著者
藤井 優子 上野 忠浩
出版者
日本重症心身障害学会
雑誌
日本重症心身障害学会誌 (ISSN:13431439)
巻号頁・発行日
vol.44, no.2, pp.369, 2019 (Released:2021-10-30)

幼いころ誰もが好きだったブランコ。風を切り揺れる感覚は何とも気持ちのいいものでした。重症心身障害児や座位保持が不安定な肢体不自由児にも、療育の現場では様々な工夫をしながら揺れ遊びを提供してきました。しかし、ベルトやクッションを駆使しても姿勢の安定性に欠け、十分に揺れを楽しめず、抱っこでは子どもの表情が見えず、スピードの調整が難しい状況でした。 今回、横浜市リハビリテーション事業団30周年記念事業としてのプロジェクトに採択されたことをきっかけに、研究開発課とチームを組み、横浜市西部地域療育センターに屋外用車いすブランコ「リバティスイング」を設置し、さらに屋内用姿勢保持機能付きブランコを製作しました。 「リバティスイング」はオーストラリアで2000年に考案され、今やアメリカ、ニュージーランド、イギリス、フランス、スペインなど世界各地に広まっています。http://www.libertyswing.com.au/ 日本には岩手県一関市の遊水地記念緑地公園にあるオーストラリア日本友好公園に1台あるのみです。今回日本の輸入代行会社に依頼し2018年8月当センターの園庭に設置しました。 また、「姿勢保持機能付きブランコ」は、研究開発課と遊具製作業者で設計・試作を重ね、リクライニング可能な姿勢保持機能付き遊具(1号機)を完成させました。その後軽量化を目的とし別のメーカーと研究を行い、介助者一人で取り付け可能な製品(2号機)を完成させました。現在は当療育センター通園のお子さんを中心に日常の療育の中で使用し未定頸のお子さんから、自閉症や知的障害で運動面に障害はないものの持続的な姿勢の保持が苦手なお子さんも、安定した姿勢の中で揺れを楽しむことができ、保護者や療育者も安心・安全に遊びを提供する幅が増えました。 申告すべきCOIはない。
著者
野田 聖子
出版者
日本重症心身障害学会
雑誌
日本重症心身障害学会誌 (ISSN:13431439)
巻号頁・発行日
vol.45, no.1, pp.81-84, 2020 (Released:2022-08-03)

「医療的ケア児」という耳慣れない言葉があります。今日は市民講演ということで、専門的な方もいらっしゃいますし、同じ医療的ケア児の親御さんもいらっしゃいます。そういう人からすると医療的ケア児というのはよくご存じの言葉ですけれども、この医療的ケア児が日本で定義づけされたのは2年前です。児童福祉法という法律が改正されて、医療的ケア児は障害児の一人で、「これからは医療だけではなくて、福祉や教育の場でもちゃんとみんなで支えていこう。」と定められたのです。だから、まだほとんどの皆さんがご存じないと思いますが、今日はぜひとも皆さんに医療的ケア児という言葉を認識していただければうれしいなと思いやってきました。 さて、障害というのは、本当にたくさんあります。日本では15年前に発達障害という障害が認知されて、今、申し上げた医療的ケア児が新たな障害児(者)の仲間として法律で定義づけされたのが2年前です。 私の息子はどうかというと、身体障害があり、0歳のときに左脳に血栓が直撃し脳梗塞を起こしたことで右半身麻痺となり、病院からは「おそらく一生寝たきりだろう。」と言われておりました。そして、仮死状態で産まれたことや脳梗塞の副作用もあり、中度の知的障害もあります。身体障害も2級(1級と2級の間ぐらい)で知的障害は中度なのに、なぜ超重症児と呼ばれているのかというと、医療的ケア児に指定されているからです。 これから医療的ケア児について説明をしていきたいと思いますが、私の息子は重複の障害児というふうにご理解いただければと思います。今日のテーマは「医療的ケア児って何だろう」ということですけれども、法律が改正され、ある程度の定義ができています。実は医療的ケア児は、皆さんが知らず知らずのうちにどんどん増えています。もともと重心の子どもたちの中にも、当然、人工呼吸器を使っている子もいれば、自分でモグモグゴックンができない子は胃瘻を使ったり、お鼻から栄養を入れたりしています。こういう子もすべて医療的ケアの枠組みの中に入ります。そのため、突然現れたわけではなく、昔から重心の子どもたちの中には医療的ケアに支えられている子どもたちは沢山いたわけです。 しかし、今回改めて医療的ケア児として定めなければならなかったのは、医療的ケアが必要で一般的な社会生活を送ることに差し支えがあるにもかかわらず、社会福祉を受けられない子どもたち。つまり、私の息子もそうですけれども、重症心身障害の子と違うのは、たとえば寝たきりではないとか、知的にはIQが70以上あって通常の知能を持っているとか、そういうふうになった途端、福祉の枠から外れてしまっていたので、「これは大変だ!」ということになりました。 もう一つは、今、少子化の中で、1人でも多くの小さい命を助けようということで、医療がすごく進歩しています。子ども病院の中には必ずNICUという集中治療室があって、小児科の医師や看護師さんやスタッフの方が24時間懸命に医療を施してくれます。たとえば、350ccのペットボトルぐらいの子どもが産まれたときに、10年前だったら救えなかったであろう命も、今は救うことができるんです。 それで、仮に病院の中であれば一生医療ケアを受けて安全に暮らすことができるのですが、さすがに医療の中でそこまで責任は持てないので、何らかの支えがあったら社会で暮らせるという状態になった途端に病院を卒業することになり、いきなり家が病室と化します。 医療的ケア児を法律で定めたのですが、生きていくために日常的な医療的ケアが必要な子で、一般的に多くの人たちが想像する最期の瞬間に施されるものが医療的ケアだと思ってください。あと1週間延命するためにおなかの中に栄養剤入れますとか、あと1週間生かすために気管切開しチューブを入れて人工呼吸器を装着しますとか、そういうものが医療的ケア児たちが日常的に受けている医療ケアなのです。これまでは、最期の最期のために使われる大道具だったのが、近年医療が進歩して、医療的ケア児が生きていくための小道具化としているわけです。残念ながら一般的には、医療的ケアをしていると聞いただけで敬遠されてしまうのが現状なので、そこのギャップを縮めたくて今日はここまでお邪魔したわけです。 とにかく、子どもたちはたくさんの可能性を持っていて、それを握りつぶしてはいけないのです。高齢者の在宅介護と子どもの在宅介護、同じように思うのですが、無限の可能性を持つ子どもに対しては、高齢者と同じようなケアでは駄目だという意識を持って向き合ってほしいなという思いでおります。 今、申し上げたように、呼吸、肺がちっちゃかったり心臓が悪かったり、そういう不全のところを補うために、人工呼吸器を付けて生きていく子どもたちがいます。二つ目には、さまざまな障害でご飯が食べられない子は、胃瘻を開けたり、お鼻から管を入れて、そこから直接栄養を送り込むという形で栄養を取り育てられています。 こういうものを使っている子どもたちを総じて、その子が重度であろうとなかろうと、ベースメントとして医療的ケア児と呼ぶことになり、この子たちもこれまでの身体障害や知的障害や精神障害や発達障害の子と同じように、差別なく地域社会の福祉の力を借りてちゃんと生きていけるように、首長は責任を持たなくてはいけないということで2年前から検討が始まりました。 しかしプライバシーの問題で、医療的ケア児の様子がなかなか見えないので理解してもらえないことが多いのです。大島分類という障害の判定基準がありますが、寝たきりで重い知的障害の子は確実に守ろうというのがこの国の福祉の形。ところが、お医者さんたちが頑張ってくれたお蔭で生きることができた医療的ケア児の場合は、歩くことができる、走ることができる、そして頭もまあまあ、足し算、掛け算もできるとなると、今までの福祉の枠にははまりません。しかし、歩くことができても、人工呼吸器が外れたらその場で死んでしまうリスクのある子がこの世にたくさん存在しています。要は医療の進歩と福祉の進歩が相まっていないというところが問題で、これは全部法律によって適用させていかなくてはなりません。 日本は少子国家で、今後もその少子化のトレンドというのは変わらない。ところが、医療的ケア児というのは、医師のご尽力や子どもの生きる力や親の努力で、反比例にどんどん増えていくだろうと。今でこそ人工呼吸器や胃瘻程度ですが、補助心臓を皆さんご存じですか?心臓移植を控えた子どもが、移植を待っている間に補助心臓を付けます。これはとても大掛かりなもので、基本的には補助心臓を付けている子どもは入院しています。しかし医師たちの話によると、「このような子たちも、あと数年で病院の中ではなくて、家で生きられるようになるだろう。」と言われています。病院の中で生きるということは正常ではないのですから、子どもにとってはそれが一番良いことなのです。家族と一緒に育つということを、本当は国が責任を持って取り組まなくてはいけない。どんな子であっても、病院にいることがいいことではなくて、病院から一日も早く出してあげて、人として生かすことが大事。その対象になる医療的ケア児が、どんどん増えていることをご理解いただきたいと思います。 現在、学校の先生を減らすという話が出ていますが、こういう子どもたちが学校に入れるように、看護師さんを増やす等、ケアをしてくれる人を増やすという切り替えをしていかなければいけないのではないかと思います。 医療的ケア児に会ったことがない方も多いと思うので、今日はどのような子が医療的ケア児かというニュアンスだけでもわかっていただければ。国会議員の息子なので、どんどん社会の役に立たせようと、今日もこの場に息子を連れてきたかったのですが、学校があって残念ながら連れてくることができませんでした。そのため、息子の写真を見ていただくことで、いろいろな誤解や偏見や差別等を解いてもらいたくて。とにかく難しい説明より写真を見ていただいた方が理解しやすいかなと思い準備をさせていただきました。(講演では写真スライドで説明) 息子は生きていくために、赤ちゃんのときに気管を切開して人工呼吸器と酸素を入れていました。3歳までは24時間の人工呼吸器、酸素ということになりましたが、成長につれて自発呼吸がだんだんできるようになってきていて、現在は夜寝てから起きるまで、就寝時間だけ人工呼吸器のお世話になっています。 息子は産まれてすぐ仮死状態になり、口の中に人工挿管されて私のおっぱいも吸えませんでしたし、口から物を食べるということができなかったので、口は何のためにあるのだろうかとわからないまま育ちました。でも生きていくためには栄養が要るということで、最初は医師から処方されたツインラインという栄養を1回につき2~3時間かけて1日6回胃瘻からあげていました。こうなると親は睡眠もままならない人生を送るわけです。 あるとき夫が、「ツインラインを飲ませてもいいけど、真輝も人だろう。だから人間が食べる物も食べさせてみたいよね。」と言い出し、「じゃあ、手作りのミキサー食をやってみようか。」と、最初は医師に内緒でやりました。食材は30から40品目、旬の食べ物や調味料を工夫し、和食のようなテイストにしました。現在は1日、朝昼夜夜。7時、12時、17時、22時に60ccのシリンジ7本分のおかずとデザートをあげています。 (以降はPDFを参照ください)
著者
部谷 知佐恵
出版者
日本重症心身障害学会
雑誌
日本重症心身障害学会誌 (ISSN:13431439)
巻号頁・発行日
vol.43, no.1, pp.47-48, 2018 (Released:2020-06-01)

