- 著者
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長谷川 晶子
- 出版者
- 千葉大学大学院社会文化科学研究科
- 雑誌
- 千葉大学社会文化科学研究 (ISSN:13428403)
- 巻号頁・発行日
- no.9, pp.51-65, 2004
アンドレ・ブルトンは、第二次大戦後すぐにアール・ブリュット(生の芸術)の活動に関与している。アール・ブリュットの名付け親ジャン・デュビュッフェに協力しながら、ブルトンは美術の専門教育を受けていない画家の作品の擁護・蒐集・研究等に従事した。彼らの僅か三年で終わりを告げた関係について、美術史研究はたいていの場合、両者の感情的なレヴェルでの諍いがその決別の原因だと推測する。その場合、デュビュッフェ側の事情に重点がおかれ、ブルトンの見解の考察や両者のテクストはあまり考慮されていない。本論では、二人の対立を顕在化させたより本質的な原因として、両者の戦略やアール・ブリュットに関する認識の相違が存在することを証明する。この目的を達成するために、両者が共通してとりあげた唯一の画家、ジョセフ・クレパンに関するテクストを比較分析しながら、アール・ブリュットに関する二人の考え方の共通点と相違点を個別に検討する。