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「「荒野」派詩人たちは、当時三十代、四十代の詩人によって全く簡単に「空白」あるいは「ブランク」 の時代として片附けられてしまった戦争時代を、 前世代の詩人たちとは別の受け取り方で認識していたという事実が存在する」 同上 高橋伸一『「荒野」派詩人による〜』1997 https://t.co/SgJKyp5gLz https://t.co/BSQEPd05OY
「北村が前世代の詩人たちに不信を覚えたの は、次のような対談に表れている欺瞞的な態度ゆえである」 同上 高橋伸一『「荒野」派詩人による戦争責任論についての一考察』1997 https://t.co/SgJKyp5gLz https://t.co/LcS70ibhfr
「北村が前世代の詩人たちに不信を覚えたの は、次のような対談に表れている欺瞞的な態度ゆえである」 同上 高橋伸一『「荒野」派詩人による戦争責任論についての一考察』1997 https://t.co/SgJKyp5gLz https://t.co/6ZNQVJpv28
安彦「私ども二十代の青年は全く無知です。 詩について何もしらない。 詩とはどんなものかと人にきかれたなら答えに窮するものが多いと思ひます」 笹澤美明「恰度十年以上も詩が空白になっ て しまったんだから。これは我々の責任」 『現代詩』1947/1号対談(孫引:同上 高橋https://t.co/SgJKyp5gLz) https://t.co/9eG5XeHOQn
北川冬彦「新しく出てくる詩人のためにどうしても啓蒙が必要と思ふんだ。 それは僕らの義務だと思ふ。 広い意味の戦争時代、ここ十数年といものはまったくブランクだからね」 近藤束「悪時代が書かせるんだね」 『現代詩』1947/1号座談会(孫引:同上 高橋伸一1997 https://t.co/SgJKyp5gLz) https://t.co/SKFca6n6Ta
その後「荒野」派詩人により、「文学領域の内部/戦争責任の問題が、 新日本文学会の政治的方法とは違った視点から/新たな展開を見せた/。/大きく異な/る/一つは/時期/。/会の/追求が/「〜公職追放指令」を契機に1946年3月/開始とするなら/ちょうど一年の差」 同上 高橋1997 https://t.co/SgJKyp5gLz https://t.co/uaZWQFKYet
また文学領域内部からも、発起人資格を「帝国主義戦争に協力せず、これに抵抗した文学者のみ」とした「新日本文学会」(1945/12/30結成)の追求「メンバーによって初めて公然と行われたのは」公職追放指令の後の「新日本文学会東京支部創立集会 (1946年3月29日」 同上 高橋1997 https://t.co/SgJKyp5gLz https://t.co/M3CXk7ShhG
#月に吠えらんねえ でも存分に味わえる文学やそのスキルでの戦争協力。その責任追求としてGHQの『軍国主義指導者の公職追放指令』1946/1/4が「11月21日に言論界に適用され」「1948年3月22日、31日の両日にわたって、それぞれ270人、61人が仮指定された」。高橋伸一1997 https://t.co/SgJKyp5gLz https://t.co/4EshK5hebF
“CiNii 論文 -  「荒地」派詩人による戦争責任論についての一考察” http://t.co/XQw5gEVNc0

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