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昭和4年版 1929 に通路表示は見当たらなくなり、翌年版 1930 https://t.co/Bk6sUmrM11 で南側に門らしい切れ目ができた。このあいだに道が拡幅され、1929-05-14 に市電が通っている。地下道は4年ほどしか存在しなかったということか。/きのう北側で痕跡を探してみたけど、なにも見つからなかった。 https://t.co/0P1EmoU2KV
各年の『京都帝国大学一覧』を見比べると、自大正13年 至大正14年版 1925 で、地下通路らしき点線と、南側だけ階段のような表記がある。南側に門は見当たらず3重実線で道路と区切られている。翌年版 1926 https://t.co/BYWt6PKZpE でで、通路は実線となり南北に階段が見える。これが地下道だったのか。 https://t.co/hzed2ym9Ik

1 0 0 0 気象

→ https://t.co/3QFUVCyVZk )と『広島県警察百年史』上巻 1971 p.686-687(https://t.co/X8L1wwU0FV )によると、1923-01-28(大正12年)、2階にある40畳の大広間に観客が350人も(うち15歳以下が3分の1)つめかけた活動写真会で、突然停電して真っ暗闇となり、映写技師が持ってこさせたローソクの→
→ https://t.co/3QFUVCyVZk )と『広島県警察百年史』上巻 1971 p.686-687(https://t.co/X8L1wwU0FV )によると、1923-01-28(大正12年)、2階にある40畳の大広間に観客が350人も(うち15歳以下が3分の1)つめかけた活動写真会で、突然停電して真っ暗闇となり、映写技師が持ってこさせたローソクの→

