著者
本間 正人
出版者
埼玉大学大学院経済科学研究科
雑誌
博士論文(埼玉大学大学院経済科学研究科(博士後期課程))
巻号頁・発行日
2014

本稿では,軍需品の調達価格決定に用いられた原価計算の歴史について,第1部では戦時中の軍需品調弁と原価計算について,第2部では戦後の装備品調達と原価計算についてそれぞれ考察を行い,第3部では戦時中から戦後にわたる,利子・利益の概念及び計算方法の変遷について論述している。 軍需品の調達に用いられた原価計算については,現在まで会計制度史からのアプローチが主であり,そのルーツや実際に制定された各種規程がどのように運用されていたか等については,現在までほとんど顧みられていなかったと言える。本稿では,軍需品の調達価格決定に用いられた原価計算の歴史を通史として俯瞰し,戦時中から現代までの発展状況について明らかにすることを大きな柱とし,そこに5つの課題を設定し,考察・解明を試みたものである。 まず,第1の課題は,軍需品調弁に用いられた原価計算制度のルーツ及び調弁価格算定時の特徴を明らかにすることである。第2の課題は,軍が原価計算規程を整備した目的,民間より徴集した原価データ等の活用方法,陸海軍における原価計算に対する考え方,運用の違いを明らかにすることである。第3の課題は,陸軍の軍需品調弁要領の変遷を明らかにするとともに,実際の運用について考察することである。そして第4の課題は,戦時中及び戦後の会計学者と軍,自衛隊との関わりあいについて考察することである。最後に,第5の課題を,戦時中における利益率の計算手法が現在も妥当なのか考察することとし,現在まで顧みられていなかったこれらの課題について,関係各章で考察し,以下の結論を導出している。 課題1について 軍需品調弁に用いられた原価計算制度のルーツ及び調弁価格算定時の特徴を明らかにするという課題については,軍需品調弁に用いられた原価計算制度のルーツに関して主に第1部第1章で,特徴については第1部第1章及び第3部第3章でそれぞれ考察した。 形式的なルーツは第1次世界大戦中のイギリスの原価加算契約に,モデルは第2次世界大戦前夜におけるドイツの原価計算制度にあると思われる。附加利益率(適正利益)の計算にあたり,欧米には見られない資本利益率を資本回転率で除す(傍点は筆者)という特徴のある方法を採用し,それにより軍需品価格の低下を実現しつつ,軍需企業に設備投資インセンティブを与える形で生産力の拡充を図ろうとしていたと考えられる。 経営資本利益率/経営資本回転率 は,経営資本回転率が 総販売高原価/経営資本 であるため,計算式を展開すると,経営資本利益率×経営資本/総販売高原価 となる。分子部分に注目すると,経営資本利益率は業種毎の固定値に近いため,経営資本が増加すれば増加するだけ利益率が高くなる計算構造と言える。これは,生産力拡充の観点から,設備投資を行った分だけ利益額を増加させるという,陸軍の隠れた意図があったと考えられる。 課題2について 軍が原価計算規程を整備した目的,民間より徴集した原価データ等の活用方法,陸海軍における原価計算に対する考え方,運用の違いを明らかにするという課題については,軍が原価計算規程を整備した目的,民間より徴集した原価データ等の活用方法に関し,主に航空機関係を対象とした考察を第1部第2章で行い,陸海軍における原価計算に対する考え方,運用の違いに関しては,第1部第4章で考察した。 軍需品の調弁では,将来の調弁価格決定のための基礎データを得る目的で原価計算を強制しており,各軍需企業が原価データから作成した見積原価に基づき,過去の提出データと突合し原価逓減を考慮した上で,必要な附加利益を加えて調弁価格を決定していた。 航空機は重要な主戦兵器であった関係上,海軍および陸軍でそれぞれ工廠用原価計算規程と民間メーカー用原価計算規程を作成し,原価データ等の突合を可能にしていた。特に,海軍では特定原計標準と航空機細則で平仄を合わせ,コンポーネント単位での比較対照を可能にしており,工廠の原価データ等を重要視して調弁価格を決定していた。これに対し,陸軍では,コンポーネント単位ではなく,機種単位であり,陸軍航空工廠規程の原価データ等に関する報告間隔から判断すると,民間メーカーの原価データ等の方を重視していたようである。このような違いはあったものの,海軍陸軍共に工廠データと民間メーカーデータを比較対照した上で,調弁価格を決定していたのである。 陸軍では,原価計算に基づく原価に適正利益を附加する適正価格主義(形式的には原価加算契約に該当)が,1941(昭和16)年度より本則となっている。これに対し,海軍では,「契約番号別原価報告書」に基づき,契約担当官がそれを確認して次回の契約金額に反映させる仕組みとなっていた。