Tokuda Takeya (@tamaotto)

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この写真の白馬にまたがるステッセリ将軍の前を行くのは、軍使として、ステッセリ中将一行の帰路を先導したとされる津野田是重参謀ではないだろうか。 http://t.co/u6LWMea9I1
また、海軍部嘱託という形で、自費で写真班を派遣した関西写真製版印刷合資会社(のちの光村印刷)の写真部が撮影した『日露戦争旅順口要塞戦紀念帖』(博文館、1905年)には、会見を終え、帰路に着くステッセリ一行の写真も掲載されている。 http://t.co/u6LWMea9I1
例えば、先の『日露戦役写真帖』には、水師営会見所に着こうとする、白馬にまたがったステッセリ将軍と幕僚の一行の写真が掲載されている。 http://t.co/IVTpmZKuaM
13時20分には握手をして別れたことになっており、『日露戦役写真帖』の13時30分とは異なる。これもまた近代デジタルライブラリーで読むことができる。 http://t.co/FweFAKjRul
撮影時刻については、大本営写真班撮影・陸地測量部蔵版『日露戦役写真帖』第13巻(小川一真出版部、1905年)のキャプションに、午後一時三十分と記載されている。近代デジタルライブラリーで当該写真を見ることができる。 http://t.co/kOc83OTOj7

14 0 0 0 OA 蘭学事始

近代デジタルライブラリーで、明治23年(1890年)に再発行された『蘭学事始』(原本は1815年発行)を見ることができる。「ドンクルカームル(暗室寫眞鏡)の記述はこちらのページ。 http://t.co/SUdBc1S9XC

1 0 0 0 OA 写真術独習書

以上の内容は、近代デジタルライブラリーのサイトで読むことができる。『写真術独習書』 第13章 早取写真術 P.114より http://t.co/HVxXq627Wk

1 0 0 0 OA 写真術独習書

昨日の続き。「早取写真師」として有名になった1883年の水雷爆破写真から4年後、江崎礼二は、自著『写真術独習書』(1887年、明治20年1月)の中で、「早取写真」について、次のように語っている。 http://t.co/HVxXq627Wk

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