著者
原 未来
出版者
エイデル研究所
雑誌
生活指導研究 (ISSN:09103651)
巻号頁・発行日
no.29, pp.175-193, 2012

「ひきこもり」が高い社会的関心を集めて10年余りが経つ。犯罪リスクとして社会問題化した「ひきこもり」は、その後、若者問題、家族問題、精神医療問題など、様々な問題として語られてきた。さらに2000年代半ばからは、「ニート」概念と一部混同されながら就労問題としての捉えられ方を強固にしている(工藤2008)。「ひきこもり」やその〈回復〉のあり方は、就労や対人関係の獲得など外部の指標によって把握されるようになり、当事者にとっての主観的な経験として「ひきこもり」を捉える視点はそぎ落とされていった。 こうした動向に警鐘を鳴らしたのが石川良子である。石川(2007)によれば、「ひきこもり」当事者は生きることや働くことの意味、自分白身の存在を徹底して問うており、それはA.ギデンズがいうところの存在論的不安の感覚に結びついているという。ギデンズ(1991=2005)は、絶対的な拠り所となる権威や外的基準が減退する後期近代にあっては、すべての者に、自己物語を再帰的に作り上げ独力で自らの人生を意味づけていくことが求められていると述べる。「何をすべきか?どう振舞うべきか?誰になるべきか?」といった実存的問題に、「無意識や実践的意識のレベルで『答え』をもっている」ことが存在論的安心につながり、逆にそれに「答え」を与えられず、実存的問題を意識せざるを得ない状態にあることが存在論的不安を引き起こす。石川は、「ひきこもり」を、実存的問題を問わざるを得ず、存在論的不安の渦中にある状態として捉えた。そして、社会参加という外部の次元に回収されない、存在論的安心の確保という〈回復〉目標を提起している。それは、生きることへの覚悟をもつこと、生きることや働くことの意味についての"納得"を手に入れることだと説明される。就労しない(できない)という外部の指標から「ひきこもり」を捉えようとする動向へのアンチテーゼとして、石川は、当事者の内部で起きていることに光を当て、「ひきこもり」とその〈回復〉を論じる際の中核に当事者の経験や葛藤感覚を位置づけたのである。 しかし、当事者の経験に注目するとした石川においても、当事者の葛藤それ自体についての十分な検討はなされたとは言い難い。当事者の葛藤を実存的問題への対峙としてひとくくりに捉えているため、葛藤の内容・構造への詳細な洞察を持ちえないからだ。たとえば、「普通」とオルタナティブな生き方との間で逡巡する当事者の様子が随所に描かれているものの、その葛藤がもつ構造は明らかにされず、葛藤に"納得"を見出していく変容プロセスも―それを石川は〈回復〉としているのだが―明確にされていない。当事者の主観的経験から「ひきこもり」を明らかにしようとするならば、より当事者の葛藤そのものに着目できる理論枠組みから分析する必要があろう。 そこで、本稿では対象関係論を手がかりに考察を試みる。対象関係論は外界に実在する外的な対象だけでなく、個人の精神内界に形成される内的対象との間で発展する内的対象関係を重視する理論である。これまで、不登校をきっかけに学校とは何か、自分とは何かという根源的な問いに苦悩しつつも新たな自己を形成していく子ども・青年を理解する際に用いられてきた(横湯2002)。それら不登校研究で明らかにされてきた知見と「ひきこもり」の者たちの語りや状態には一定の重なりが見られており、「ひきこもり」当事者の葛藤や揺れ、さらにはその変容を、内的対象関係に着目し分析することは、かれらのかかえる葛藤についての理解を深めることにつながると考えられる。当事者の主観的経験を軽視してきた従来の「ひきこもり」議論に対する石川の問題意識を踏襲しつつ、対象関係論を手がかりに、より当事者の葛藤感覚に焦点化し「ひきこもり」とその〈回復〉を同定しなおすことが本稿の目的である。 また、上記課題を明らかにすることによって、「ひきこもり」支援実践への視座を引き出したい。近年展開されている支援政策の多くは、民間支援団体への委託・連携によっておこなわれており、今や民間支援者は「ひきこもり」支援の中核的担い手となっている。しかし、その支援実態は団体によって様々であり、就労問題としての「ひきこもり」論が大勢を占めるなかで支援のあり方が規定されてきた面も否めない。「ひきこもり」とその〈回復〉を当事者の経験や葛藤から捉えなおしたとき、支援現場においてどのような支援の可能性が考えられるのか、その方向性に言及したい。 以下では、まず1節で本稿における対象について示す。その上で、2節では当事者のかかえる葛藤を整理し、対象関係論的視点からの分析を試みたい。対象関係組み替え過程としての「ひきこもり」を描き出し、石川の述べた存在論的不安との重なりにも言及する。続く3節では、「ひきこもり」からの〈回復〉について論じる。〈回復〉に際して重要となるものを提示し、実際の支援現場において〈回復〉がどのような過程として生じうるのか検討をおこなう。本稿を通じて、当事者の経験や葛藤から「ひきこもり」とその〈回復〉過程を捉えなおし、「ひきこもり」支援に際してのパースペクティブをひらきたい。
著者
原 未来
雑誌
