- 著者
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田中 晋平
- 出版者
- 日本映像学会
- 雑誌
- 映像学 (ISSN:02860279)
- 巻号頁・発行日
- vol.109, pp.89-108, 2023-02-25 (Released:2023-03-25)
- 参考文献数
- 23
1974年に大阪で安井喜雄たちが創立した《プラネット映画資料図書館》は、映画のフィルムや関連資料の収集・保存に加えて、自主上映活動を続けてきたグループである。本論では、筆者が〈神戸映画資料館〉で担当した《プラネット》に関する資料(自主上映会のためのチラシや機関誌など)の整理作業を踏まえ、1970年代半ばから1980年代後半までに開催されたその上映活動の歴史的な役割を考察する。具体的には、《プラネット》の上映を実現してきた人間およびモノのネットワークに注目し、自主上映と新たに勃興したミニシアターなどの映像文化との差異を明らかにしたい。まず《プラネット》の前身となる上映活動として、1960年代末に結成された《日本映画鑑賞会OSAKA》の時代に遡り、関西における自主上映の地層を検討する。次にフィルム・コレクターや他の上映グループとの関係性を構築しながら、《プラネット》の活動が展開され、国内外で製作された古典的映画、アニメーション、ドキュメンタリー映画、実験映画・個人映画におよぶ多様な作品が上映されてきた経緯を確認したい。また論点として、自主上映グループが、モノとしてのフィルムをいかに確保し、活動を行ってきたのかに着目する。さらに1980年代後半に《プラネット》が関わった「OMSシネデリック」のシリーズなどを取り上げ、自主上映の活動とミニシアター文化との差異について論じる。