子どもの疾患に関する治療の決断は、親にゆだねられることが多く、特に、子どもに障害がある親はその決断を迫られる場面に遭遇する機会が多数ある。子どもは成長発達をしているため、治療や手術には適切な時期が必要でその時期を逃すと、治療や手術の意味がなくなることもあるため、親はすぐに答えを出さなければいけない状況に立たされるのである。 私は家族として、医療者として甥航大の股関節の手術を決断する妹を支えてきた。その体験より感じたことを以下に述べる。 5人家族の長男で、特別支援学校に通う航大は低酸素性虚血性脳症で産まれ、脳性麻痺でてんかんの発作がある。1歳ごろより誤嚥性肺炎で入院することが年に何度かあった。下のきょうだいが生まれたころより食事がうまく取れず体重減少がみられ、検査で胃食道逆流症と診断されたため、4歳のときに腹腔鏡下噴門形成術、胃瘻造設術を受けている。小学校に上がるのを機に家族は、名古屋市から両親の実家のある岐阜県の山間部に引っ越した。自宅から、40分ほどかけて学校に通う新しい生活が始まり、主治医も変わった。前医よりいただいた紹介状を持って、初めて整形外科を受診したその日、医師より今すぐに股関節の手術をしなければいけないと言われた。股関節の状態や手術についての母親が理解できるような詳しい説明はなく、術後10歳ぐらいまで外転装具が必要であることが話された。そして、早急に手術の日程を決めて予約を入れるよう言われた。初めて受診をした日に急に手術のことを告げられて、母である妹は苦悩した。今までかかっていた整形外科では亜脱臼はしているが、定期的に状態を見ていけばいいと言われていた。初めて会う医師の診察、本人も母親も緊張する。そこで告げられた手術の宣告。脳性麻痺で、ひとりで座ることも寝返りもできないのに股関節の手術が必要なのだろうか。きょうだい3人、岐阜という新しい環境での生活が始まったばかりなのに今すぐ手術を受けないといけないのだろうか。手術をすれば治るのだろうか。様々な思いを抱えながら、時間だけが過ぎていき、家族は決断を迫られた。特別支援学校で看護講師として勤務していた私は、相談を受け、すぐに職場の教員や看護講師など障害のある子どもたちをたくさん見てきている人たちに相談した。また、看護学生時代の恩師や知り合いの看護師にも相談した。妹も、以前通っていた施設のスタッフ、現在通っている施設のスタッフ、動作法や静的弛緩誘導法といった学習会や患者会で出会う先輩ママさんたちに相談した。手術に関する意見は分かれ、なかなか決断することはできなかったが、様々な立場の人々に意見が聞けたことは有益であった。股関節の手術や入院生活、術後や将来のことについては小児専門看護師が丁寧に説明してくれた。説明を聞くことで、手術や入院生活がイメージでき、漠然とした不安が減少した。 手術や入院生活がイメージできるようになった私たち家族はセカンドオピニオンを受けることにした。セカンドオピニオンを受けるために受診した病院の医師からは、今の状態や今後起こりうる可能性のある股関節の痛みのことなど、なぜ今手術をしたほうが良いのかについて丁寧でわかりやすい説明があった。看護師など病院のスタッフも診察に同席し、診察後には温かい言葉をかけてくれた。そんな、医師や看護師、施設のスタッフに出会えたことで、私たち家族は手術を決断することができた。手術は無事に終了し、術後の経過も良好である。 私たち家族は、周りに相談できる環境があった。同じ思いを経験し悩みを聞いてくれる障害児をもつ母親たちや親身になってくれる専門職に出会えた。その結果、多くの情報や知識の中で自分たちが最良と思える方法として股関節の手術を受けるという決断をすることができた。 現在、子どもをもつ家族の中には、手術や治療の決断を迫られてもその意味や必要性が理解できず、手術や治療の選択ができない、結論が出せない家族がたくさんいると思う。また、専門的知識のある相談相手を探し出すことは家族だけでは難しい現状がある。そこで、治療や手術の決断の際、不安や心配を打ちあけることができる場として、看護師を含め受診に関わる多くの職種の方に相談できる体制があると家族は救われると思う。家族だけでは病気や障害について正しい知識を持ち合わせた支援者や理解者を見つけるのが難しい。子どもと家族が手術や治療を決断し、大変な時期を乗り越えていける力を持てるような支援の輪が広がってほしいものである。
著者
徳光 亜矢
出版者
日本重症心身障害学会
雑誌
日本重症心身障害学会誌 (ISSN:13431439)
巻号頁・発行日
vol.42, no.1, pp.35-43, 2017-04-01 (Released:2019-04-01)
参考文献数
2

重症心身障害児(者)(以下、重症児(者))における経腸栄養は、対象となる重症児(者)の特徴を考慮した上で、多くの種類がある経腸栄養剤から適切なものを選ぶ必要がある。あらかじめ知っておくべき経腸栄養剤の特徴として、窒素源、含有する栄養素とその含有量、濃度、用途などが挙げられる。一方、対象者の特徴として、排便状況、摂取カロリー、低アルブミン血症の有無、流涎や発汗の多寡などを考慮する必要がある。経腸栄養が下痢やダンピング症候群などの原因となることもあり、症状にあわせた経腸栄養剤の選択を行わなければならない。また、選択する経腸栄養剤だけでは不足が予想される栄養素については、欠乏症状を来す前に補充することが望ましい。
著者
雨宮 馨
出版者
日本重症心身障害学会
雑誌
日本重症心身障害学会誌 (ISSN:13431439)
巻号頁・発行日
vol.43, no.2, pp.238, 2018 (Released:2021-01-21)

重症心身障害児者(以下、重症児者)のアドバンス・ケア・プランニング(以下、ACP)は、がん患者と違い、急変の予測が困難であり行うべき適切な時期を見定めるのが難しい。成人在宅医療の現場でも、緩徐な進行をたどる神経疾患のACPは必ずしも行われていない現状がある。 しかし、実際に在宅療養している重症児者が急変し重篤な状態に陥ると、急性期病院で初めて会う医師から厳しい話を突然受けることになる。医師から事前に重篤な状態に陥る可能性を告げられていなかった場合、家族は「こんなことになるとは思わなかった」と当然混乱するであろう。急性期治療に従事する医師の負担感も大きく、「普段関わる医師が適切に病状を事前に伝えておいてほしい」といった希望が聞かれる。 重症児者の経過は乳幼児期の大変な時期を乗り越えると経過が緩徐であり、家族は身体に様々な問題のある状態を当たり前として受け入れながらともに生活していくため、家族の病識が薄れやすいといえる。ACPと構えて行うことは医療者にとって負担感のあることかもしれないが、重症児者のACPとして大切な一歩は、まず患者の現在の病状について家族と共有することである。 重症児者のACPの課題として、代理意思決定の問題が存在する。在宅医療では自宅に訪問するため、患者本人の病状のみならず、本人の療養環境や家族背景、教育や福祉の介入状況などが把握でき、それらを交えて関わるので、家庭の中での「○○くん/ちゃんとは」という患者の存在を共有しやすい。この子とどう過ごしたいかといった親の実際の希望を聞くことも多く、周囲の状況を交えながら、患者にとっての最善の利益を考えながら診療に反映することが可能といえる。ただ、患者の存在について共有するには時間が必要であり、在宅期間が短い乳幼児はACPが非常に難しいといえる。 家族が介護する中で抱える希望や不安に触れる機会も多い。在宅医療の依頼を受ける重症児者は医療的ケアが多く、介護者である親は子どもが急にSpO2が下がり顔色が悪くなったといったような命の危機を感じさせられる経験することも多い。自宅では実際に急変に家族のみで対応しなくてはいけないため、心肺停止といった状態に至った場合は実際に対応は困難といえる。在宅医療では終末期の緩和も含め自宅での看取りに対応することも可能であり、家族と関係をある程度築き情報提供した上で、実際にわが子が死に直面する状況に至った場合にどのようにしたいか、入院してどのような治療を受けたいのか、自宅で穏やかに過ごしたいのかといった方向性をある程度確認することも努力している。ACPとして、①本人の病状とそれに対し今後起こりうることと対応方法、②死に直面した状態の際には自宅でできる終末期の緩和方法や心肺蘇生についてといった内容を具体的に説明し、親の子どもに対する人生観や死生観、希望を踏まえ、どのような医療を望み、医療を受けどう生きてほしいのかをともに考えていく必要がある。 外来診療でのACPは、患者が肺炎等で入院し回復した後や知り合いの死などをきっかけに行っている。重症者の場合は長い年月を患者と過ごしており、介護している家族も年齢を重ねているため、適切な医療情報を提供すれば本人にどう生きてほしいかを語ってくださる方が多い。急変時は他院に運ばれることになるため、家族が悩んだ末に侵襲的な高度医療を望まないという場合には、十分に患者の病状を理解した上で家族が選択したことがわかるような意思表示の書類やカードを家族とともに作成し、急変の際に少しでも意向が反映されるよう支援している。 セミナーでは上記のことを踏まえ、①実際のACPのタイミングや方法について、②ACPの実際の難しさ、③DNARの意思表示支援カードについて、④ACPを事前に行い急変に至った事例等についてお話する予定である。 略歴 新潟大学医学部卒業 小児科専門医 東京大学医学部付属病院小児科、亀田総合病院小児科、都立小児総合医療センター神経内科等勤務後、島田療育センターはちおうじ(島はち)で障害児医療に従事し、現在はさいわいこどもクリニック在宅診療部で小児在宅診療を行い、島はちの療育外来で診療を行っている。
著者
岡田 喜篤
出版者
日本重症心身障害学会
雑誌
日本重症心身障害学会誌 (ISSN:13431439)
巻号頁・発行日
vol.38, no.1, pp.3-9, 2013 (Released:2022-05-26)
参考文献数
10

