- 著者
-
仲矢 信介
- 出版者
- 日本語学会
- 雑誌
- 國語學 (ISSN:04913337)
- 巻号頁・発行日
- vol.51, no.2, 2000-09-30
1938年の内務省による小活字・ルビ禁止政策は,日本近代史の中へ位置づけてはじめて正確な理解が可能になることを示した。具体的には,(1)内務省政策はもっぱら活字の大きさを問題にしてのルビ禁止であったが,この当時,近視が国防上の不利益であるという認識,予防策の策定は他の官庁にも見られる。(2)そのうち,厚生省は同年設立の新しい官庁であるが,出自をたどると,内務省衛生局を母体とし,内務省とは密接な関連のあった官庁であり,陸軍省の構想と圧力によって設立を見た官庁であって,設立構想は,近視眼の増加を含めた「壮丁体質の悪化」による徴兵検査合格率低下への懸念に発していた。(3)厚生省の指導下に国家的組織として「視力保健連盟」が1938年9月26日に成立し,月刊誌の発行を含む全国規模の活動を展開していた。(4)同連盟と近視予防運動にとって近視は第一義的に,国防上の問題として認識されており,ルビを含む小活字の問題も,近視予防運動の立場から重要であり,近視の原因の一つと認識されていた。これは当時の行政と軍に共通した認識である。(5)内務省要綱はこのような文脈において,厚生省との連絡のもとに成立した。(6)したがって,近視予防運動の一環としての内務省要綱のルビ・小活字項目は,第一次大戦以降意識され,準備されてきた総力戦体制の整備の一環として位置づけられ,この時代の急速な戦時体制化を象徴するできごとの一つであり,軍事的意思が言語政策を併呑したところに成立した施策であった。