また,陸軍は大量の軍需品を充足する必要から,個別企業毎にそれぞれ必要な原価と利益による価格で調弁し,業種平均の原価データと比較して順次能率を向上させていく考えであった。これに対し,海軍では調弁品の平均原価以下の場合に利益が出る価格とし,その平均原価を超える軍需企業が,能率を向上させ自発的に原価低減を図るよう仕向けていたようである。 このような思想・運用の違いは,有事に急激に軍需品の調弁量が増加する陸軍と,平時と有事に陸軍ほど極端な差が生じない海軍の違いから出たようである。陸軍の場合,有事になると普段調弁していない軍需企業からも調弁を行うようになる。しかし,このような企業はえてして能率が低い上に原価が高く,海軍のような調弁を行うと赤字に耐えられず撤退してしまい,必要な軍需品整備に支障が生じるため,個別に価格を設定する必要があった。これに対し海軍は,普段から海軍購買名簿登録会社を利用し,能率把握を行えたことから,能率の似たような軍需企業を一つのグループにまとめ,それぞれのグループの調弁価格を単一とするグループ単一価格制を採用できたものと考えられる。 課題3について 陸軍の軍需品調弁要領の変遷を明らかにするとともに,実際の運用について考察するという課題については,第1部第3章で考察した。 軍需品調弁要領の方針の変遷を追っていくと,14年度要領及び15年度要領にあった「調弁価格の低下」や「低物価の維持」という文言は,緊急要領以降,一切見られなくなり,所要の作戦資材を確保するため,適正な調弁価格,いわゆる軍需企業の利得心を利用した高利益施策により,生産増強を図ろうとしていたことが読み取れる。また,軍需品調弁要領自体も,調弁価格の決定方法に関する内容だけではなく,調弁実施要領や契約実施要領も含み,工場経営の合理化や下請工場の組織化等を指導すると共に,前金払や概算払を積極的に行い,軍需企業の金融支援まで行っていたのである。 陸軍省自体は,必要原価に附加利益を割り増す形で軍需企業の生産増強を意図する施策を行おうとしていたにもかかわらず,実際の調弁現場では,96式自動貨車や重修理車の例が示すとおり,そのような運用がなされていなかった。会計監督官が算定した本来軍需企業に支払われるべき調弁基礎価格よりも,軍需企業が申請したさらに低い予定販売価格を調弁官が採用して契約を締結していたのである。実際の調弁現場からすれば,調弁価格を抑えた方が限られた予算内で調弁数量を増加させられるため,その心情は理解できないものでもない。しかし,96式自動貨車や重修理車を製造していた2社の社内留保額をみる限り,陸軍省の意図した個々の軍需企業の生産増強に,直接結び付かなかったのではないかと考えられるのである。 この点に関しては,自身も陸軍の主計科将校として従軍経験のある電気通信大学名誉教授君塚芳郎も,軍需品の適正価格を決定するすばらしい規則が存在していたものの,実際のところ,時々無視されていた事例を次のように述べている。原価計算を学んだゼミの先輩が陸軍に召集後,大阪に配属され,そこでコストを下げるのは面倒な規則ではなく,「一丁まけてんか」と業者の肩を叩けば良いのだと,上官から教わったという。このような事例が生じたのは,もともと原価計算を教えている大学や専門学校が少なかったことと,太平洋戦争後の戦線拡大に伴い,主計将校となる召集者の数が増加し,質が追い付かなかったことに原因があるようである。 課題4について 戦時中及び戦後の会計学者と軍,自衛隊との関わりあいについて考察するという課題については,戦時中の関わりあいに関し第1部第1章で,戦後の関わり合いに関し第2部第2章において,それぞれ考察した。 陸軍では,元東京帝国大学教授中西寅雄を中心とした4名がドイツ文献を参考に原価計算要綱等を起草し,わが国の企業風土に合致した原価計算制度を構築しており,海軍の原価計算制度は,主として東京商科大学教授(現一橋大学)太田哲三がサポートしていた。 戦時中の陸軍が目指した原価計算制度の構築とそれに基づく調弁に対して,中西寅雄が協力する形であった。しかし,戦後は,中西寅雄が日本生産性本部中小企業原価計算委員会で制定しようとしていた「適正利益計算基準」等に対し,陸上自衛隊が多大な協力と貢献を行っていた。これは,陸軍省経理局で一緒に仕事をした元主計少佐荒武太刀夫が,戦後陸上自衛隊に入隊し,陸幕監理部長(陸将補:旧軍で少将)となっていたためであり,日本生産性本部中小企業原価計算委員会で実務を担当していた埼玉大学助教授(当時)山口達良の下に,優秀な複数の旧陸軍主計将校経験者を派遣して協力していたのである。当時,陸上自衛隊の会計職種における佐官クラス以上は,旧軍の主計将校出身者が多かったようであり,その間で中西寅雄の名声は高く,皆が協力を惜しまなかったのではないかと考えられる。