著者
中村 隆文
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学社会文化科学研究 (ISSN:13428403)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.29-40, 2004-10-01

ヒュームは因果関係を批判し、さらに人格の同一性も虚構的なものとして批判したことから、その思想は、デカルト以来疑われることのなかった「明晰な私」さえも否定する懐疑主義としてみなされてきた。事実、彼はその著作『人間本性論』において、実体を主張する二元論が根拠のない通俗的な説であると明言し、その論駁を主な目的としている。だが、私は、そうした動機、およびその議論の方法が懐疑主義的なものであるとも、あるいは、結論としてヒュームが懐疑主義者であるとも解釈されないものであると考えている。しかし、だからといって、ヒューム思想の本質が実際には彼自身が否定した二元論に拠っているということでもない。経験論は通常、知覚の中断にも関わらず、時間的経過における主体の在り方は不変的で同一的であるような主体実在論的立場にある。ヒュームは人格の同一性を批判しているものの、ヒューム思想全般の理論的背景として、そのような主体実在論的な経験主義、あるいは彼が否定するところの、主体の実在性を認めるような二元論を採っているとする解釈も少なくない。この論文における目論見としては、人格の同一性分析におけるヒュームの反主体実在論的立場が、因果分析を可能にしているヒュームの経験論と理論的に矛盾しないことを示し、ヒューム思想というものが、二元論あるいは主体実在論とは異なる形で主体の拡がりを示していることを明らかにしてゆくことにある。ヒュームの『人間本性論』における因果分析、人格の同一性分析を通しつつこれらのことを検証し、二元論的主体をどのような意味において否定しているのか、そして、主体というものがどのような位置付けをされているのかを考察してゆきたい。

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