著者
宮本 邦男 Kunio Miyamoto 作新学院大学地域発展学部地域発展学科 Division of Economy Faculty of Community Development Sakushin Gakuin University
出版者
作新学院大学地域発展学部
雑誌
作新地域発展研究 (ISSN:13481711)
巻号頁・発行日
no.3, pp.1-34, 2003-03

経済学は利己心に基づく学問である。個人が私益だけを追求していれば価格メカニズムという神の「見えざる手」に導かれて社会的な最適が達成されるというのがその基本原理である。しかし現実の人間は利己心だけではなく利他心も持っている。より現実的に現実を分析するためには,経済学といえども利他心を考慮することが求められている。しかし利他心の利他心たる所以はその相互依存性にあるために,利他心を経済学に導入しようとすると,さまざまな困難が出現する。本論は経済学に利他心を導入するための課題を,先行業績をサーペイしながら考察したものである。まず利他心は何故生まれ得たか。進化論的に考えれば,利己主義の方が利他主義より個体の生存を維持するのに適しており,利他心が利己心を抑えて生き残れる理由がない。しかし,自然淘汰が個体だけではなく,その集団にも作用すると考えると,利他心の発生は説明できる。集団は利他的なメソバーが多いほど生存適性が高くなるからである。進化論では,一般的には「集団」を自然淘汰の対象としての「有機体」とは認めていないが,その一派である多段階自然淘汰論では,「集団」も「個体」と同じく自然淘汰の対象たり得るとする。一方社会学では,人間集団はその集団に個有の「文化」を持つことで,一つの有機体となっているとされている。「文化」こそその集団の「遺伝子」である。社会学の成果に鑑みると,集団は有機体として機能していると見るべきであり,筆者もその立場を取るものである。多段階自然淘汰論による利他心の発生をより厳密に論証するのが,進化論とゲーム理論を合わせた進化論的ゲーム理論である。人間は自他の利害が対立する社会を生き技かなければならない。協力すれば社会的に望ましい結果を作れるのに自他の利害が対立してそれができない状況は「社会的ジレンマ問題」と称される。それをゲームで表したものが「囚人のジレンマ」である。囚人のジレンマでは非協力解がNash均衡となるが,それに一定の条件をつけると,協力解がNash均衡となり得る。社会的ジレンマの中からも利他心が生まれ得るのである。その条件は,ゲームが一回限りで終わらず何回も繰り返されること,相手を識別してゲームの相手として協力的な相手を選べることなどである。現代社会では「市場」と「政府」だけでは十分対応できない問題が増えており,NPO/NGOの役割が高まっている。 NPO/NGOは利他心に基づいて自発的に形成された集団である。もっともそのNPO/NGOも利他心を補強する仕組みとして利己心も利用している。それは地域の助け合いを支えるために奉仕に若干の報酬をつける地域通貨である。また政府も規模の大きい中央政府よりも規模が小さく,住民により密着した地方政府の役割が高まっている。地方政府も中央政府と同じく強制に基づいて作られる集団であるが,規模が小さいだけ,メンバーによる監視やメンバー間の連帯意識が強く,メンバーのニーズに沿った行政が可能となる。地方政府とNPO/NGOは異なる原理に従うので,両者の間には緊張関係も生まれるが,市場原理の足りないところを補うと言う面で両者は補完・協力する役割がある。経済学が利他心を取り扱う一つのアプローチは「信頼」を社会資本と見なすことである。信頼をグループヘの参加度や価値観のアンケート等で指標化した研究によると,途上国の経済発展のためにも先進国の経済効率を高めるためにも信頼が大きな役割を果たしている。より本格的に利他心を経済学に導入するには,経済学の基礎をなす効用関数に相互依存を導入しなければならない。先駆的な研究によれば,利他心の存在は利害対立を緩和はするが解消はしない,利他心に基づく解決が市場に基づく解決に劣る場合もあり,それが市場を発生させる契機となる,等の知見が得られている。一方複雑系の経済学でも行動主体間に相互作用を仮定してシミュレーションを行うことにより,景気循環や株のバブルの発生を説明したりしている。以上のように利他心を経済学に導入する試みはいろいろなされている。しかし利他心の本質である「相互依存性」のために,実証的には勿論,理論的にも現実的な政策提言ができるまでの十分な成果が蓄積されてはいない。利他心を経済学に導入する研究は外部性,収穫逓増,非対称情報等の研究と軌を一にすべきものと考えられる。筆者も強い関心を持ってフォローしていきたい。