著者
守屋 茜
出版者
日本高専学会
雑誌
日本高専学会誌 (ISSN:18845444)
巻号頁・発行日
vol.16, no.3, pp.139-145, 2011-07

筆者は日頃の国語の授業に違和感を持っている.国語教育の一部では,なんらかの特定の「解釈の型」が正しさの基準とされ,授業が行われているのではないかという疑問をもったことがその背景にある.そうした「型」があるなら,それはテストを通じて学生の成績に大きく影響することになる.本稿では,その違和感のもとを追究するために,まず津山高専の国語テストを収集・分析し,その一部に高い恣意性がみられることを示した.次いで,大学入試センター試験の内容の分析,他の科目(数学等)との比較を行うことで,この恣意性は津山高専の国語教育に限られない,一般性を認められるものであることを明らかにした.最後に,これらの結果を踏まえて,恣意性の排除を念頭に置きながら,どのような国語教育が望ましいと言えるかについて検討した.