- 著者
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岡部 勉
- 出版者
- 熊本大学
- 雑誌
- 文学部論叢 (ISSN:03887073)
- 巻号頁・発行日
- vol.76, pp.55-74, 2003-03-20
人間に固有の人間的な能力というものは、大脳皮質のような特定の身体的な部位に、実現される可能性の全体が予め描き込まれているというようなものではない。例えば言語能力の基礎的な部分は、或る仕方では大脳皮質に書き込まれていると言えようが、人間の言語能力が具体的に実現されるときには、日本語とか英語を話す能力として実現される。人間の場合には、日本語とか英語のような、それ自体は文化的構築物であって、直接的に身体の延長上にあるものではないが、身体能力の或る種の拡張としての文化的構築物、そういうものが決定的な意味を持つ。以下の考察は、感情と理性の起源について想像してみることによって、人間性の起源という話が一体どのようなものになるかを素描してみようとするものである。なぜ感情と理性かというと、人間にしか生じないと思われる意思の弱さというものが、感情と理性を主役とするものであるように思われるからである。