゆらぎ画像と反応拡散セルオートマトン(RD CA)モデルを用いたステガノグラフィ応用を示す。ステガノグラフィ(電子透かし)技術は画像のようなデータに、他のデータ(メッセージ等)を埋め込む情報秘匿技
術の一つである。近年、prey-predatorモデルを利用した模様生成処理による秘匿通信アルゴリズムが提案されている。しかしながらこのモデルは非線形性が強くハードウェア実装が困難である。そこで、より単純な模様生成ダイナミクスであるRD CAモデルを利用し、メッセージの埋込と読出しシミュレーションを行った。このシミュレーション結果から、RD CAモデルを用いたステガノグラフィのハードウェア実装を可能にすることを示した。さらに、RD CAモデルを用いた、「ゆらぎを利用する画像処理システム」の基本アーキテクチャを提唱し、そのシミュレーションによる解析とFPGA実機による基本動作の評価を示した。(2)内部ゆらぎを利用した二重井戸系回路の確率共鳴
脳のある領野で発生した脳波が別の領野において、ゆらぎとして情報処理に利用されているという生理学的見地に基づき、内部ゆらぎによる「確率共鳴」現象に着目した。この現象は、二重井戸型ポテンシャル等の系に閾値下の微弱な入力信号に、雑音が重畳することによって、信号の値が閾値を超え、確率的な系の動作を可能にする。しかしながら、脳の複雑なネットワーク構造における動作解析は困難であるため、より単純かつ自らゆらぎを発生する単体の系としてカオス力学系に着目した。そこで、内部状態に対応する複数のストレンジアトラクターを持ち、信号入力でアトラクター間の遷移が生じる系としてChua回路を用いた。この回路に閾値下の信号として正弦波電圧を与え、内部ゆらぎを利用する「確率共鳴」の観測を行ったところ、ある入力周波数範囲では二つのアトラクター間でカオス的な遷移が起こり、他の範囲では状態が、一方のアトラクターにトラップされることを確認した。これらの動作が、カオス的な
ゆらぎが状態遷移に寄与していることを示している。
さらに、内部ゆらぎによる「確率共鳴」の度合いと系内部に発生するゆらぎの強さの関係を調べる為に入出力相関値やSNR
を算出し、従来の外部雑音を利用する確率共鳴に類似した特性が得られた。また、このChua回路の並列フィードフォワードネットワークを構築し、共通の閾値下の入力を加えて同様のシミュレーションを行い、適度なゆらぎ強度の元で入出力相関値やSNRが向上する事を確認した。
(3)内部ゆらぎを利用して動作する非線形振動子による相互結合ネットワーク
上記(2)では、内部ゆらぎによる「確率共鳴」の原理を、単体の系が生成するゆらぎを利用して示した。より脳に近い内部ゆらぎ利用の情報処理機構を解析するために、相互結合する非線形振動子のネットワークの出力をゆらぎとして利用する。そこで、非線形振動子が単一方向に環状結合したネットワークを構築した。素子間で伝播する信号が衝突しないように信号伝播の流れを一方向にし、さらに、ネットワーク構造を環状にすることで、ネットワーク内部で常に伝播する信号を内部ゆらぎとして利用出来る。このネットワークに共通の閾値下の信号を入力し、出力信号はネットワーク全体の応答の加算平均から求める。シミュレーション結果から、入出力相関値と内部ゆらぎ強度の特性から典型的な確率共鳴曲線が得られ、内部雑音を利用することで、外部雑音を利用する従来の「確率共鳴」と同等な現象が起きることを示した。