Ⅰ.はじめに 重症心身障害児(以下、重症児)とは、わが国独特の法律概念で、改正された児童福祉法第7条第2項によれば、『重度の知的障害及び重度の肢体不自由が重複している児童 (以下 「重症心身障害児」 という。) 』 と定義されている。ただし、わが国では、身体障害者ならびに精神障害者については、それぞれ法律上の定義が存在するが、知的障害児(者)の定義は存在しない。他方、国際的な動向として、知的障害の概念は変遷をたどっており、従来からの知能指数 (IQ)による程度分類から、支援の程度分類に移行しつつある。このため、重症児の定義における 「重度の知的障害」 とはどのような状態をさすのか明確ではない。また、このたびの法律改正により、重症児に関する従来からの慣例的な名称や制度も改められ、それゆえに、一部に混乱がみられるのも事実である。 たとえば、18歳未満の児童で、重症心身障害の状態を示す場合には、その人を 「重症心身障害児」 と呼ぶことは正しいし、それを略して 「重症児」 と呼ぶことも、注釈をつけるかぎりは差支えない。しかし、18歳・19歳の年長少年や20歳以上の成人に重症心身障害が認められる場合、この人たちを 「重症心身障害者」 と呼ぶことができるか否か、いまのところ法律的根拠は見当たらない。おそらく、『児童福祉法に規定される 「重症心身障害児」 に相当する状態の年長少年ないしは成人』 などと表現した上で、『ここでは、この人たちを 「重症心身障害者(ないしは重症者)」 と呼ぶ』 などと断わらなければならないと思われる。 さらに複雑なことは、従来からの重症心身障害児施設ならびに重症心身障害児(者)通園事業実施施設をめぐる状況である。前者は、児童福祉法に基づく児童の入所施設であるとともに、当時の児童福祉法第63条の3の規定によって、その入所対象は18歳以上の人も含まれていた。いわゆる「児(者)一貫体制」の施設であった。そのことと連動して、たとえば、在宅生活を送っている重症児も重症心身障害を伴う成人も、その障害に関する相談・判定・入所などに関しては、原則的に当該地域の児童相談所が中心的な役割を果たしていた。このたびの制度改革では、今までの 「重症心身障害児施設」 はその名称を失い、「医療型障害児入所施設」 となり、従来の肢体不自由児施設ならびに知的障害児施設の一つである医療型自閉症児施設とともに統合された。そして、これら施設の入所対象児は、それぞれの施設の選択に委ねられ、たとえば 「重症心身障害児を主たる対象とする医療型障害児入所施設」 などと表現されるようになった。これに対して、18歳以上の人が入所できる施設というのは、形式上、「療養介護事業所」 でなければならない。また、療養介護事業所は、医療法に基づく病院としての機能を備えなければならない。その対象は重症心身障害をもつ18歳以上の人のほか、肢体不自由者、自閉症者、および脊髄側索硬化症などの人であるが、医療型障害児入所施設と同様に、それぞれの事業所が 「主たる入所対象者」 を選択することになっている。 こうした新しい制度の発足により、現状はどうなっているのだろうか。それまでの重症児施設もしくは国立病院(国立高度医療センターを含む) は、すべて 「療養介護事業所」 の認可を得て、重症心身障害をもつ18歳以上の人を受け入れているのが現状である。現在のところ、上記以外の病院が療養介護事業所として認可され、そこに重症心身障害をもつ18歳以上の人が入所しているという事実は知られていない。 以上、重症児施設は、次のような変遷を経て現在に至っている。 ① かつて、重症児と18歳以上の重症心身障害をもつ人たちは、全く同じ法律によって 「児(者)ともに」 重症児施設に措置入所していた。 ② それが障害者自立支援法の施行に伴い、措置制度から契約制度へと移行し、適用される法律は 「児(者)二本立て」 となった。しかし、法改正に際して国会は付帯決議を行い、重症児施設については、従来同様の扱いをなすよう配慮を求めた。その結果、施設の実態は、従来同様に継続されたため、さほどの混乱はみられていない。 ③ 2012年4月からは、いわゆる 「つなぎ法」 が施行され、前述したような名称や仕組みには大きな変化が生じた。 ところが、こうした制度的大変革があったものの、現状をみれば、新たに 「療養介護事業所」 が誕生したという事実はなく、従来の重症児施設(国立病院機構および国立高度医療センターを含む)が、そのまま存続し、それぞれの施設と国立病院は、例外なく、重症児用ベッドと療養介護事業用ベッドを保有している。しかも、そのベッドは、それぞれが、重症児用であり、同時に療養介護用ベッドでもあるという状況にある。 以上、このたびの変革の経緯や仕組みを理解することは容易ではないが、重症児施設の現状をみれば、従前となんら変わってはいない。 従来の 「重症児(者)通園事業」 については、さらに付言しなければならないことがある。これは、法律に基づく事業ではなく、国および自治体による補助金事業として実施されてきたものである。そもそも、重症児以外の障害児(者)通園・通所事業の歴史は古く、いずれも法律に基づく措置として誕生したものであるが、重症児(者)の通園・通所だけは、障害の特殊性や対応技術の難しさなどから、制度化には慎重な検討が必要であった。結局、数年度にわたるモデル事業を経て、ようやく補助金事業として実施されるようになったものである。このたびの制度改定により、この事業も、他の通園・通所事業の中に組み込まれ、自動的に法定化された。法定化されたこと自体は喜ばしいことであるが、はたして、重症心身障害の特殊性や 「児(者)二本立て」 に由来する問題点などについては、入所施設と同様に課題が残る。 筆者は、このたび本学会の学術集会において、重症児に関する包括的な見解を述べる機会を与えられた。制度変革の直後で、なお混乱が続いている現在である。このような事態について見解を述べることも意味なしとはしないが、制度の説明に終始する怖れは免れないと思われた。それゆえ、本稿では、従来からの重症児福祉制度の本来的な意味をのべることに主眼をおき、それをもって今後の展望に資することを目指したいと願っている。 Ⅱ.重症心身障害の英語表記 日本重症心身障害学会は、1995年9月、わが国の法律概念である 「重症心身障害」 を表現する英文用語として 「Severe Motor and Intellectual Disabilities (SMID)」 を採択した1)。重症児に対しては、わが国だけが、法律に基づいて、その生活・教育・医療を渾然一体として提供している。その営みは、専門的にして総合的、組織的にして個別的、計画的にして臨機応変的な仕組みに支えられている。それゆえに、得られた知見は質・量ともに膨大で、経験知としても、福祉的実践としても、さらには学術性においても、貴重な価値を有するものである。加えてそれは、現在、世界中のいずれの国においても、得ることのできない唯一性を伴っている。この事実は、必然的に人類すべてに還元されるべきものと考えられ、国際語としての英語表記の必要性が認識されたのであった。 一方、わが国でいう重症児は、当然、他の国々においても多数存在する。それは、特に先進国といわれる国々において著しい。わが国ほどには体系的な制度や対応策が豊かでない状況の中で、それゆえにこそ真摯な努力を続けている人たちは少なくない。当然、重症児の名称もさまざまで、それは時代とともに変化もしている。筆者の知るところでは、1970年代に Profoundly retardedと呼ばれ、やがて1980年代には Severe Multiple Disabilities2)、そして最近では Medically Fragile Child とかMedically Intensive Child、あるいは Ventilator-dependent Child ないし Technology-dependent Child などとも表現されてきた。こうした子どもたちを何とかしようとして、国際学会でも関心を集めており、学会レベルでは Profound Multiple Disabilities (略して PMD) が標準的な名称になりつつあるように思われる。 Ⅲ.世界唯一の入所施設体系 すでに40年ほど前から、欧米諸国の障害児関係者は、日本の重症児制度、特に重症児施設を高く評価し、自国でも実現できたらと強く望んでいた。しかし、40年以上経た今日、どの国でもその願いは実現されていない。 (以降はPDFを参照ください)
著者
天江 新太郎
出版者
日本重症心身障害学会
雑誌
日本重症心身障害学会誌 (ISSN:13431439)
巻号頁・発行日
vol.43, no.1, pp.63-69, 2018 (Released:2020-06-01)
参考文献数
16

食物繊維は、難消化性炭水化物であり多糖類に属する。臨床では、水分保持作用と増粘作用を利用した便性の改善、胃食道逆流症、ダンピング症候群などの改善に用いられることが多い。近年の研究から、上記以外にも様々な作用が明らかになっている。食物繊維は腸内細菌の発酵により短鎖脂肪酸を生じることでエネルギーを産生する。発酵分解率により、0, 1, 2 kcal/gのいずれかのエネルギー推算値をとる。食物繊維から生じる短鎖脂肪酸は、主に酢酸、プロピオン酸、酪酸の3種類であり大腸上皮細胞のエネルギー基質となり粘膜増殖促進作用を示す。その他、骨格筋などの末梢組織へのエネルギー供給、大腸炎の抑制作用、GLP-1を介した糖代謝の改善、GLP-2を介した小腸粘膜上皮細胞の増殖促進作用が確認されている。経腸栄養のみが用いられている重症心身障害児者では、食物繊維が十分に投与できていない場合もあるため、腸管の状態を保全する観点からも配合されている食物繊維の量と質を確認し、積極的に活用すべき栄養素ではあると考えられる。
著者
田中 総一郎
出版者
日本重症心身障害学会
雑誌
日本重症心身障害学会誌 (ISSN:13431439)
巻号頁・発行日
vol.42, no.2, pp.77, 2017

第43回日本重症心身障害学会を、杜の都仙台で開催させていただくことになりました。今回のテーマは「重症心身障害児者のいのちを育むこころと技」です。ご家族、医療、福祉、教育、行政などさまざまな立場の皆さまが、大切に重症心身障害児者のいのちを育まれてきた、そのこころと技を持ち寄る場所になり、お互いのはげみになればうれしく存じます。本学会の会員は、医療職、教職、福祉職と幅広く約2,000人の先生方によって成り立っています。多職種連携のキーワードは、相手に対する「リスペクト」と「おおらかさ」といわれます。それぞれ受けてきた教育や専門とする分野は違っても、同じ方々の幸せを願っています。生命を守る医療の視点と生活の豊かさを創る教職と福祉の視点、この両眼を大切にしていきたいですね。教育講演では、長年にわたって重症心身障害教育に尽力してこられた東北福祉大学の川住隆一先生と、多職種連携や地域包括ケアなどこれからの在宅医療の考え方について医療法人財団はるたか会の前田浩利先生にお話しいただきます。平成23年の東日本大震災と平成28年の熊本地震の経験は、重症心身障害児者の防災に大きな教訓を残しました。シンポジウム1「災害に備えて−たいせつにしておきたい普段からのつながり−」では、宮城と熊本から、医療が必要なこどもたちの災害時の対応と地域づくり・街づくりを大切にした復興についてお話しいただきます。シンポジウム2「家族と暮らす・地域で暮らす−重症心身障害児者の在宅医療・家族支援−」では、大切に守り育てられた重症心身障害の方々の在宅医療と家族支援をどのように地域で展開していけばよいかを考えてまいりたいと思います。シンポジウム3「重症心身障がい児者と家族の生活世界を広げる支援」では、小児訪問看護の視点から子どもや家族に寄り添った支援制度のあり方を討論いただきます。昨年好評をいただきました看護研究応援セミナーは、今年も引き続き第2回を開催いたします。また、今回から新しい試みとして、講義と実技を組み合わせたハンズオンセミナーを行います。「重症心身障害児者の伸びる力を信じる食事支援」では、実際に再調理したり食べたりする経験を通しておいしく楽しい食事支援を学びます。「呼吸理学療法・排痰補助装置」では、急性期と慢性期の呼吸理学療法の実際と排痰補助装置を実技研修で体感します。それぞれ第2部の実技は事前登録制ですが、第1部の講義はどなたでも聴講できますので当日会場へお越しください。2日目の午後は市民公開講座として広く一般の方々にもお越しいただける場としました。本学会の目玉であるファッションショーは、地元のファッション文化専門学校DOREMEと陽光福祉会エコー療育園のご協力をいただき、7人のモデルさんがドレスや着物などで登場します。特別講演「生きることは、聴くこと、伝えること」では、仙台市在住の詩人、大越桂さんと昭和大学医療保健学部の副島賢和先生による対話形式で、いのちと言葉についてお話しいただきます。大越さんは、出生時体重819グラム、脳性まひや弱視などの障がいや病気と折り合いながら生きてきた重症心身障害者です。「自分は周りが思うより、分かって感じているのに伝えられない。私はまるで海の底の石だった。」喉頭気管分離術を受けた後に13歳から支援学校の先生の指導のもと筆談を始めました。今は介助者の手のひらに字を書いて会話します。「生きることを許され、生きる喜びが少しでもあれば、石の中に自分が生まれる。」副島先生は昭和大学病院の院内学級の先生です。病気の子どもである前に一人の子どもとして向き合ってこられました。「もっと不安も怒りも表に出していいよ。思いっきり笑って自分の呼吸をしていいんだよ」と子どもをいつもそばで支えてくれます。皆さまご存知の小沢浩先生も絡んで、楽しい時間となるでしょう。一般演題には303演題の申し込みをいただきました。プログラム委員会の審議の結果、口演141題、ポスター162題と決定いたしました。プログラム委員会の先生方にはお忙しい中を本当にありがとうございました。この場をお借りしまして厚く御礼申し上げます。プログラム委員会(敬称略、50音順)相墨 生恵 植松 貢 遠藤 尚文 小沢 浩 梶原 厚子 菅井 裕行 田中総一郎 遠山 裕湖 冨樫 紀子 萩野谷和裕 前田 浩利爽やかな秋の仙台で、皆さまにお目にかかれますことを楽しみにいたしております。
著者
本間 りえ
出版者
日本重症心身障害学会
雑誌
日本重症心身障害学会誌 (ISSN:13431439)
巻号頁・発行日
vol.41, no.1, pp.29-37, 2016

