著者
岩田 和男
出版者
愛知学院大学
雑誌
愛知学院大学教養部紀要 (ISSN:09162631)
巻号頁・発行日
vol.40, no.1, pp.55-73, 1992-07-20

本論文は、平成2年度の文部省科学研究費 (奨励研究A) の援助による研究、「英語文学作品に現われる日本のイメジの変遷」(課題番号02710212) の具体的成果の発表である。目的は西洋人が抱く日本の典型的イメージの一つであるムスメを分析することで、明治以降そのイメージがどのように形成されていったか、どんな特徴があるのかを調べることにある。研究の基本的態度はいわば西洋中心主義的日本理解批判である。Ruth Benedict, The Chrysanthemum and the Sword (1946) に代表されるように、日本人の精神構造は二つの相反するイメージ、しとやかな上品さと激しい攻撃性 (daintiness and violence) の不可解な融合として理解されている。しかし、そういう西洋のイメージ分類法に従った理解は一種の偏向であり、「ムスメ=すみれ」というステレオタイプには、明治以降の西洋人の目を通した日本ムスメのイメージが固着している。それはまた日本人に決定的な影響をもたらしている。既に日常感覚とは程遠いジャポネスクに驚くほど依拠して、日本人は自らを語るのである。だからこそそれは東洋的視点から見直される必要がある。まず「ムスメ」という言葉が英語文学に登場する歴史的文脈を検討する。要点は、(1) 文化交流史の観点に立つと明治維新とは新しいジャポニズムの始まりであった、(2) 英語文学における「日本」は反西洋文明、すなわち地上楽園 (Paradiso Terrestre) の記号的特徴を帯びる、以上二点である。必然的に英語文学上のムスメは少なからず虚構化される。それは、当時出版された書物のうち多くのタイトルにムスメの固有名が使われたほどその存在がポピュラーだったという事実に符合する。虚構化の一例を辿る。ムスメの図像的類型は当初写実的要素が強かった。彼女らは大抵背が低く、実年齢よりも若く見え、狐目をしていて、体型は日本的であった。しかし、驚くほど外国人に親切であけっぴろげなムスメという別の定型が示すように、写実的な要素と明治ジャパノロジストの彼らなりの価値が混在してムスメ観は成立している。だから小説に描かれるムスメの絵も英国人的姿をとるようになる。それは恐らくほとんどの読物が西洋男性によって書かれたという事実に深い関係がある。ムスメ虚構化の裏には当時の西洋男性が抱えていた現実があり、西洋女性がある。ムスメとは西洋男性の現実逃避の文学的手段なのである。男性側の現実を要約する。Dawn Lander, "Eve among the Indians" によると、アメリカ開拓文学には男性中心主義 (masculinism) が明らかである。開拓部落の男たちは白人のまともな女性を荒原に必要としない。そこでは性差上の他者、すなわち黒人、インディアン、白人娼婦がいればいいのである。このアメリカ西部の話は明治期日本にあてはまる。まずは地理上、"Far West" と呼ばれた西海岸よりさらに西にある日本は、アメリカ人から次の西部と呼ばれる可能性を潜在的に常に持つ。それに James Francis Abbott が指摘するように the Spanish-American War (1898) がアメリカの積極的外交政策をヨーロッパ諸国に示した端緒だとすれば、日本=新たな開拓地という見方は成り立つ。また英国では英国固有の特殊事情、婦人参政権運動が英国男性を日本へと向かわせた。西洋男性が演じるべき役柄は文学的類型で言えばオデュッセウス、日本ムスメはキュルケーである。Ayame-san ; a Japanese romance of the 23rd Year of the Meiji 例にとる。それは二人の地球放浪者 (globe-trotters)、オラファティー (O'Rafferty) とギフォード (Gifford) が日本を舞台に活躍する冒険恋愛物語である。この小説で印象的なのは次の三点である。(1) ギフォードという画家はアヤメに会ってから美の規範が西洋から日本に移行する。しかもアヤメを描いた絵は小部屋でひとり見るべき「聖なるもの」であり、その一種の洞窟での夢想は東洋のキュルケーとの秘かな楽しみを連想させる。(2) 女を逸脱しないムスメという構図は男にとって実に都合がいい。アヤメは自立を夢見ているというのにギフォードに旅行に出るよう勧められると、それが男のものであることにこだわる。三人で旅行に出ることを暗示して物語は終わるから最終的にこの図式は壊れるのだが、規を越えない女という構図に変化はない。(3) この小説は西洋の男性とムスメの間にありそうな愛の形を示している。物語には二人の合法的な結婚を将来に暗示する言葉はない。それは、日本を舞台にした英語文学のうち、東洋と西洋の文化摩擦を主題にするもう一つのタイプとは著しい対照をなしている。そこから見えてくるものは西洋男性のマッチョ願望であり、その文学的実現の装置としてムスメは不可欠であった。キュルケーの島で西洋女性がどういう役割をするのか、The Twin Soul of O'Take San (1914) を例に考察する。物語はガールストン (Garleston) 夫妻の離婚話から始まる。妻のセオドラ (Theodora) は夫オーエン (Owen) にコントロールされることを嫌う。自らを「制御されない女」と呼ぶ彼女は、かたくなであるがゆえにかえって男性優位の価値観に縛られた姿を浮き彫りにする。そこに私たちはヴィクトリア朝女性観の抗い難い浸透ぶりを見る。セオドラが馬鹿な女として描かれるのは社会イデオロギー上当然なのである。道徳とは男性の立場から構築されており、女性の立場に固執することは男性側の道徳・女性観に必然的に対立する。この男性中心主義こそがジャパノロジストをして、婦人参政権運動を背景にした女性の権利主張に対するアンチテーゼという役割を、日本のムスメに与えせしむるのである。オーエンは日本を訪れ、オタケさんというムスメを愛するようになる。オーエンが二人を精神的な意味での双子 (twin-souls) なのだと訴える場面があるが、それは彼とムスメとの不可分の関係、ムスメが彼のいわば理想的な影であることを示している。オーエンは来日前に、世界で忘れられたような場所 ("some out-of-the-wey place in the Far East") へ行きたいと言った。それは英国という彼の故郷とは正反対の場所である。その正反対さは、オタケの単純、無垢、聡明という性格がセオドラの複雑、不可解と正反対なことと奇妙に一致する。結局このようなジャポニズムは幻想なのである。ひとはあるべき場所に戻らなければならない。物語の構造上セオドラの改俊は必須である。果して彼女は来日し自分の心境の変化、わがままの後悔、全き犠牲への覚悟を語る。彼女は男性中心の道徳の軍門に下ったわけだ。利益を受けるのはオーエンただ一人である。セオドラは臨終の床のオタケと会うが、そのときオタケからオーエンとの間にできた子供 (もう一つの彼の影) のことを頼まれる。オタケとセオドラが物語構造上の二項対立であったことは明らかで、オタケはセオドラの逆像にすぎない。臨終の時のオタケの視線はセオドラには「深い水底 (profound abysses)」を思わせた。この視線は、結局ムスメのイメージとは西洋人にとっては全体的には不可解であることを象徴的に示す。確かに部分的特徴は理解できるが、そのイメージの核を成す部分 (一種の超自然性) がサムライのイメージと同様理解不能のまま残る。たおやかなイメージのムスメの中に相容れない要素が神秘的に混在しているのを発見するのはショックである。だからこそ彼らは繰り返しムスメの中のサムライ的要素に注目する。ムスメは英語文学の中で異質な影、他者という役割のみが与えられている。それはおそらく絶対他者、あるいはサムライのイメージに収斂されるものと定義し直すことができるだろう。

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