このように,陸上自衛隊は,戦後のわが国における中小企業の原価計算に関する基準の作成に寄与していたのである。 課題5について 戦時中における利益率の計算手法が現在も妥当なのか考察するという課題については,第3部第3章で考察した。 陸軍の構想として,もともと能率の良い軍需企業に対しては,生産力拡充のために設備投資を行うように利益率の計算式を設定し,能率の悪い軍需企業に対しては,業種平均と差がある場合に100%の利益を認めず,能率向上のインセンティブとし,さらに原価計算に基づくデータから能率向上を指導できるように,各種規程を整備したものと考えられる。このように,陸軍は,資本利益率を資本回転率で除する手法,資本回転率の差額の 1/2 を加減する手法,業種平均製造原価以下の場合,その差額の 1/3 あるいは 2/3 を報奨として与える手法の3つを三位一体として運用することにより,原価を低減しつつ生産力の拡充を図ろうとしていたのである。 表3-3-7に示したように,表中のどの企業も1955(昭和30)年より固定資産は順調に増加しており,生産力の拡大を目標とする戦時中の資本回転率で除する手法も有効であったと言える。また,昭和50年代まで資本回転率の差額の 1/2 を加減する手法も行われており,1950年代後半からの高度経済成長期中は,戦時中の手法をそのまま適用しても何ら問題はなかったと考えられる。これに対し,最近ではどうであろうか。表3-3-8に示したように,固定資産に関し重工系と電機系では,全く異なった動きを見せている。重工系では,三菱重工業を除き表3-3-7と同様に1955(昭和30)年代前半と同じ動きをしているのに対して,電機系は,三菱電機と日立製作所を除き2009(平成21)年よりマイナス基調となっており,日本電気と東芝の落ち込みが著しい。このような業種や企業の違いによって,極端に固定資産の上昇傾向と下降傾向が明確に分かれている状況で,戦時中と同様の資本回転率で除す手法を一律に適用することは,果たして有効であろうか。現在においては,重工系だけが特に有利な手法となっていると言える。高度経済成長の段階で,生産性も大幅に上昇し,かつ,現在では生産設備も十分な量を備えている状況であり,戦時中の生産力拡充を目的とした利益率の計算手法は,もはやそぐわなくなっていると言えるのではないだろうか。利潤率要領から既に70年以上が経過し,当時の社会経済情勢と現在では,状況が大幅に変化しており,新たな利益率の計算方法を検討する段階に入ったのではないかと考えられる。 今後の課題としては,次の4点が挙げられる。まず1点目は,陸軍の原価監査の実態を解明することである。本稿では,原価計算に基づく原価データ等に附加利益率(適正利益率)を附加して調弁価格を決定する手法とその運用実態に焦点を当てていたため,原価監査は顧みていない。調弁価格の決定と原価監査との関係は,いうなれば車の両輪にあたるものであり,今後,原価監査について詳細な考察をする必要がある。 2点目は,海軍の調弁実態を解明することである。第1部第4章で簡単に触れてはいるものの,2次資料によるものであり,1次資料に基づいたものではない。これは,陸軍と異なり海軍の調弁関係資料自体の現存数が少ないことによる制約である。しかし,この悪条件に甘んじることなく,資料収集を行い,海軍の調弁実態を解明する必要がある。特に,海軍は原価管理による能率の向上を目指していたことから,1点目の陸軍の原価監査と対比して考察する必要がある。 3点目は,陸軍の調弁手法である,個別企業の総原価に利益率を乗ずる「適正価格主義」が,戦後の防衛庁・防衛省の調達価格決定手法に連綿と継承されている理由を明らかにすることである。海軍では,「契約番号別原価報告書」に基づき,契約担当官がそれを確認して次回の契約金額に反映させる手法が採られていた。しかし,なぜ海軍の手法が採用されず,陸軍の「適正価格主義」だけが戦後に継承されていったのか,理由が不明である。今後,この理由を明らかにする必要がある。 4点目は,利益率の計算手法を今後どう行うべきかについて,一定の結論を出すことである。課題5の「戦時中における利益率の計算手法が現在も妥当なのか考察する」に関しては,利潤率要領から既に70年以上が経過し,当時の社会経済情勢と現在では,状況が大幅に変化しており,新たな利益率の計算方法を検討する段階に入ったのではないかとの考察結果を出した。しかし,利益率の計算手法をどうすべきかについての考察は手つかずのままである。今回は,そこまで考察できなかったものの,利益率がわが国の財政及び防衛にもたらす影響は甚大であり,避けては通れない問題である。今後も検討を続け,一定の結論を出したいと考えている。