生活指導研究 (ISSN:09103651)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.175-193, 2012

「ひきこもり」が高い社会的関心を集めて10年余りが経つ。犯罪リスクとして社会問題化した「ひきこもり」は、その後、若者問題、家族問題、精神医療問題など、様々な問題として語られてきた。さらに2000年代半ばからは、「ニート」概念と一部混同されながら就労問題としての捉えられ方を強固にしている(工藤2008)。「ひきこもり」やその〈回復〉のあり方は、就労や対人関係の獲得など外部の指標によって把握されるようになり、当事者にとっての主観的な経験として「ひきこもり」を捉える視点はそぎ落とされていった。 こうした動向に警鐘を鳴らしたのが石川良子である。石川(2007)によれば、「ひきこもり」当事者は生きることや働くことの意味、自分白身の存在を徹底して問うており、それはA.ギデンズがいうところの存在論的不安の感覚に結びついているという。ギデンズ(1991=2005)は、絶対的な拠り所となる権威や外的基準が減退する後期近代にあっては、すべての者に、自己物語を再帰的に作り上げ独力で自らの人生を意味づけていくことが求められていると述べる。「何をすべきか?どう振舞うべきか?誰になるべきか?」といった実存的問題に、「無意識や実践的意識のレベルで『答え』をもっている」ことが存在論的安心につながり、逆にそれに「答え」を与えられず、実存的問題を意識せざるを得ない状態にあることが存在論的不安を引き起こす。石川は、「ひきこもり」を、実存的問題を問わざるを得ず、存在論的不安の渦中にある状態として捉えた。そして、社会参加という外部の次元に回収されない、存在論的安心の確保という〈回復〉目標を提起している。それは、生きることへの覚悟をもつこと、生きることや働くことの意味についての“納得”を手に入れることだと説明される。就労しない(できない)という外部の指標から「ひきこもり」を捉えようとする動向へのアンチテーゼとして、石川は、当事者の内部で起きていることに光を当て、「ひきこもり」とその〈回復〉を論じる際の中核に当事者の経験や葛藤感覚を位置づけたのである。 しかし、当事者の経験に注目するとした石川においても、当事者の葛藤それ自体についての十分な検討はなされたとは言い難い。当事者の葛藤を実存的問題への対峙としてひとくくりに捉えているため、葛藤の内容・構造への詳細な洞察を持ちえないからだ。たとえば、「普通」とオルタナティブな生き方との間で逡巡する当事者の様子が随所に描かれているものの、その葛藤がもつ構造は明らかにされず、葛藤に“納得”を見出していく変容プロセスも―それを石川は〈回復〉としているのだが―明確にされていない。当事者の主観的経験から「ひきこもり」を明らかにしようとするならば、より当事者の葛藤そのものに着目できる理論枠組みから分析する必要があろう。 そこで、本稿では対象関係論を手がかりに考察を試みる。対象関係論は外界に実在する外的な対象だけでなく、個人の精神内界に形成される内的対象との間で発展する内的対象関係を重視する理論である。これまで、不登校をきっかけに学校とは何か、自分とは何かという根源的な問いに苦悩しつつも新たな自己を形成していく子ども・青年を理解する際に用いられてきた(横湯2002)。それら不登校研究で明らかにされてきた知見と「ひきこもり」の者たちの語りや状態には一定の重なりが見られており、「ひきこもり」当事者の葛藤や揺れ、さらにはその変容を、内的対象関係に着目し分析することは、かれらのかかえる葛藤についての理解を深めることにつながると考えられる。当事者の主観的経験を軽視してきた従来の「ひきこもり」議論に対する石川の問題意識を踏襲しつつ、対象関係論を手がかりに、より当事者の葛藤感覚に焦点化し「ひきこもり」とその〈回復〉を同定しなおすことが本稿の目的である。 また、上記課題を明らかにすることによって、「ひきこもり」支援実践への視座を引き出したい。近年展開されている支援政策の多くは、民間支援団体への委託・連携によっておこなわれており、今や民間支援者は「ひきこもり」支援の中核的担い手となっている。しかし、その支援実態は団体によって様々であり、就労問題としての「ひきこもり」論が大勢を占めるなかで支援のあり方が規定されてきた面も否めない。「ひきこもり」とその〈回復〉を当事者の経験や葛藤から捉えなおしたとき、支援現場においてどのような支援の可能性が考えられるのか、その方向性に言及したい。 以下では、まず1節で本稿における対象について示す。その上で、2節では当事者のかかえる葛藤を整理し、対象関係論的視点からの分析を試みたい。対象関係組み替え過程としての「ひきこもり」を描き出し、石川の述べた存在論的不安との重なりにも言及する。続く3節では、「ひきこもり」からの〈回復〉について論じる。〈回復〉に際して重要となるものを提示し、実際の支援現場において〈回復〉がどのような過程として生じうるのか検討をおこなう。本稿を通じて、当事者の経験や葛藤から「ひきこもり」とその〈回復〉過程を捉えなおし、「ひきこもり」支援に際してのパースペクティブをひらきたい。