私の息子は6歳のときに突然、ALD副腎白質ジストロフィーという病気を発症しました。宣告を受けたとき、私の人生はここで終わったと思いました。「まさかそんなはずはない」、「どうして私の光太郎が」という怒りの気持ちもありましたが、それから、20年が経ちました(図1)。発症した当初は、この子は明日も生きられるだろうかと毎日が不安な状態でしたが、苦しいときも、私に100%の信頼を寄せる息子の笑顔や泣き顔を見ていると、「この子とともに幸せになるために、私は今ここにいる」、「そのために自分にできることを精一杯やろう」と思うようになったのです。ALD副腎白質ジストロフィーという病気は、X染色体の劣性遺伝病であり、ほとんどがお母さんからの遺伝で発症します。そして、ほとんどが男性患者です。うちの息子は6歳で発症しましたが、成人になってから発症する方もいます。結婚を目前に控えて発症した男性や、お子さんが二人もいて、働き盛りのときに発症した男性もいらっしゃいます。対処法としては、発症前あるいは発症早期に造血幹細胞移植を行うことが有効とされていますが、20年前にうちの息子が移植手術を受けたときは、国内でほぼ初の事例でした。その後、たくさんの症例が出てきており、最近では骨髄移植のほかに、臍帯血移植もいい報告が出てきています。早く見つけて早く手術や治療ができれば、普通の生活を送ることも可能です。最近は成人になってから発症した方の移植も始められていて、社会復帰している方もいます。フランスでは遺伝子治療の成功例があります。厚生労働省難治性疾患克服研究事業になっていますが、未だ病気のなりたちも治療法もよくわかっていない難病です。3歳のALD発症前のころの光太郎は釣りが大好きな普通の男の子で、このまますくすく育ってくれるものだと信じて疑いませんでした(図2)。ところが、幼稚園に入り年長になってから、おかしな行動が増えてきたのです。まず「幼稚園に行きたくない。バスに乗れない。お友達とうまく遊べない」と言い出しました。医療に従事していると、こういう話を聞いてすぐ病気を疑うのでしょうが、普通の母親はそうはいきません。私が最初に疑ったのはいじめでした。すぐに幼稚園の担任の先生に相談をしたのですが、運が悪く私が上の子を小学校受験させていたせいで、教育熱心でうるさい母親だと真剣に取り合ってもらえませんでした。しかし、その後も光太郎の様子は変わりません。あるとき思い切って、幼稚園にこっそり見に行ったんです。でも、息子はニコニコ遊んでいるだけで、いじめられている気配もない。「先生は何もおっしゃらないし、これは私の思い違いだったんだろうか」と思い、また時間が経ってしまいます。その間も、近所の開業医の先生や児童館の先生にも相談したのですが、これといった原因が見つからず、いたずらに時間が経ってしまいました。あるとき、光太郎が上履きのまま幼稚園バスから降りて来たことがありました。それを見て「光太郎、どうしたの。それ、上履きだよ」とたずねると、息子は「お母さん、僕の靴がないの」と言ったんです。今思えば、そのときすでに息子の脳のあちこちに異変が起きていて、自分の靴の場所がわからなくなっていたのですね。でも、そのときもまさかその裏にそんな大変な病気が隠されているとは、思いもよりませんでした。確定診断の日のことは今でも鮮明に覚えています。主人もいておばあちゃんも隣にいました。光太郎は私の腕の中にいました。たくさんの先生に囲まれて、「光太郎くんはALDという病気です。現在は治療法がありません。このまま放っておくと1〜2年で植物人間状態か、息をすることもできなくなるでしょう。何もすることがありません。残念です」と言われました。主人はショックのあまり病室から出て行ってしまいました。光太郎を腕に抱いた私は泣くに泣けません。必死に笑顔を作って、「大丈夫だよ、お母さんが光太郎を守るからね」と言い聞かせていました。そして、「世界中の医療を調べたら、何か治療法はないんでしょうか」と尋ねたのです。すると、「ヨーロッパで骨髄移植の成功事例があります。お姉ちゃんの骨髄をもらって、お姉ちゃん以上にIQが良くなった例があります」と教えてくれました。ただ、骨髄移植は合う骨髄保有者がいなければ行うことはできません。我が家の場合、幸運にも当時9歳の娘の骨髄が合いまして、迷いなく骨髄移植を受けることを決めました。現在の骨髄移植ではまだ抗がん剤を使って、健康な細胞も叩いて免疫を低下させないと、自分以外の細胞を受け入れることができません。光太郎は、今は使われていないブスルファンという強い薬を使って、免疫を落としました。通常、白血病患者の場合は3クールぐらいかけて数値を落としていくところを、光太郎はたった1週間で自らの免疫力を限界まで下げ、姉の骨髄を受け入れたのです(図3)。これは手術してから20カ月後の写真です(図4)。在宅介護にもたくさんの反対がありました。しかし、今もお世話になっている東京小児療育病院の舟橋先生に出逢って、在宅の概念がまったく変わり、もしかしたらという希望を持って少しずつやってきました。当時、障害を持つ家族に対する偏見や差別も感じました。光太郎を連れて、車いすで散歩に出ると、近所の方の視線がとても気になって、しばらく外出もできませんでした。しかし、最近になってようやくその偏見や差別の心が私の中にあることに気がついたのです。今思えば、あの視線は気になって何かお手伝いしたいと思っていたのかもしれません。子どもは一番はじめに親からの刷り込みを受けます。私がそんな偏見を持っていたせいで、自分が自分を殻に閉じ込め、息子の大切な外出の機会を奪ってしまっていたんですね。ALDの子どもたちはとても緊張しています。私の息子もいつも「はぁはぁ」と息をあげていましたし、まるで全身にシャワーを浴びたかのように汗をビッショリかき、体を一日中硬直させていました。理学療法士の訓練を受けに病院に行ったとき、隣の病室に体が"く"の字に固まってしまっているお子さんがいたのですが、それを指して理学療法士の方は「お母さん、残念だけど、一年経ったら光ちゃんもああなります」、「もうやることがありません」と言いました。それを聞いた私は、なんとかカラダを"く"の字にしない方法はないかと、海外の訓練方法や障害者教育について一生懸命調べたところ、イギリスにブレインウェーブという訓練法があることを知りました。すぐに、その方法を教えてもらおうと、旅費を出してイギリスからスタッフに来てもらったのですが、それを行うには、私のほかに3人の人手が必要なことがわかったのです。その瞬間、私はすぐに小学校の校長先生に電話していました。手伝ってくれる地域のボランティアのスタッフを募るためです。最初はわずかな人数しか集まりませんでしたが、介護系の大学をはじめ、さまざまなところにポスターを貼ったり、地域のお母さんたちの口コミで話が伝わったりして、今ではたくさんのボランティアさんが手伝ってくださっています。この写真は在宅医療の生活風景です(図5、6)。光太郎のベッドの横にある腹臥位のクッションに光太郎を抱っこしてごろんとひっくり返すのが、私の日課です。これを毎日5回やります。今、光太郎は身長163センチ、体重は40kgほどですから、これはなかなかの重労働です。それから一日8回の注入をしています。ちなみに私はこのベッドで光太郎と一緒に毎晩寝ています。これは医療的ケアでも医療行為でもなんでもなく、これがないと生きていけないという我が家の生活行為なのです。時間はかかっていましたが、光太郎はまだ口からご飯を食べていた時期がありました。母親にとって、子どもが自分の作ったご飯を食べてくれることは大きな喜びです。私も一生懸命ご飯を作っていましたが、あるとき自分が食べさせた食事が原因で、光太郎が肺炎になってしまったことがありました。そのことで私は自分を責め、ついに私自身が鬱状態に陥りました。「私は何のために生まれてきたんだろう」、「こんなに一生懸命やっているのに、光太郎はやっぱりよくならない」と毎日ため息ばかり。涙が出て、大好きな光太郎のそばにいることができません。そんなとき、私が今度は交通事故に遭ってしまったのです。奇跡的に無傷でベッドで目が覚めたとき、私はもう一度"いのち"をもらったと思いました。それから、何とか立ち直ろうと生まれて初めて心療内科に行きました。そこで診ていただいた先生がとても素敵な方で、初対面で「あなたは鬱じゃない。燃え尽き症候群だよ。今までよく頑張ったね。まずは自分の時間を作りなさい」と言ってくださいました。その後、舟橋先生の勧めで、東京小児療育病院のレスパイトケアにお世話になりました。レスパイトケアを利用したのはこのときが初めてでした。舟橋先生には本当に感謝しています。(以降はPDFを参照ください)
著者
山田 不二子
出版者
日本重症心身障害学会
雑誌
日本重症心身障害学会誌 (ISSN:13431439)
巻号頁・発行日
vol.40, no.2, pp.206, 2015

