著者
木村 英明
出版者
日本重症心身障害学会
雑誌
日本重症心身障害学会誌 (ISSN:13431439)
巻号頁・発行日
vol.41, no.2, pp.183, 2016 (Released:2020-08-08)

人類が誕生して以降、地球環境はめまぐるしくその姿を変え、人類の進化に大きな影響を与えてきた。「常春の大地」にあこがれる文明人・古代ギリシャ人の壮大な極北への冒険は、想像を絶する酷寒の自然に阻まれるが、それよりもはるか悠久の昔の氷河時代に人類がこの極北に入り込み、豊かな生活を繰り広げていたことが知られている。人類のダイナミックな移動、交わり、変遷を北海道の考古学を軸に据えつつ紹介したい。 1.氷河期の極北に挑むホモ・サピエンス マンモスが、地下に棲むモグラとして生きながらえてきたことを極北の民が語りついできた。マンモスは真に絶滅したのであろうか? 今から3万年ほど前の大昔、私たちの直接の祖先であるホモ・サピエンスが、北方ユーラシアに広がり、やがて日本列島やアメリカ大陸に足跡を残す。氷河期の酷寒の地で、マンモスの牙を巧みに利用する驚くべき技の持ち主たちが、北海道に及んだ可能性を追う。 2.黒曜石はるかな旅 人類は、道具を製作し、巧みに使いこなす類い稀な生物である。700万年間に及ぶ長き人類進化の歴史も、道具の発達に支えられてきたと言えよう。道具にふさわしい石材を求めて、人びとははるかな旅を続けてきた。北海道のオホーツク海に近い遠軽町・白滝赤石山(標高1147m)は、天然の火山ガラス、黒曜石の日本最大級の産地で、日本ジオパークに認定されているが、原産地の様子とともに、本州やサハリン・シベリアにまで運ばれる黒曜石と先史時代の人類の営みを紹介したい。 3.縄文時代のおしゃれと死への祈り 人類が人類である理由のひとつに、死者を埋葬する行為を上げることができよう。埋葬は、いつ始まったのか? 何故、わざわざ埋葬するのか? また、埋葬された人々には、当時の服装やおしゃれの姿を残す貴重な事例が知られているが、縄文人のおしゃれはどのようなものであったのか? 北海道にのみ分布が知られている巨大で、計画的な竪穴式集団墓を始め、恵庭市カリンバ遺跡で発掘された貴重な合葬墓の例に見られる埋葬の様子を紹介しつつ今から3000年ほど前の縄文人の他界観、優れたファッションの一端を探る。 4.北に広がるヒトとモノの交流 縄文時代以後、本州の稲作農耕文化から切り離された「停滞する北海道の文化」というイメージが広く、また長い間にわたって固定化されてきた。しかし、続縄文時代以降も、狩猟、漁撈を主体とした自律的な経済・文化を繁栄させてきた。一方で、本州からの強い文化的影響を受け、さらには北方の人々との交わりを通して独自の文化的変容を遂げてきた。続縄文や擦文文化、オホーツク文化の住居構造や道具、装身具などの変遷を通してその実態を探る 5.日本列島での人類進化史をめぐる論争と現状 アウストラロピテクス・アフリカヌスの化石を発見した人類学者・R.ダート博士が、人類は「殺し屋のサル」であると称した。事実、世界史に刻まれる民族・人種間の争いは枚挙にいとまがない。とすれば、人類の未来は無きに等しい。 日本列島に目を転ずると、アイヌ復権に向けて事態は大きく改善されつつある昨今であるが、日本人とは何か、アイヌ人とは何か、奥深い理解なくしての表面上の国策のみではなお心もとない。講演のまとめとして、明治期以来、人類学者、民族学者、言語学者などによって繰り広げられてきた「人種論争」の今日的到達点はいかなるものであるか、北海道の考古学の立場から展望する。 略歴 史学博士、ロシア科学アカデミー名誉博士。1943年、札幌市生まれ。1967年、明治大学大学院修士課程文学研究科修了。札幌大学文化交流特別研究所助手、文化学部教授、同大学大学院文化学研究科教授、同学部長・研究科長等を歴任、2008年に退職。国内を始め、イラク、ロシア等での考古学調査に従事。現在、白滝ジオパーク交流センター名誉館長、ロシア科学アカデミー考古学・民族学研究所特別研究員他。著書『マンモスを追って』(一光社)、『シベリアの旧石器文化』(北海道大学図書刊行会)、『まんがでたどる日本人はるかな旅』(監修、NHK出版)、『北の黒曜石の道―白滝遺跡群』(新泉社)、『氷河期の極北に挑むホモ・サピエンス』(雄山閣)他。

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