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投稿一覧(最新100件)
『阿波洋学史の研究』(佐光昭二/著 教育印刷 2007.4)に掲載されていた以下の種痘関係文献を見たい。 【A】『阿波の歴史地理 第2』 「元木家かどや日記」中の引用文。 【B】『阿波国最近文明史料』 【C】『新修高松市史 第2』 【D】『讃岐医師名鑑』(白井要/編 白井要 1938) 【E】『おもしろい阿波人物伝』
『阿波洋学史の研究』(佐光昭二/著 教育印刷 2007.4)に掲載されていた以下の種痘関係文献を見たい。 【A】『阿波の歴史地理 第2』 「元木家かどや日記」中の引用文。 【B】『阿波国最近文明史料』 【C】『新修高松市史 第2』 【D】『讃岐医師名鑑』(白井要/編 白井要 1938) 【E】『おもしろい阿波人物伝』
『阿波洋学史の研究』(佐光昭二/著 教育印刷 2007.4)に掲載されていた以下の種痘関係文献を見たい。 【A】『阿波の歴史地理 第2』 「元木家かどや日記」中の引用文。 【B】『阿波国最近文明史料』 【C】『新修高松市史 第2』 【D】『讃岐医師名鑑』(白井要/編 白井要 1938) 【E】『おもしろい阿波人物伝』
赤穂浪士の時代の日本漢詩の訳文を知りたい。(12点)
小藤文次郎という地質学者が書いた『阿波地理小誌』が読みたい。
小藤文次郎という地質学者が書いた『阿波地理小誌』が読みたい。
小藤文次郎という地質学者が書いた『阿波地理小誌』が読みたい。
小藤文次郎という地質学者が書いた『阿波地理小誌』が読みたい。
小藤文次郎という地質学者が書いた『阿波地理小誌』が読みたい。
賤ヶ岳の戦いに蜂須賀正勝が参戦したことを示す史料はあるか。『織田信長家臣人名事典』(谷口克弘/著)によると正勝が遊軍として参戦したとあり、その根拠となる史料として『川角太閤記』があげられている。
芳川顕正の漢詩を探している。掛け軸の末尾に「東山懐古 其ノ一」と書いてある。
前塚芳南の漢詩の本はあるか。コピーした詩文を持っているが、字がにじんで判読できない。
松浦宗作と徳島県における明治初期の風土記編纂事業について知りたい。
松浦宗作と徳島県における明治初期の風土記編纂事業について知りたい。
松浦宗作と徳島県における明治初期の風土記編纂事業について知りたい。
インターネットの『三菱財閥の岩崎家の祖先』と題するページに、「三好長輝の六男と称する久米義広が天文十八(1549)に予州久米より来て加茂郷を領し、宮西の鴨城に居たが、同二一年には名東郡芝原(現徳島市)に移ったという所伝があるという」(『三加茂町史』)と書かれている。1)『三加茂町史』における久米義広について書かれている全ページが見たい。2)徳島藩士久米直五郎系図には、「三好長輝の六男」までは書かれ ...
インターネットの『三菱財閥の岩崎家の祖先』と題するページに、「三好長輝の六男と称する久米義広が天文十八(1549)に予州久米より来て加茂郷を領し、宮西の鴨城に居たが、同二一年には名東郡芝原(現徳島市)に移ったという所伝があるという」(『三加茂町史』)と書かれている。1)『三加茂町史』における久米義広について書かれている全ページが見たい。2)徳島藩士久米直五郎系図には、「三好長輝の六男」までは書かれ ...
インターネットの『三菱財閥の岩崎家の祖先』と題するページに、「三好長輝の六男と称する久米義広が天文十八(1549)に予州久米より来て加茂郷を領し、宮西の鴨城に居たが、同二一年には名東郡芝原(現徳島市)に移ったという所伝があるという」(『三加茂町史』)と書かれている。1)『三加茂町史』における久米義広について書かれている全ページが見たい。2)徳島藩士久米直五郎系図には、「三好長輝の六男」までは書かれ ...
徳島県から北海道への入植者によって始まった「勇足歌舞伎」について。 ア)明治28年秋の徳島県の大洪水について。 イ)立江村村長東條儀三郎と村民が北海道へ移住することになった経緯について。 ウ)立江村と歌舞伎(地芝居) エ)徳島県内の地芝居史の概要をまとめた資料。
ア)柴野碧海の子孫について。 イ)柴野家の墓について。 ウ)碧海の贈位について。