- 著者
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小松 裕
- 出版者
- 熊本大学
- 雑誌
- 文学部論叢 (ISSN:03887073)
- 巻号頁・発行日
- vol.78, pp.43-65, 2003-03-20
近代の日本人のほとんどは、まぎれもないレイシストであった。それは、中国(人)観が証明している。江戸期には、満州族の風俗である「弁髪」をもって、清国人を「芥子坊主」「ぱっち坊主」と呼んでいたが、そこに侮蔑的な意味合いは含まれていなかった。それが、江戸中期以降に少しずつ変化し、アヘン戦争などで中国が列強の前に敗退すると、知識人の中に中国を反面教師とする中国観が成立してくる。そして、明治に入るとすぐに「チャンチャン坊主」という侮蔑的な呼称が使われはじめ、「豚尾漢」などの呼称とともに都市部・居留地から地方へと徐々に広まっていった。その過程は、同時に、清国人を「豚」の漫画や絵で視覚化し、蔑視の対象にしていく過程でもあった。しかし、日清戦争までは、こうした中国人観が地方の民衆の中にまで浸透していたとはいえず、侮れない強国とする認識も存在していたが、戦勝により、国民的レベルで侮蔑的な中国人観が定着していった。