著者
小西 瑞恵
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学学芸学部論集
巻号頁・発行日
vol.39, pp.55-68, 2002-03-06

大山崎は,戦前から中世の油商人である八幡宮大山崎神人の根拠地として知られ,「離宮八幡宮文書」を中心に商業史研究が積み重ねられてきた。戦前・戦後にかけて,原田伴彦が大山崎を中世都市として論じているが,離宮八幡宮の門前町と分類していた。大山崎を都市とする研究が本格的に始まったのは,『島本町史』と『大山崎町史』の編纂を通じて史料調査が行われ,新出の史料が見出だされたことにより,大山崎の内部構造を明らかにすることが可能になってからである。このような研究としては,小西瑞恵・脇田晴子・今井修平・仁木宏・福島克彦のものがあるが,どのような都市として大山崎を規定するかについて,まだ統一的な見解が成立しているとはいえない。都市のタイプを規定するために,これまでの諸研究を検討して問題点を提起し,港湾都市としての大山崎の実態を明らかにすることを試みた。また自治都市大山崎が京都や淀をはじめ,西日本各地と密接な連関性をもっていたことを再検討し,商業・流通の拠点としての実像を明らかにした。中世都市大山崎の近世都市への変化については,秀吉の城下町化が画期であると結論し,近世都市としての大山崎については,惣中の構成者が離宮八幡宮の社家として中世以来の階層構成を維持し,江戸幕府による保護を背景に,離宮八幡宮の神領として変容していく限界性について論じている。

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編集者: トホホ川
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