特定非営利活動法人子ども虐待ネグレクト防止ネットワーク(CMPN)は、平成27(2015)年2月7日に『子どもの権利擁護センターかながわ(Children's Advocacy Center Kanagawa:CACかながわ)』を開設し、虐待・ネグレクト等の人権侵害を受けたり、DV・犯罪等の目撃をした子どもたちを毎週水曜日の午後に受け入れて、『司法面接』と『系統的全身診察』を提供している。『CACかながわ』を開設する前も、児童相談所や警察・検察等の依頼先に出張して行って出前型で『司法面接』をしたり、演者が所属する『医療法人社団三彦会 山田内科胃腸科クリニック』に児童相談所や警察・検察がお子さんを連れてきてくれて『系統的全身診察』を実施したりしていた。 そのような中、常々感じてきたことは、「虐待・ネグレクトの被害を受ける子どもたちの多くが障害を持つ子どもたちである」という事実である。 では、なぜ、障害を持つお子さんは虐待・ネグレクトを受けやすいのであろうか? 「障害があるために手がかかる(養育者の負担)」「言うことを聞かない・理解してくれない(しつけや指導の難しさ)」「ほかの子どもにできることができない(「子どもが怠け者・わがままなせい」と養育者に誤解されやすい)」といった理由で、養育者が不適切な対応を誘発されやすいというメカニズムがある。 しかし、それだけではない。大人が障害児の脆弱性につけ込むというメカニズムが働くこともある。「加害者に抵抗できない」「加害者に刃向かわない」「自分が受けた被害を訴えない」「被害を訴えても、子どもの証言をほかの人に信じてもらえない」。このような障害児の特性に乗じて、加害者の『支配欲』を満たすために、もしくは、加害者の『欲求のはけ口』として、子どもたちは虐待される。 注意欠陥多動性障害(AD/HD)を持つある中学生が実母のボーイフレンドに暴力を受けて全身に多発挫傷を負わされた。中学校教諭に連れられて演者が勤める医療機関を受診したその子に「あなたのことを、子どもを守るお仕事をしている児童相談所の人にお話ししないといけないの」と伝えたら、「お父さん(母のボーイフレンド)は僕をいい子にしようとして叱っただけなんだ。僕さえ、お父さんの言うとおりにちゃんと頑張れば、お父さんは怒らないし、お母さんも弟も妹も楽しく暮らせるんだ。僕、頑張るから、児童相談所に言わないで」と懇願された。しかし、「どんな理由があれ、大人が子どもを傷つける言い訳にはならない」ことと「私にはあなたの安全を守るために行動を取る義務がある」ことを伝えて、児童相談所に通告し、一時保護してもらった。本児が希望する通りに母やきょうだいの元に帰ることはできなかったが、本児の障害をよく理解してくれる母方祖父に引き取られ、今は、調理師を目指して頑張っている。 障害児の生活の場は家庭にかぎらない。したがって、加害者は保護者にかぎらない。施設内虐待も多いのである。児童福祉法が改正されて、平成21(2009)年4月より、『施設職員等による被措置児童等虐待』の届出・通告に基づき、都道府県市等が調査・公表することが法定化された。 施設内虐待があってはならないということに異を唱えるものはいないであろう。にもかかわらず、施設内虐待が後を絶たないのはなぜなのか? 人間の心の奥に潜む狂気のなせるわざと片付けてしまってよいのだろうか? それとも、誰もが加害者になり得る致し方のないものなのであろうか? 加害者心理を解き明かすことは容易ではないが、自分よりも弱い者をいじめたり、虐げたり、危害を加えたりして、優越感に浸りたいという欲求は誰の心にも潜む。誰もが虐待という誘惑にさらされていることを自覚する必要がある。略歴1986年、東京医科歯科大学医学部卒。医学博士。1990年、夫とともに山田内科胃腸科クリニックを開業し、副院長に就任。1998年、子ども虐待ネグレクト防止ネットワーク(CMPN)を設立し、事務局長に就任。2001年、CMPNの法人化に伴い、理事長に就任。他に、特定非営利活動法人かながわ子ども虐待ネグレクト専門家協会(KaPSANC)副理事長。特定非営利活動法人日本子どもの虐待防止民間ネットワーク(JCAPCNet)常務理事。日本子ども虐待防止学会(JaSPCAN)理事。日本子ども虐待医学会(JaMSCAN)理事兼事務局長。主要著書:「よくわかる健康心理学」(ミネルヴァ書房,2012年,分担執筆)、「子ども虐待への挑戦 医療、福祉、心理、司法の連携を目指して」(誠信書房,2013年,分担執筆)、「プラクティカルガイド 子どもの性虐待に関する医学的評価 原著第3版」(診断と治療社,2013年,分担監訳)
著者
西田 明美 宮本 めぐみ 宮崎 ひさみ 新塘 久美子
出版者
日本重症心身障害学会
雑誌
日本重症心身障害学会誌 (ISSN:13431439)
巻号頁・発行日
vol.42, no.2, pp.205, 2017 (Released:2019-06-01)

目的 在宅で過ごす重症心身障がい児(者)(以下、重症児(者))に対する経管栄養がその重症児(者)にとって妥当なのか評価が難しい。先行研究では、経腸栄養剤はそれぞれ含有する栄養素が異なり、選択によっては微量栄養素の欠乏が起こり得ることがあげられている。当施設利用時のある重症児と接した際に、爪床の所見からセレン欠乏を疑い、セレン値を測定した。今回当施設通所中の重症児(者)の栄養評価を行ったので報告する。 方法 1. 研究対象者:2歳から27歳の当施設通所中の重症児(者)18で超重症児(者)10名、準超重症児(者)7名、経管栄養児(者)1名。疾患は脊髄性筋萎縮症1型、福山型先天性筋ジストロフィー、ウィルス性脳炎後遺症、染色体異常等。 2. 当施設通所者各々の1日の栄養を把握し、家族と相談しながら通所時に朝からの注入をセレン含有量の多い煮干し・かつおだしを含む味噌汁へ変更。味噌汁は当施設でだしを取っている。定期的に採血(セレン)を行う 3. 本研究は当施設の倫理委員会の承認を得て実施した。 結果 初回測定結果セレン値(正常値10.6〜17.4μg/dl)は8.0μg/dl未満は5人、8.0〜10.5μg/dlは5人、10.6μg/dl以上は1名でほとんどが低値であった。注入後約2カ月で8.0μg/dl未満は1名、8.0〜10.6μg/dlは1名、10.6以上μg/dlは2名とセレン値が上昇し、爪床の所見の改善も認められた。 結論 経管栄養だけでなく経口からミキサー食を摂取している重症児(者)のセレン値も低かった。セレン値が正常範囲である重症児(者)も含めて家族に煮干し・かつおだしを提案し、当施設での水分を味噌汁へ変更した。セレン値測定により自宅でのだしやミキサー食を試す家族が増えた。当施設利用者の10名がセレン欠乏を認め、通常の食材でのセレン補充で効果を認めたので報告する。
著者
竹本 潔 船戸 正久
出版者
日本重症心身障害学会
雑誌
日本重症心身障害学会誌 (ISSN:13431439)
巻号頁・発行日
vol.40, no.1, pp.83-89, 2015

Ⅰ.はじめに高度な医療的ケアが必要な小児が退院して家庭で暮らすケースが増加している1)。しかし退院後の在宅療養では、介護されるご家族の長期にわたる相当な肉体的、心理的負担が発生し、日常的な外出の困難や慢性的な睡眠不足など多くの問題を抱えながら生活されている現状がある。大阪府の調査によると2)、家族が地域で安心して暮らし続けるうえで最も必要と感じているサービスはショートステイ事業所の増加であった。重度の障害を持った児を短期間施設でお預かりするショートステイはご家族が最も望まれる支援のひとつであり、今後小児在宅医療を推進するにあたって必要不可欠な支援である3)。今回、これまでの当センターでのショートステイの実績を報告し、現状でのショートステイの課題について考察したので報告する。Ⅱ.方法当センターは大阪市南部に位置し、最初1970年肢体不自由児治療施設「聖母整肢園」として開設された。2006年大阪市の委託を受けて重症心身障害児入所施設「フェニックス」を新たに開設し、同時に全体施設を「大阪発達総合療育センター」と命名した4)。現在入所施設としての機能は、医療型障害児入所施設(主として肢体不自由児)「わかば」棟:40床、医療型障害児入所施設(主として重症心身障害児)「フェニックス」棟:80床で、内ショートステイ:17床(21%)で運営している。当センターにとってもショートステイの提供は重症心身障害児の在宅支援の大きな柱である。ショートステイの登録は、事前に依頼しておいた診療情報提供書を基に医師、病棟看護師が十分程度時間をかけて病歴、医療的ケア、および患児の日常生活の様子や注意すべき点について確認している。その後引き続き医療ソーシャルワーカーより契約に関して説明し、希望があれば病棟の見学を行っている。今回2008年度から2013年度の6年間における当センターフェニックスでのショートステイの利用状況について、登録患者数、年間総利用のべ人数、年間総利用のべ日数、1回あたりの利用日数、年間利用回数、利用者の年齢、利用者の医療的ケア、利用理由、キャンセルとキャンセル待ちの人数、利用中に体調変化した人数とその理由について調査した。Ⅲ.結果1.登録患者数図1のように、ショートステイの登録患者数は年々増加し、2012年度末で578名が登録されていた。2010年に申込み多数にて登録を一時中断、2011年に一定期間以上利用がないケースに連絡し登録を抹消した経緯がありいったん減少したが、その後また増加した。2.年間総利用のべ人数と年間総利用のべ日数2008年度~2013年度のショートステイの年間総利用のべ人数と年間総利用のべ日数を図2に示す。2011年度に開始したNICUの後方支援により総利用のべ人数、総利用のべ日数ともやや減少したが、その後また増加に転じた。2013年度はノロウイルス、アデノウイルスの流行が発生したため再び減少し1日平均11人の利用であった。3.1回あたりのショートステイ利用日数2010~2012年度の3年間における1回あたりのショートステイの利用日数を図3に示す。7日以上の利用は全体の5%に過ぎず、1泊2日と2泊3日で全体の49%を占め、82%が5日間以内の短期利用であった。4.利用者の年間利用回数2012年度の総利用者数305人の年間利用回数を図4に示す。1回のみの利用者が89人で最も多く、2回が62人、3回が54人であった。44人が1年間に6回以上利用していた。5.利用者の年齢2010~2012年度の3年間の利用者の年齢分布を図5に示す。全体の10%が6歳以下、28%が12歳以下、51%が18歳以下であった。一方で30歳以上の利用者も全体の17%を占めていた。6.利用者の医療的ケア2012年度は全体の46%が超・準重症児で占められていた(図6)。2012年4月よりショートステイ特別重度支援加算として、加算Ⅰ(超・準重症児)388点/日、加算Ⅱ(運動機能が座位までで、かつ特定の医療処置<経管栄養法、褥瘡処置、ストーマ処置等>が必要)120点/日の算定が認められており、加算Ⅰ(46%)+加算Ⅱ(12%)で全体の58%を占めていた。また人工呼吸器使用児(NPPVを含む)の利用も年々増加し(図7)、2013年度は全体の17%を占めていた。7.ショートステイの利用理由2010~2012年度の3年間の総利用者におけるショートステイの利用理由を図8に示す。休養のための利用(レスパイト)が最も多く全体の52%を占めていた。次いで冠婚葬祭(8%)、お試し(5%)、兄弟の学校行事(3%)、家族のけが・病気(3%)、旅行(3%)、次子出産(1%)が続いた。その他に分類された理由は仕事、帰省、引越などがあった。8.キャンセルについて2010年~2013年度の4年間の1カ月平均のキャンセル数とキャンセル待ちを図9に示す。最近3年間は毎月10人以上のキャンセルが発生し、キャンセル待ちは毎月30人以上存在していた。キャンセルの理由は全例体調不良であった。9.ショートステイ中の体調変化について2010年~2012年度の3年間のショートステイ利用者のべ3,006人で、入所中に何らかの追加医療処置が必要となったケースは154人(5.1%)で、理由は発熱が93人(3.1%)で一番多かった。対応としては105人(3.5%)に投薬を、33人(1.1%)に点滴を行っていた。また11人(0.4%)が急性期病院へ搬送されていた。重篤な事例としては、・突然の心停止で蘇生に反応せずに死亡・胃穿孔からショック状態→蘇生後転送し緊急手術にて救命・食事の誤嚥による窒息(蘇生にて回復)・更衣介助中の大腿骨顆上骨折・けいれん重積などがあった。Ⅳ.考察2012年7月の集計によると5)、大阪府全体(大阪市・堺市など政令都市も含む)の重症心身障害児(者)数は7,916人であり、人口1,000人あたり0.89人であった。これは従来より言われている人口1,000人あたり0.3人より大幅に多く、近年、特に都市部では医療の進歩による救命率の向上と寿命の延伸によってその数が増加していることが示された。一方、その内医療型障害児入所施設(療養介護事業も含む)の入所者数は659人(8%)に過ぎなかった。また、入所者の内18歳未満の児は95名(14%)に過ぎず、18歳以上の者が564名(86%)を占めていた。すなわち、障害児入所施設にもかかわらず、入所者の80%以上が18歳以上の成人が占めている現実が示された。残りの7,257人(92%)は在宅生活をしており、その内約50%が何らかの医療的ケアが必要であった。また、驚くことに在宅児者の方が施設入所児者よりも医療的ケアの重症度が高いという事実が判明した。在宅児者914人と施設入所児者568人の比較によると5)、気管切開を施行している児者の割合は、在宅14.8% に対して施設入所6.3%であり、同じく人工呼吸器使用は在宅7.2%に対して施設入所2.6%であった。それにもかかわらず、現在このような高度な小児在宅医療を支援する人材が不足し、小児に対応できる訪問診療医・訪問看護師・訪問リハビリテーション療法士や医療的ケアに対応できる訪問ヘルパー等の育成が緊急の課題となっている。一方前述したように在宅生活を継続している家族の最大の要望は、レスパイトケアを含んだショートステイの拡充である2)。このことは、全国重症心身障害児(者)を守る会での調査でも、在宅生活継続のための大切な柱と位置付けてられている6)。当センターのショートステイは西日本で最も多い登録患者数(2014年9月現在約600名)、利用人数(年間総利用のべ人数約1,000人)で、現在も約50名が登録診察待ちの状況である。今後も登録患者数はさらに増加することが予想される。利用者の49%は3日以内の非常に短い利用であった。これは毎日入退所が頻繁に行われていることを意味している。2012年度の総利用者数は305人で、これは1年間に全登録者の約半数が利用していることになる。年間利用回数は1回のみの利用者が最も多く、約半数が年間2回以下の利用であった。この理由の一つはベッド不足であり、本当は頻繁に利用したいが申し込んでも落選することによる。もう一つは次々に登録される新規登録者が緊急利用時のことを考えて、ひとまず一度体験利用することによる。当センターのショートステイは初回利用は原則1泊2日としており、このことが全体の利用日数の短縮にも影響していると考えられた。利用者の年齢は全体の28%が12歳以下、51%が18歳以下で占められていたが、一方で30歳以上の利用者も全体の17%を占めており、重症心身障害児(者)の幅広い年齢分布がここでも窺えた。また全体の46%が超・準重症児、17%が人工呼吸器使用で、医療要求度が高い傾向を認めた。(以降はPDFを参照ください)
著者
松葉佐 正
出版者
日本重症心身障害学会
雑誌
日本重症心身障害学会誌 (ISSN:13431439)
巻号頁・発行日
vol.42, no.2, pp.176, 2017

