著者
石原 公道
出版者
日本ロシア文学会
雑誌
ロシア語ロシア文学研究 (ISSN:03873277)
巻号頁・発行日
no.34, 2002

ミハイル・ブルガーコフの死により第二部冒頭の半ばで推敲が永遠に中断した『巨匠とマルガリータ』のマルガリータには作者の三番目の妻であり,未亡人となったエレーナ・セルゲーヴナ(1893-1970)が擬せられている。スターリン治下のモスクワを舞台に,1928年もしくは29年から始められ,40年の死の直前まで続けられた『巨匠とマルガリータ』の断続的な創作過程において,作者ブルガーコフは,ある時,《どうして私は逮捕されないのか,自分の回りにスパイがいるのではないか》という考えが頭をよぎったことはなかったであろうか。「技師の蹄」「蹄のある顧問」等様々な題名を経て,「悪魔(ヴォランド)の福音書」の物語は最終的には『巨匠とマルガリータ』となり,悪魔(ヴォランド)が後景に退き,巨匠とマルガリータが主人公の位置を確保することになるのだが,その間,作者は考えてはならないことを考えたのではないか。その結果マルガリータが〈悪魔の舞踏会〉に登場するようになるとしたら……。1940年3月10日に亡くなったブルガーコフは,モスクワはノヴォデヴィチ墓地,モスクワ芸術座関係者(スタニスラフスキイ,チェーホフ,ゴーゴリ等)の眠る一郭に12日に埋葬。今でこそこういった人々と共に埋葬されていることに何の違和感もないが,当時ブルガーコフは,身分としてはボリショイ劇場に所属,スターリン生誕60周年祭のためモスクワ芸術座から依頼された,スターリンを主人公とした戯曲「バツーム」の上演禁止後,この劇場との関係はなく,公的にも,作品発表がほとんど禁じられた作家であったにもかかわらず,おそらくモスクワ市内でも一等地とされるこの墓地になにゆえ埋葬されることとなったのか。未亡人エレーナの関わりが考えられないだろうか?さらに厄介な問題は,『巨匠とマルガリータ』のテキストとして,5巻本全集版がエレーナの手元から出ているが故に,それが作者による正当性のある稿本とばかりは言えないことにあり,エレーナ没後刊行の73年芸術出版社判との異動が大きな問題となる。軽々の憶測は避けなければならないが,四半世紀の間,未亡人エレーナと言う〈密室〉に置かれてもいた作品であったことが考慮されていいのではないか。また,ブルガーコフにかかわる基礎資料の一つとして,『エレーナの日記』が,1990年に刊行。60年代初頭彼女による編集後のテキストは,明らかに臨場感が薄れている。それもさることながら,文学者ブルガーコフには,日記をつけることが許されていなかったときに,どうしてエレーナに日記が可能となったのか,という素朴な疑問が沸いてくるのだ。マルガリータの《罪と罰》について考えていかねばならない。

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