2 0 0 0 OA 京都観光資料

2022-05-19 京都アパートメント新築時の広告を見つけた。関西名勝史蹟調査会 編『京都観光資料』1930 https://t.co/WckGwHy7lR (見開き右ページが欠落かも)「【暖房】、瓦斯暖房になつて居ります/五錢現金メータとなつて居ります/御必要に應じ五錢銀貨を投入せられますと約一時間半瓦斯が出ます」
←水産学部は水産学科の間違い。1947年に舞鶴にできていて、新聞はちょうどその時期。/研究所の名前は、宮地伝三郎,波部忠重,山路勇「舞鶴湾の水産の海洋生物学的基礎」1950 https://t.co/j5sqjUzR3J (個人送信)の1ページ目最下部の「舞鶴海洋研究所業績第1號」でしか見たことがない。
←この煙突は、旧尾道電氣株式会社(尾道町字尾崎一八八、今の久保3丁目)の火力発電所のものだろうか。だとすると、煙を出しているから、発電していた1917年12月より前の写真であるといえるかな。(『広島電気沿革史』1924 https://t.co/FXRrUdMHrt )今から105年以上前、『東京物語』の36年以上前。
次に見たのはプランゲ文庫1947年の藤原歌劇團公演「La Boheme」プログラム https://t.co/lGBYHXf4Id 。脚本の脚本で、メロディーを思い出しながら適当に歌う。「はい、私はミミが本當はルチヤ、はかない生計に、ぬい取のわざをいそしみ、ばらや百合の花を針もて描く淋しさも樂し」字あまりも楽し。
2022-05-18 21:03 明日からだと思ってたけど、国立国会図書館の個人向けデジタル化資料送信サービス(個人送信)、ログインして表示されるようになっている。すばらしい。ありがたい。最初に見ているのは、岩井武俊編『京ところどころ』1928 金尾文淵堂 の澤村胡夷「白河路」 https://t.co/zZVPeL9j1X
2022-02-09 九州大学の永島広紀先生が『アジアのなかの博多湾と箱崎』(勉誠出版 2018)の p.177-186 に「箱崎に学んだ留学生の戦前・戦中・戦後:林学者・玄信圭の足跡を辿る」を書かれていた。p.183 にひかえめに書かれている上司とのトラブルのひとつは https://t.co/poRkgleuVw だと思う。
←この石碑が解説されている論文を見つけた。https://t.co/H6sgbfsYAI によると、1912年に澤村榮次郎が持っていた愛宕郡田中村小字関田 https://t.co/y8bnICnwag の地番「一」を継承した縁者のかたと推定されるようだ。https://t.co/PkrR3eUuXY では石碑が【史料4】として言及されているけれど・・・。
←この石碑が解説されている論文を見つけた。https://t.co/H6sgbfsYAI によると、1912年に澤村榮次郎が持っていた愛宕郡田中村小字関田 https://t.co/y8bnICnwag の地番「一」を継承した縁者のかたと推定されるようだ。https://t.co/PkrR3eUuXY では石碑が【史料4】として言及されているけれど・・・。
←この石碑が解説されている論文を見つけた。https://t.co/H6sgbfsYAI によると、1912年に澤村榮次郎が持っていた愛宕郡田中村小字関田 https://t.co/y8bnICnwag の地番「一」を継承した縁者のかたと推定されるようだ。https://t.co/PkrR3eUuXY では石碑が【史料4】として言及されているけれど・・・。
2021-10-07 NDL所蔵の「台湾芸術新報」1939年12月号 https://t.co/zVhiE1ja6t の「少女歌劇見たまゝ」は、台北公会堂における日本少女歌劇座の公演「シヨオ・ブルース祭」「髷ものフアース、舞姿」「グランドレヴユー愛國彌次喜多世界に告ぐ」の評であった。予告宣伝的でない批評文はめずらしい。
2021-06-07 東大台湾演習林のあった阿里山に残る河合鈰太郎の石碑の揮毫は西田幾多郎で、市河三禄が依頼して書いてもらったらしい。(森岡ゆかり「忘れられた顕彰:植民地期台湾における日本人の建碑」書学書道史研究 2003 https://t.co/HxrTgd5CPP )市河先生は東大卒の林学博士、河合の娘婿。
2020-12-12 質量分析学会誌に弔文を掲載いただいた。家の外では立派ないい人だったらしい。 https://t.co/t6p27O5uzK https://t.co/lUmh76fSWQ
2020-12-12 質量分析学会誌に弔文を掲載いただいた。家の外では立派ないい人だったらしい。 https://t.co/t6p27O5uzK https://t.co/lUmh76fSWQ
@kansokujin (こんちわ)なるほど、記憶が混乱している可能性はあるね。しかし、同時代的な記録、たとえば、地方新聞や雑誌などでの記事や日記があったら読みたいんだけど。展示の写真をたよりに検索してたら『台湾芸術新報』1939年12月号 https://t.co/zVhiE1ja6t というのを見つけたけど、まだ見れてません。
→ 2018-06-22 武居先生著作選集を大学図書館に寄贈しNACSIS-CAT/ILLにも登録された。 https://t.co/GcRt1Kv61m /2018-07-17 砂防学会誌の追悼文がJ-STAGEで公開された。 https://t.co/qmTfeVlcGH /これでNDL典拠データ https://t.co/OqdQmVv5l2 の没年情報が登録されるだろう、いつの日か。
→ 2018-06-22 武居先生著作選集を大学図書館に寄贈しNACSIS-CAT/ILLにも登録された。 https://t.co/GcRt1Kv61m /2018-07-17 砂防学会誌の追悼文がJ-STAGEで公開された。 https://t.co/qmTfeVlcGH /これでNDL典拠データ https://t.co/OqdQmVv5l2 の没年情報が登録されるだろう、いつの日か。
→上野貫三郎は、ミカド商會(敎育用器械標本製作業)の人らしい。伴茂七の名前は、西村慎太郎「近世の駕輿丁について」(2006) https://t.co/qHVtwXV16O で偶然見つけたけれど。/2018-07-10 プラスチックのバケツを割って壊したので、出町の金物屋さんでブリキのバケツを買う。780円。ついでに→
また、1902年の論文の掲載写真が7枚、1911年の単著『海産植物學』 https://t.co/aPcxWjTaou の掲載写真が9枚含まれていた。より細かく調査をすれば、掲載箇所が確認できそうだが、それより公開を急ぎたい。/「植物學雜誌」の遠藤先生の1919年の論文 https://t.co/OjWC9bnZIO を図書館で(つづく)