目的 放課後等デイサービスと児童発達支援は、在宅障害児に対する通所支援サービスで、近年多くの事業所が開設されている。それぞれ4カ所ずつの事業所の職員の業務のタイムスタディ調査を行った。うち1カ所の重症心身障害児を受け入れている事業所の結果を示す。 方法 8事業所の職員の毎分の業務を記録者が記録し、業務コード(旧身体障害者療護施設におけるタイムスタディ時のものを転用)に置き換えてEXCELで集計、解析した。 成績 上記の1事業所の11名の利用者のうち、重症心身障害児(以下、重症児)は2名(大島分類1、小学部前半;大島分類2、高等部)、他は、発達障害4名、知的障害3名、ダウン症と脳炎後遺症が各1名であった。重症児への医療的ケアはなかった。事業所のサービス時間は14時から19時(土は9時から18時)、週間スケジュールは、月・木は創作的活動(月:書道、木:絵画、創作活動)、火・水・金は機能訓練(火:音楽、水:リズム体操、金:スポーツ)、土は月〜金の内容を週替わりで行っていた。大島分類1の重症児がある日の放課後等デイサービスで受けたケアは、学校からの迎え、トランスファー、声かけ、手指消毒、おやつ介助、カード遊び、習字の介助、水分補給、トイレ介助、帰り支度、着衣、トランスファー、乗車介助、家庭への送りなどであった。重症児2名とその他9名が1日に受けたケア時間の平均は、それぞれ99.0分と181.4分であった。8施設で比較すると、放課後等デイサービスでは、児童発達支援に比べて行動障害への対応とコミュニケーション、レクリエーションに多くの時間を費やしていた。 結論 1カ所の放課後等デイサービスにおいて、重症心身障害児に対するケアは十分な配慮のもとに行われていたが、他児の多動への対応等に時間を取られることが多く、他児に比べて約1/2のケア時間であった。放課後等デイサービス全体の傾向を知る必要がある。
著者
古月 大樹 後藤 敬博 宮根 一男 橋爪 智代
出版者
日本重症心身障害学会
雑誌
日本重症心身障害学会誌 (ISSN:13431439)
巻号頁・発行日
vol.39, no.2, pp.226, 2014 (Released:2021-05-27)

はじめに 重症心身障害児(者)では不眠など睡眠リズムの不規則さが見られることがある。乳児に対してホワイトノイズは胎児のときに聞いていた母親の心臓の鼓動や、胎盤の血流の音に似ているため、安眠に導く効果があるという報告がある。そこで夜間覚醒している睡眠リズム障害のある利用者に対してもホワイトノイズが睡眠誘導に有効であるか検討した。 研究方法 睡眠リズム障害を有し、家族の同意が得られた2名を対象とした。A氏 (56歳男性) 脳性麻痺 B氏(41歳女性) 脳性麻痺・レノックス症候群 周波数が異なるホワイトノイズ音源を7種類用意した。両名共に不眠時にブラウンノイズが穏やかになる様子が見られたため、これを使用するとした。 実施期間 1期:2013年8月〜9月、不眠時にブラウンノイズを30分、胎児が体内で聞いている音量と同じぐらいの音量の60〜70dbで流した。 2期:2013年9月〜11月、客観的測定のため、不眠時にブラウンノイズ使用の前後に唾液アミラーゼ値を側定し、ストレス値の変化を調査した。ブラウンノイズ使用後、入眠していれば測定せずとした。 結果 A氏1期では12回中10回(83.3%)入眠した。2期では15回中6回(40%)入眠した。アミラーゼ値は9回中6回の低下認めた。B氏1期では4回中4回(100%)入眠した。2期では2回中1回(50%)入眠した。アミラーゼ値は1回中1回の低下認めた。 考察 今回は2名での検証であったがホワイトノイズの効果はあった。1期では、両名共に高い比率で入眠を認めた。2期では両名共にアミラーゼ値の低下は確認出来たが、唾液アミラーゼ測定自体が利用者に不快を及ぼし、入眠を妨げる要因となり、1期と2期の結果に差が出たのではないかと考える。重症心身障害児(者)でのホワイトノイズ使用例がないため、今後の取り組みの結果によっては、睡眠薬を使わず入眠を促す1つの手段になる可能性がある。対象者を増やして検討したい。
著者
田中 幸道 江頭 賢治 吉岡 美智子
出版者
日本重症心身障害学会
雑誌
日本重症心身障害学会誌 (ISSN:13431439)
巻号頁・発行日
vol.42, no.2, pp.183, 2017 (Released:2019-06-01)

目的 A病院における動く重症心身障害児(者)で、強度行動障害の中でも特に破衣行為のある患者に対する思いと看護実践について明らかにする。 方法 A病院に入院中の破衣行為のある患者の看護に携わった経験が3年以上を有する看護師5名に対し患者への思いや看護について2〜3名でグループインタビューを行った。逐語録から意味のある文節で区切りコード化し類似するコードをまとめ抽象化を繰り返し、サブカテゴリを〈 〉カテゴリを《 》で表した。本研究は当センター倫理審査委員会の承認を得て実施した。 結果および考察 破衣行為のある患者に対する看護実践の内容について分析した結果、5つのカテゴリを抽出した。看護師は全体の関わりを通して《破衣に至る患者の真意を探求》しており、患者が自分の意志を十分に伝えられないからこそ患者理解に多くの時間を費やし心を砕きながら患者の真意を探求していたと考える。 看護師は患者の〈発達過程から破衣の要因や関わりを検討〉しながら〈患者の好むモノや活動を把握〉することで強化因子を探り〈破衣の要因別に対応の方法を選択〉していた。また、これまでの〈看護師の経験から効果的な看護を引き出し〉《患者の障害特性に合わせて破衣が減少する手立てを探って》いた。看護師は、破衣の要因が重複するケースもあり患者の真意を掴めず患者に適した看護実践の選択に悩みながら《患者の特性を考慮し試行錯誤を重ね》ていた。 そして《他職種と患者の問題行動を共有し対応方法を統一》していた。このことは患者が混乱しない環境を提供するため、支援者の言葉や態度を統一することを重要視していたのではないかと考える。 日々の関わりの中で看護師は《「服は着る」の言い聞かせ》を行っており、患者が将来社会に出て生活をすることを前提に、ソーシャルスキルを身につけてほしいといった看護師の強い思いの表れによって実践していた内容であると考える。
著者
山本 健司 藤原 健一 家納 有美子
出版者
日本重症心身障害学会
雑誌
日本重症心身障害学会誌 (ISSN:13431439)
巻号頁・発行日
vol.41, no.2, pp.247, 2016 (Released:2020-08-08)

