著者
伊藤 理絵 本多 薫 渡邊 洋一
出版者
山形大学人文学部
雑誌
山形大学人文学部研究年報 = Faculty of Literature & Social Sciences, Yamagata University annual research report
巻号頁・発行日
vol.8, pp.215-227, 2011-03-23

要旨:攻撃的ユーモアを笑うということを優越感から生まれる快の笑いとは異なる観点から検討した。攻撃的ユーモアを含む4 コマ漫画と非攻撃的ユーモアを含む4 コマ漫画をユーモア刺激とし, 大学生および大学院生142 名を対象に質問紙調査を行った。それぞれのユーモア刺激について, 対象者をユーモア高評価群とユーモア低評価群に分類し, 与えられたユーモア刺激を笑ったり, おもしろいと感じたりする場合の笑いについて比較検討した。その結果, 攻撃的ユーモアを笑うためには, 感覚的不適合とともに論理的不適合も必要である可能性が示唆された。日常生活におけるコミュニケーションの手段として笑いを重視していることがユーモア評価に影響していることも示された。
著者
中村 唯史
出版者
山形大学人文学部
雑誌
山形大学人文学部研究年報 = Faculty of Literature & Social Sciences, Yamagata University annual research report
巻号頁・発行日
vol.3, pp.29-44, 2006-02-20

日本のある種のマンガ(いわゆる「少女マンガ」)には,一時期,他の芸術にはない独自の言語位相が認められた。図1における中央部白ヌキの言葉は,その一例である。1981年にこのページに驚いた私は,その後少女マンガをよく読むようになったが,それは主としてこの位相に引かれたためであった。これはマンガを描く能力を持たない私のような者には,なかなか実現できない位相である。このような言葉は,他の芸術ジャンルでは,たとえマンガの隣接領域である文学やアニメにおいてさえ,作り出すことが容易ではない。白ヌキの言葉(「ハンプティ/ダンプティ/死んでしまった/白ねずみ, くだけた/ガラス/食べちゃった/お菓子,すべて/もとには/もどらない」) それ自体はいうまでもなく『マザーグース』の歌詞であり,文学の領域においてすでに実現されているものだ。したがってこの言葉が少女マンガ独自の位相を帯びているというのは,言葉それ自体によるのではない。この言葉と作中人物たちとの関係や,この言葉が作品世界で果たしている役割が,他の芸術ジャンルにはあまり見られないようなものなのである。この位相を持つ言葉は,形態面についていえば,吹きだしや枠で囲まれることなく,いわばむき出しで画面上に配置されている場合が多い。本稿はこの少女マンガ独自の言語位相の考察を目的とする。ただしここで対象とする言葉の位相は,1970年代から80年代にかけて発達し,一部の少年マンガや劇画にまで影響を及ぼしたものの,1990年前後を境に急速に衰退して,現在ではすでに少女マンガにおいてさえアクチュアルな位相とは見なされていない。1990年代以降に登場した描き手たちの多くは,この言語位相の使用を好まない。