著者
井上 孝夫
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学教育学部研究紀要 (ISSN:13482084)
巻号頁・発行日
vol.52, pp.171-178, 2004-02-28

「壬申の乱に敗れたのち,大友皇子は房総の地に逃げ延びた」という房総・弘文天皇伝説は,房総の伝説のなかでも傑出したものの一つである。このような伝説が成立した背景には,この地域が古代の製鉄民族,多(オオ)氏の支配地域だったことと関連していて,大友皇子のゆかりの人々がオオ氏を頼りに房総に移住したと考えるのが最も理にかなっている。それはまた,「田原」地名の分布にはっきりと刻印されている。田原とはタタラであり,製鉄が行なわれていたことを示しているのである。だが古代の末期から中世にかけて熊野修験道が流入し,その結果,オオ氏の祀っていた田原神は白山神へと姿を変えた。これが,現在の白山神社(君津市俵田)に物理姫と弘文天皇が祀られている理由である。

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