目的 夜間覚醒中に問題行為(啼泣、自傷、大声)のある患者に対し音楽による睡眠の効果を明らかにする 方法 対象:夜間覚醒中に問題行為のある患者5名 方法:小林弘幸著『ぐっすり眠るためのCDブック』付録のCD音楽を、ベッドサイドにて音量31〜35dBで消灯時間21時〜翌朝7時まで流す。 期間:1)音楽なし 平成27年11月24日〜12月7日の14日間 2)音楽あり 平成27年12月25日〜平成28年1月7日の14日間 評価:睡眠時間、中途覚醒の回数、問題行為の回数、眠剤使用の回数 結果 睡眠時間に変化がなかったのは患者aとbであった、患者aは睡眠時間、中途覚醒の回数、問題行為の回数に変化はなかったが、眠剤の使用回数が減少した。患者bは中途覚醒が増加し、問題行為も増加した。患者cとdは中途覚醒は増加したが、再入眠までの問題が短縮され睡眠時間が増加した。患者eは睡眠時間が減少し、中途覚醒と問題行為も顕著に増加した。 考察 患者aは、啼泣の持続により緊張・チアノーゼ出現するため眠剤を使用していたが、音楽導入後、眠剤の使用回数が減少した。また、患者cとdは、再入眠までの時間が短縮され睡眠時間が増加している。これは音楽により副交感神経が優位となりリラックスできたためと考える。患者bとeは、中途覚醒と問題行為が増加しており、音楽が刺激となって睡眠に悪影響が出たと考える。遠城寺式発達検査の言語理解は10カ月ごろから始まる。音楽により何らかの効果が見られた3名は、患者aは1歳〜1歳2カ月、患者cは2歳〜2歳3カ月、dは10〜11カ月で、言語理解が10カ月以上であった。それに対し患者bは5〜6カ月、患者eは4〜5カ月で、音楽が楽しい刺激となり睡眠の妨げられたと考える。 結論 睡眠を促す音楽は、遠城寺式発達検査の言語理解が10カ月以上の重症心身障がい児(者)に効果がある。
著者
中島 欽一
出版者
日本重症心身障害学会
雑誌
日本重症心身障害学会誌 (ISSN:13431439)
巻号頁・発行日
vol.37, no.1, pp.3-8, 2012 (Released:2023-05-31)
参考文献数
6

Ⅰ.はじめに 神経幹細胞は自己複製能を持つと同時に、中枢神経系を構成する主要な3細胞種であるニューロンおよびその機能を支持するアストロサイトとオリゴデンドロサイトへの多分化能を持った細胞である。近年ヒト成体脳においても神経幹細胞の存在が示され、その分化制御機構の解明は再生医学応用への観点からも注目されている。神経幹細胞の分化制御には、サイトカインや増殖因子といった細胞外因子の働きと、エピジェネティクス機構を含む細胞内在性プログラムの協調作用が重要であることが明らかになりつつある1)。バルプロ酸は抗てんかん薬として長らく使用されてきた薬剤であるが、近年ヒストン脱アセチル化酵素阻害剤としての作用が報告された。そこで本稿では、エピジェネティクス機構の中でもバルプロ酸によるヒストンアセチル化制御を介した神経幹細胞分化制御機構について述べるとともに、それを利用した抗てんかん薬としての作用機序の一部、およびわれわれが新規に開発した脊髄損傷治療法について紹介したい。 Ⅱ.ヒストンアセチル化 エピジェネティクスとは「遺伝子配列変換を伴わずに、遺伝子発現を調節する仕組み」と簡単には定義される。この仕組みを考慮することで、全く同じ遺伝子セットを持つにもかかわらず、異なる細胞や組織がそれぞれに特異的な遺伝子を発現できるという現象をうまく説明できる。エピジェネティクス機構はDNA自身のメチル化や、DNAが巻き付いてクロマチン構造をとるために必要なヒストンタンパク質の修飾(アセチル化、ユビキチン化、リン酸化、SUMO化、メチル化など)によって調節される。一般的にヒストンのアセチル化は遺伝子発現に対して正に、脱アセチル化は負に作用することが知られている2)。これはヒストン尾部がアセチル化を受けるとDNAとの親和性が減少した結果、クロマチン構造が脱凝縮し、転写因子等がアクセスしやすい状態になるためであると考えられている。 Ⅲ.バルプロ酸 現在バルプロ酸は臨床現場において抗てんかん薬、あるいは気分安定薬として広く用いられている。バルプロ酸は1882年、Burtonらによって初めて無色の液体として合成されたが、長い間治療薬としての効果を発見されることはなく、有機化合物を溶解するときに代謝的に不活性な溶媒としてごくまれに使われる程度であった。図1にその構造を示す3)。その後バルプロ酸の抗てんかん薬としての薬理作用が発見されたのは、実に80年後のことであった。1962年、Eymardらはkhellineという薬剤の誘導体が抗てんかん薬としての薬理作用を持つか否かを調べていた。その薬剤は水や一般的な有機溶媒に溶けにくい性質を持っていたため、当時ビスマス塩等の溶媒として用いられていたバルプロ酸に溶かしたのである。こうして作られた薬液は著明な抗てんかん作用を示したが、実はその効果は溶媒として用いていたバルプロ酸によるものだということが後になって明らかになった。1963年、Meunierらはバルプロ酸に抗けいれん作用があることを発見し、1964年にはCarrazらによって抗てんかん作用が再度確認された。日本においては1975年に抗てんかん薬として承認され現在まで用いられている。1980年代にはドイツ、以後アメリカで抗躁作用が報告された。1995年にアメリカ食品医薬品局(FDA)で抗躁薬として認可され、現在ではリチウムに次いで双極性障害の治療薬として広く使われている。日本では2002年秋に双極性障害治療薬として承認された。 バルプロ酸は他の気分安定薬に比較すると副作用は少ないものの、長期投与をうけた女性の8割で多囊胞性卵巣症候群もしくは高アンドロゲン血症を誘発したという報告もあることから、妊娠時には禁忌とされており、特に女性に維持療法として投与する際には注意が必要である。 Ⅳ.バルプロ酸のニューロン分化促進作用 近年、このバルプロ酸に新たな薬理作用があることが報告された。それはヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)を阻害する働きである。前述のように、HDACが阻害されヒストンのアセチル化が亢進すると、クロマチン構造が弛緩し、転写因子などのDNA結合因子がアクセスしやすくなるとともに遺伝子の発現が亢進することが知られている。そこでわれわれはこのヒストンアセチル化状態が神経幹細胞分化に及ぼす影響を調べるために、神経幹細胞をバルプロ酸存在下に培養した。その結果、神経幹細胞をバルプロ酸で処理すると細胞増殖が抑制されると同時にニューロンへの分化が選択的に誘導されることを見いだした(図2)4)。これはゲノム全体のヒストンアセチル化がヒストン脱アセチル化酵素阻害によって亢進された場合、ニューロン以外にもアストロサイトやオリゴデンドロサイト特異的遺伝子の発現が促進された結果、混合された分化が見られるであろうという当初の予測に大いに反した結果であった。またこの増殖抑制とニューロン分化促進作用は他のHDAC阻害剤(トリコスタチンAおよび酪酸ナトリウム)を用いた場合にも同様に観察され、かつバルプロ酸の類似体でHDAC阻害作用を持たないバルプロミドでは見られなかったことから、これらの作用はバルプロ酸のHDAC阻害作用によって発揮されたものと考えられる。さらに興味深いことにバルプロ酸には、ニューロン分化促進作用に加え、神経幹細胞のアストロサイトやオリゴデンドロサイトへの分化を誘導する培養系においてはそれらグリア細胞への分化抑制作用も見られた。 前述バルプロ酸の機能発揮のメカニズムを解明するために、バルプロ酸によって発現が誘導される遺伝子を検索した結果、ニューロン分化誘導作用が知られているbasic-helix-loop-helix(bHLH)型転写因子であるNeuroDを同定した。このNeuroD遺伝子を神経幹細胞で発現させたところ、バルプロ酸処理によって見られたニューロン分化促進とグリア細胞への分化抑制が再現された。以上のことは、NeuroDがバルプロ酸の作用にとって重要な役割を果たしていることを示唆している4)。 Ⅴ.バルプロ酸の抗てんかん薬としての作用機序 これまで「バルプロ酸がなぜてんかんに効くか?」という問いに対する答えを模索すべく、様々な研究が行われてきた。バルプロ酸はGABA分解酵素であるGABAトランスアミナーゼを阻害し、抑制性シナプスでのGABA濃度を上昇させることが知られている。さらにGABAの再取り込み阻害、GABA受容体へのアゴニスト作用もあることから、抑制性ニューロンであるGABAニューロンを機能亢進させけいれんを抑制するといわれている。また、バルプロ酸はニューロンの生存促進効果があることも報告されている。 われわれは、てんかんと神経幹細胞の関わり、および神経幹細胞の増殖・分化に及ぼすバルプロ酸の影響に着目し、興味深い実験結果を得た5)。グルタミン酸受容体刺激剤であるカイニン酸を用いたてんかんモデルラットを使った実験では、記憶の中枢である海馬歯状回の神経幹細胞の増殖が促進され、異所性のニューロン新生が観察されるが、この新生ニューロンの樹状突起の伸長方向が不規則になっているのが観察された。そこにバルプロ酸を投与すると神経幹細胞の過度の増殖が抑制された結果、異所性ニューロン新生が阻害され、また不規則であった突起伸長方向の改善がみられた。これらにより、てんかんによって起こる異常発火の原因とそれを改善するバルプロ酸の新たな薬理作用が強く示唆された。またバルプロ酸投与により、てんかんによる海馬物体認識障害の改善もみられている。てんかんの原因はシナプスの伝達効率の異常、興奮性アミノ酸の放出亢進、GABAの放出減少、等が周知の事実であるが、ニューロンを生み出す神経幹細胞の増殖能の亢進やニューロン樹状突起の伸長方向の不規則性も、てんかんの病態に深く関わっており、それをバルプロ酸が改善するのかもしれない(図3)5)。 Ⅵ.バルプロ酸の損傷脊髄治療への応用 損傷脊髄治療に関して、神経再生の妨げになる損傷部の炎症を抑制するためにメチルプレドニゾロンを投与する方法、神経細胞の軸索伸展を促進するために神経栄養因子を投与する方法、軸索伸展阻害タンパク質の機能阻害抗体を投与する方法、軸索伸展を阻害するプロテオグリカンの分解酵素を投与する方法などがこれまでに試されているものの、劇的な治療効果はみられていない。さらに、損傷脊髄ではグリア細胞(特にアストロサイト)が増殖し瘢痕を形成することでニューロンの軸索伸長が阻害されることも知られている。また損傷脊髄内では、神経幹細胞からアストロサイトへの分化を促進するサイトカイン群の発現上昇がみられ、移植および内在性神経幹細胞の多くはアストロサイトへと分化してしまい、軸索も修復されず下肢運動機能改善はほとんどみられない。 (以降はPDFを参照ください)
著者
古野 芳毅 鍛治山 洋 小西 徹
出版者
日本重症心身障害学会
雑誌
日本重症心身障害学会誌 (ISSN:13431439)
巻号頁・発行日
vol.37, no.1, pp.149-153, 2012 (Released:2023-05-31)
参考文献数
4

