出版者
筑波大学農林学系
雑誌
筑波大学農林社会経済研究 = Memoirs of Institute of Agriculture and Forestry, the University of Tsukuba. Rural economics and sociology (ISSN:09140271)
巻号頁・発行日
no.25, pp.1-43, 2008-03

敗戦直後の農地改革を末端農村で実行したのは市町村農地委員会であった。農地委員会は、制度上は「行政庁」であり「一種ノ国家機関」とされたが、他方で農政担当者は農村民の自主的組織であることを強調した。つまり農地委員会の業務は法令により規定されていたにもかかわらず、一定の枠内で法令を運用する自由裁量の余地が与えられていた。このことは農地委員会が法令を執行する「行政作用」とともに「準立法的作用」、「準司法的作用」を行使する行政委員会の一つであったことを示している。本稿は、小作地引上げ、耕作権移動を中心に農地調整の意味内容を村の改革実行体制、とくに農地委員会運営をめぐる農民団体と地主団体との関係に焦点を絞って検討しようとする試みである。取上げる対象地は長野県南佐久郡桜井村であるが、ここは改革当時、農民組合と地主会の対立激化から地主委員がリコールされた村として注目された。しかし紛糾を見た本村ですら、当時の社会経済的混乱や村の農地・農家事情に即した農地調整が図られ、一見して急進的な農民組合運動にも耕作者利益とともに農村民全体の利益の確保と調整をめぐる地道な活動が伏在していた。改革遂行過程に埋め込まれていた「共に生きる」ことを目指す農地調整の意味内容を、その限界も含めて明らかにしたい。