出版者
三善盛政写
巻号頁・発行日
1597

『日本書紀』神代巻は中世には神道書として尊重され、単独の写本も多い。本写本は全体にやや虫損が多く、入紙をほどこす。毎半葉8行の界線を引き、墨で訓点、送り仮名、振り仮名、朱で朱引き、ヲコト点を付す。本文各段落には、「一書曰」の異伝ごとに「第一」以下の序数を記す。巻末に「入道三位雪庵道白」すなわち清原枝賢(1520-90)の本奥書と、慶長2年(1597)の三善宮内少輔盛政の書写奥書がある。書写者三善盛政については、『姓氏家系大辞典』新川氏の項に引用する「新川氏覚書」によれば、本国は和泉で豊臣秀吉に臣従し宮内少輔に任じられ、後浪人して郷士になった同名の人物がいる。また、東洋文庫所蔵『孝経抄』の識語に見える「三十郎盛政」も枝賢の孫弟子で、同一人かとする説がある。見返し、巻頭の「要斎珍蔵」「尾張細野氏記」は、尾張藩の儒者で神道にも造詣が深かった細野要斎(1811-78)の蔵書印。