著者
品田 悦一
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.51, no.4, pp.1-13, 2002-04-10 (Released:2017-08-01)

『万葉集』のことばは、それを使用した古代人にとっては決して国語ではなかった。それは畿内の貴族たちのことばであり、また倭歌という特殊な文化を背負う言語であって、古代国家の版図の津々浦々に通用するような性格は持ち合わせてはいなかった。明治中期に過去の諸テキストから国民の古典が選出されたとき、それら諸テキストの使用言語は過去の国語として追認された。とりわけ『万葉集』のことばは、国語の「伝統」の栄えある源泉として仰がれ、この観念のもと、万葉調の短歌がさかんに創作される。興味深いのは、近代短歌の使用言語が、古代語そのものでも、それと現代語との混融物でもなかったという点だろう。伝統の復興であるべきものが、その実、いまだかつて存在しなかった言語を新たに作り出してしまったのだ。その言語は、しかも、歌壇の外側にはほとんど通用しないという点で、事態を導いた「国語」の理念を裏切ってもいた。素朴で自然で、原始的生命力に満ちていて、そのうえ意味不明な言語。こいつはいったい、なんという鵞鳥だい。

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[文化][文学][歴史] "彼らの「謬妄」は個々の語法の理解以前に、万葉語を「国語」視する態度それ自体にすでに含まれていた"痛烈。
質疑応答で出てくる、茂吉の短歌の一番伝統的な言葉遣いであるかのように見える部分が実は新しく作られた言葉遣いになっているという指摘は面白いな

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品川悦一さん。明治以降に万葉集理解が発明されたという考え<古語と死語 : 「古代国語」をめぐる違和と葛藤(<特集>日本文学協会第56回大会報告(第二日目)) https://t.co/zaL87xyr3c... https://t.co/zaL87xyr3c

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