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投稿一覧(最新100件)
1945年春、我が膠東は趙保原討伐の戦役に勝利後集結し、東海軍分区独立団は崑崙山へ戻り、軍分区は元来の計画により、龍鬚島の日本海軍の拠点をむしり取ることを決定した。反戦同盟が軍分区の命令を受けると、私は斎藤、浜中両名の仲間を連れ、文登県沢頭村の東海軍分区司令部へ駆けつけた。司令部が我々に与えた任務は、拠点内の日本軍に対して政治宣伝攻略を展開し、内部から敵人を瓦解し、今回の軍事行動と連動する事であっ ...
伊達家の乳人 浅岡
竹に雀は品よく止れど、偖(さて)とまらぬは
人の世の、慾に眼(まなこ)も暗みたる、外戚(くわいせき=がいせき)
兵部の手下に属(つ)く、慳貪婆(けんどんばあ)が悪
巧(わるだくみ)、中には毒の有平と、知(しっ)て摘みし
千松が、息の根を絶(たつ)舌切雀、お宿
は何處(どこ)か白洲(す)の上、板倉侯(こう)が
審判(めいだん=明断?)に、服して罪の重い葛
籠(つづ ...
そんさす事。きつくわいなりと申けれハ、ひつし
答云、いとけなき身にして草をそんさす事なしと
損ざす事奇怪なり」と申ければ、羊
答云、「いとけなき身にして草を損ざす事なし」と
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1245259/4?tocOpened=1
http://isopomonogatari.blogspot.com/2014/10/11 ...
『肥前国風土記』は写本が何種かあるようで邪馬台さんの御覧になっているのは早稲田大学の蔵本のようですね。リンクに有りませんが国宝などもあるようですね。
http://www.f.waseda.jp/hisaot/hizenhudoki/hizenhudoki11a.html
国文学研究資料館所蔵本
http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0 ...
後半に「木曽川の工事中」とありますので、木曽川河口の描写かと思います。壽滿山とは桑名城の北の河中にあった地元で「十万山」と示された場所かと思います。往時は水中に沈むことのない丘地で、桑名城への濁流の防護堤にもなっていたようです。現在長良川・揖斐川の仕切り堤防となって往時の幅がありません。ほかに記述がないのでこれかと思います。
※地図は今昔マップより
昭和初期の木曽三川下流域の状況と東南海地震に ...
かせにもみちのちる時ハ、さらてもものかなしきならひと
いひをけるを、まいてをいのなミたの袖のしくれハ、はれ
※『風に紅葉』
https://swu.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=7006&file_id=22&file_no=1
識得這簡。一生参学事畢。
(柱杖図)
永平六十七世元峰八十一翁
※禅語はよくわかりません。北野元峰の書。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/36/1/36_1_90/_pdf/-char/ja
「かなしむべき」でいいと思いますがご指定の場所にそんな文章ありません
治承4年11月2日条
二日。庚戌。今日小松少将惟盛朝臣以下平将。無功入洛。云云
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1111511
山上白雲山上蓋、水中明月
水中珠
丙子首夏 忘軒老人[田□・□□]
※印がはっきり見えませんが田能村竹田の弟子の石田忘軒だと思います。丙子は明治9年(1876)。人物伝はネットではあまりわかりません。『新加能画人集成』にあるかも。
https://www.tobunken.go.jp/materials/banduke_name/766946.html
https://dl.ndl.go.jp/i ...
(其芳名を追)慕して梨園、或は演本に和らげ写す、仮名手本児女童蒙に至るまで、忠臣義士の功ハ、此忠臣蔵をもて知るに臻れり、今亦画工北斎為一先生春眠を寤させんとて、一時燈下の戯墨たりしを、いちはやく求得て、永壽堂の櫻木に永壽することはなりぬ、
(その名声を懐かしく思って)、歌舞伎、また浄瑠璃本に分かりやすく説いて記している。「仮名手本忠臣蔵」(浄瑠璃)は女子供用字に至るまでだれでも、忠義を尽くす家来や ...
[金不言氏][金大美印]
※金子雪操
https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1086&file_id=19&file_no=1
「いゑ(以衛)」
岩波本は文字が崩れているようです。国会図書館で公開している昭和14年本を見ると上のようになります
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1229133
空海の伝えた「梵字悉曇章」によると
「あ」 「い」 「う・をう」 「え・えい」 「を」
日本語にない発音も交じってますが近いものを拾うとざっとあ行の並びとなります
「あえいおう」はラテン・ アルファベットの字順だそうです
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2540194
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%8 ...
たぶん
「宏謨(こうぼ)」の誤植・誤写かと思います。
広大な計画。宏図 (こうと) 。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%AE%8F%E8%AC%A8/
『維新の宏謨と農道』
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1903880/28
「百珍を出せしとおしふり(オリフシ)、東都にも豆華集の作ありて印行す。
とく購て、予が家に蔵む、閲したまへ、といえば、君子つらつら見て曰、百珍にくらぶれば、目次もなく品も分かたず、荒々しきに似たり、これかへつて東の一(風)流このままにて行わんと、其詞にすがりて、百珍餘録と題して世に披露す、こいねがわくば大方の君子雲顧したまへ。」
百珍を出そうとしたいたところ、東都でも豆華集の作があって印行された ...