摂食・嚥下機能に障害をもつ児童生徒は、家族との外食が容易ではない。このような児童生徒が気兼ねなく外食する機会を提供することを目的に2005年より年1〜2回の頻度で新潟市内Aホテルを会場に、主に新潟県内の特別支援学校に通う摂食・嚥下障害をもつ児童生徒と家族のための食事会を行ってきた。食事内容はフレンチフルコースを基本として、普通食、注入食、離乳初期食、中期食、後期食の5段階を設定した。食事会参加者は児童生徒および家族のみならず、回を重ねる毎に参加職種が多様になった。そして多職種が一堂に会して専門的見地から意見や情報交換を行ったり、児童生徒を囲んで直接・間接的な支援を協働で行ったりする場ともなった。本食事会が総合的な食支援の場として機能していくようにさらに発展させていくことが、地域における食のバリアフリーへの一助となると考えられた。
著者
高塩 純一
出版者
日本重症心身障害学会
雑誌
日本重症心身障害学会誌 (ISSN:13431439)
巻号頁・発行日
vol.45, no.1, pp.25-31, 2020 (Released:2022-08-03)
参考文献数
9

Ⅰ.はじめに このたびは、このような機会をいただきましたこと心から感謝しております。私が、重症心身障害児に対する理学療法を教えていただいたのは旭川児童院元副院長の今川忠男先生です。 先生からはハンドリングを含め、多くのことを教わりました。写真1は2007年のヨーロッパのグローニンゲンであったEuropean Academy of Childhood Disability(以下、EACD)の学会でご一緒に行ったときのものです。グローニンゲンまでの列車の中で、なぜ日本の小児リハビリテーションはパラダイムシフトが起こらないのかを熱く語ったことを今でも覚えています。もう一人の恩師は、9月5日に他界された赤ちゃん学会理事長であった小西行郎先生です。小西先生からはGeneral Movements(GMs)の話をはじめ、分野を超えて学ぶことの大切さを教えていただきました。 私はただの臨床家でありエビデンスに基づくような話はできませんのでご了承ください。 では、私がどのような立ち位置でセラピーを行っているのか知っていただくため、私が小学5年生のときに入院していた経験をお話しさせていただきます。 当時、私は右大腿部に痛みがあり3か月間検査入院をしました。入院中はベッドから体を起こすこともできなかったため、私の目の前には天井のパンチングボードの穴。窓からは、いつも東京タワーが見えていました。このとき、私が思っていたことは、このライトアップされた東京タワーは、きっと朝になってもそこにあるのだろうというものでした。入院していた3か月は、まるで時間が止まり、色のない世界であったと記憶しています。これは、第一びわこ学園前園長の高谷清が書かれていた「時刻と時間」を思い出すものでありました。これは、重症心身障害により寝たきりの生活を余儀なくされている子どもにとって時を刻む時計があっても、動かないことによって時間の流れを感じることができないということであります。また、差し込み便器の冷たさ、足を牽引しており、身体を起こすことができないため、絶対にたどり着くことができない廊下。 目を閉じるとぐるぐる回るベッド。鳴り止まない秒針の音。 そこで感じていた世界の空虚感。 小学生のときの自分は、どこか他の人と違うんだな、という異質な感じを持っていました。 私が重症心身障害児(者)のことを知ったのは、東京衛生学園に入学してからでした。当時、東京医科歯科大学の理学療法診療科に丁稚奉公で働かせていただいていたとき、本棚にあった一冊の本が目に止まりました。それが糸賀一雄先生「福祉の思想」であったことは何か運命的なものを感じています。 Ⅱ.人生の岐路で励ましてくれた二人の少女 私が、今の職場に勤め続けられたのも二人の少女との出会いがあったからです。 一人は学生時代に出会った、当時中学2年生の幸子さんです。彼女は白血病に罹っており余命半年といわれていました。彼女が初めて言ったことは、「私はあと半年の命なのに、何をするの?」という言葉でありました。そのような言葉を言われて何も言えなかった当時の自分、毎日消灯まで一緒に遊んだ小児科病棟…。彼女から言われた言葉の一言一言が今でも耳の奥に残っております。今の私にできることがあるとすれば、彼女のことを決して忘れないこと…。 もう一人のお子さんが京大時代に受け持っていた洋香ちゃんです。彼女がいなければ重心の世界に行かなかったと思います。彼女は小さいときから何度も脳腫瘍により手術を受けていました。そのような境遇にもかかわらず他の人たちを気遣う心優しい子でした。彼女が手術後髄膜炎の後遺症により植物状態になったとき、止まらなかった涙とともに、私は何のためにこの仕事をしようと思ったのか、学生時代からどんなセラピストになりたかったのか。 今の私は当時描いていたセラピストになれているのかな…。 Ⅲ.びわこ学園/糸賀一雄/「福祉の思想」 NHKスペシャルのラストメッセージの動画の中で、びわこ学園の創設者である糸賀一雄先生の肉声を聞くことができます。 ビデオの冒頭で糸賀は「本当はこの子も立派に自前で生きているんですよということ。それを私たちは、実は認め合い、それを磨き合って、ということなんです。光ってますよ、この子は、もともと光そのものですよ。ということなんです」 昭和20年敗戦の混乱の中で家族を失い、生きる希望を亡くした子どもたちが街にあふれていました。終戦当時、滋賀県で食糧課長を務めていた糸賀一雄は、こうした子どもたちの状況を目の当たりにしていました。「浮浪児の問題なんていうのをね。国を挙げて『浮浪児狩り』という言葉を使っていましたね。『狩』というのは狩猟の『狩』という字を書くんですよ。これは大変な言葉ですね。考えてみますと大人の責任ですよね、これは。着の身着のままで放り出されたということはね。一つもこの子どもたちの責任じゃないんですよね」 こういう時代があったことを私たちは覚えておかなければいけないと思います。そして、重い障害のある子どもたちに関わる私たちはその根幹に哲学を持たなければならないと思います。 Ⅳ.糸賀思想における発達保障 びわこ学園の創設者の糸賀一雄は、重症児の発達保障のために、「縦軸の発達」に対して、「横への広がり」という考え方を療育の世界に持ち込んだ。 「縦軸の発達」というのは年齢に応じて能力がレベルアップしていく。それに対して「横への広がり」とはいまある能力のままでできることを増やしていく発達だ。 障害によって「縦軸の発達」が難しい子どもであっても「横への広がり」によって、世界は豊かに広がるという。 たとえば自閉症の子どもは同じような絵を描き続けたり、同じような曲を歌い続けたり、同じような文章を書き続けたり、でも、それはその子にとって決して同じことの繰り返しではない。私たち大人が進歩のない繰り返しだと勝手に思い込んでいるだけかもしれない。 それは、健常児の世界であっても、実は同じかもしれない。大人はより早く、より多く、より複雑にと、子どもたちに縦軸の発達を強いるが、本当はいまある能力のままでもっとゆっくりと横軸の広がりを楽しみたいと、子ども自身は思っているかもしれない。 糸賀は障害のある子どもたちと共に暮らす(ミットレーベン)の中でこのような考えにたどり着いたと晩年、鳥取県にある偕成学園での講演の中で述べていた。 よって「この子らを世の光に」というのは、障害のある子どもを救済するための言葉ではなく、糸賀が子どもたちから光をもらったと思えた実体験から生まれた言葉なのである。 這えば立て、立てば歩めではないけれども、正常運動発達をトレースしていくように伸びていくわけではない。縦軸への発達だけではなく、横への広がり、その豊かさも見ていくことが大事なのでは、ないだろうか。 Ⅴ.第一びわこ学園への想い 深夜に入る前に、「ちょっと寝かせて」と受け持っている担当の子の横で一緒に仮眠を取っていた細井ナース。 私は「聴診器より画板とクレヨンを持って仕事をしたい」と言っていた田中ナース。 石川信子先生は 「高塩さん、びわこ学園に何年勤めるの?」と尋ねてくれました。 「私はずっと勤めようと思うんです」と答えると、すると石川先生は笑って「3年務めないとわかんないわよ」と言われました。 夕暮れ時の縁側に腰掛けて園生と食べた柿。こうやって座位訓練をしていた時代があったんですよ。今だったら許されないと思いますが、そんなことをやっていました。 糸賀の言うミットレーベン「共に生きる、共に暮らす」を考えるためには利用者の生活世界をもう一度見てみる必要があるのではないかなと思います。 Ⅵ.“私たちの世界は豊かさに満ちている” 受動的綜合と能動的綜合 私の勤務している重症心身障害児(者)施設びわこ学園医療福祉センター草津の周囲には、もみじの樹がたくさん植えてあります。昨年、永源寺にもみじを見に行った際、初めてもみじの種を知りました。双葉のような葉の中心に種が2つあります。 5月中頃からもみじの葉の一部が赤くなっているのを見たことがある皆さんもいると思います。その赤くなったところにもみじの種があります。60年間、もみじの樹は見てきたはずなのに紅葉に種があることすら知りませんでした。この自我の関与しない無意識的局面をフッサール現象学では、受動的綜合と呼び、これはもみじの種は春から初夏にかけて毎年色づいていることを私は無意識的に見ていたことを意味します。しかし、もみじの種を知り、春なのになぜ、もみじが赤くなっているのだろうと疑問を持ったことで、紅葉を積極的に見ようとした結果、紅葉の種を見つけることができたという能動的綜合が生まれました。私たちが知覚する前には常に環境が発する情報を無意識的に受け止める受動的綜合があります1)。 (以降はPDFを参照ください)
著者
上石 晶子 有本 潔
出版者
日本重症心身障害学会
雑誌
日本重症心身障害学会誌 (ISSN:13431439)
巻号頁・発行日
vol.42, no.2, pp.202, 2017 (Released:2019-06-01)

はじめに 重症心身障害者では、加齢、重症化に伴い経管栄養による管理を余儀なくされる例が増えている。そのような状況のもと、胃瘻栄養の症例で、半固形化流動食のメリットが認識されるようになってきた。長期栄養管理においては、加齢に伴い血糖の変動の管理も大きな課題である。今回われわれは、持続血糖モニターにより、流動食の形態の違いによる血糖値変動の違いについて検討したので報告する。 対象および方法 対象は、当センターに入所中の66歳の女性。新生児期の詳細な状況、原因が不明の重症心身障害の状態で寝たきりの症例。胃瘻より、朝、夕は液体の流動食アイソカルサポート®(ネスレ日本)をそれぞれ150ml(225Kcal)、120ml(180Kcal)、昼に半固形の流動食アイソカルセミソリッドサポート®(ネスレ日本)200ml(400Kcal)を注入している。従前通りの注入のもと、メドトロニック社製iProII®を用いて、持続血糖モニター(以下、CGM)を行い、血糖値の変動を検証した。 結果 70以下を低血糖、140以上を高血糖として、24時間のうちで逸脱した時間の割合を見ると、観察した5日間の平均で、高血糖への逸脱が8.8%、低血糖への逸脱は認めなかった。半固形流動食を注入した後は血糖値の逸脱を認めなかったのに対し、液体状の流動食を注入した後、特に夕の注入後1時間ほどのところで、高血糖への逸脱を認めた。 考察 食後高血糖は、長期的には血管病変のリスクとして近年注目されている。今回、同じ製品で、液体と半固形という形態の違う流動食を併用している症例で、その血糖値の変動をCGMで検証した結果、半固形の形態では、多くのエネルギーを摂取しても血糖値の変動が緩やかであることが確認された。必要なエネルギーを、食後高血糖を避けながら摂取するためには、半固形化流動食の導入も有用と考えられた。今後さらに検討を重ね、長期的に安心な栄養管理につなげていきたい。