2 0 0 0 OA 海産植物学

また、1902年の論文の掲載写真が7枚、1911年の単著『海産植物學』 https://t.co/aPcxWjTaou の掲載写真が9枚含まれていた。より細かく調査をすれば、掲載箇所が確認できそうだが、それより公開を急ぎたい。/「植物學雜誌」の遠藤先生の1919年の論文 https://t.co/OjWC9bnZIO を図書館で(つづく)
GHQモージャー氏撮影カラー写真の「上演中の歌劇/場所不明」のうち #79 https://t.co/MyO3RtA2WM は、『宝塚歌劇五十年史』巻頭写真151「ファイン・ロマンス」と衣装や舞台装置が似ている。もしそうなら、宝塚大劇場1947年1月花組公演を2階席最前列から撮影したのかな。#80 はさっぱりわからん。
2016-08-08 数理研の玄関右の桜が切られているの気がついた。渡辺光太郎ほか「ヤマザクラの個体変異に関する研究」演習林報告 35 1964年 https://t.co/30EpQD3CjB の「No.VII」の木なのかな。 https://t.co/LRjyAUl3b3
オジさんの若かりし写真を発見した。杉原康正「同期分離回路」 テレビジョン 11(7), 1957. http://t.co/nQXqRn2Tgh 昭和20年旅順工科大学電気工学科卒業、同24年10月大連より引揚げ、同25年2月八欧電気株入社。ゼネラルでテレビの技術者だった、のね。
2015-07-24 京大総合博物館ニュースレター34号 http://t.co/7EF5vAC4ce に、研究資源アーカイブ通信「京都大学演習林関係資料:故吉村健次郎助教授の16ミリフィルム」を寄稿しました。知床縦走、クマ実験、今西錦司先生のキャプチャー画像をPDFから乞御覧。
2015-07-16 瀬戸臨海実験所要覧・年史等 http://t.co/VauEd41Ymg の5冊が公開された。1929年のパンフレットは、6月1日の行幸直前に作成されたものらしく、施設名も開設時の「瀬戸臨海研究所」のままだ(1936年に官制によって「実験所」となった)。
北村四郎「ウツクシマツとタギョウショウ」1983 http://t.co/WzyqxCQGz4 には、理学部植物学科由来で北部生協あたりに植えられていたタギョウショウ(多行松)の種子から「10数年前」に演習林の吉川勝好先生が育苗し、京大構内に植えた、とある。年代が少し合わないが。
撮影高度3750mというのは、焦点距離25cmのレンズで幅24cmのフィルムに1/15000の縮尺で撮影するためだ、と板井秀夫「航空写真による樺太森林調査に就いて」 http://t.co/T3cRBwinpA に書いてあった。となると、少しだけ読み取れる高度計はft表示らしい。

4 0 0 0 OA 香具師名簿

2014-02-14 NDL近デジ 京都府警察部刑事課『香具師名簿』1928年 191コマ目からの「香具師常用隠語」がおもしろい。http://t.co/okuHvORkYt グレは浪花節、タカモンは軽業、中軽業はヒッパリモノ、小軽業はスレモノ、グニヤは質屋、オヤヒゲは警察署長。
2013-08-02 フィールド研「時計台対話集会」講演録がリポジトリ登録登録された。12月に依頼し、スキャンもすべてしていただいた。フィールド研の先生の他、畠山重篤、 養老孟司さんのお話をどうぞ。 http://t.co/cntV3kga9W
2013-02-21 NDLで2.3万点追加公開。見飽きないけど例えば>『大毎フイルム・ライブラリー目録. 昭和7・8年版』 http://t.co/PO36UQPqL7 11コマ目「 フイルムからの御願ひ/私を愛してくださる皆様や、機械の神様よ!/どうぞ私に同情して下さい。」

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