- 著者
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小松 英雄
- 出版者
- 駒沢女子大学
- 雑誌
- 駒沢女子大学研究紀要 (ISSN:13408631)
- 巻号頁・発行日
- vol.6, pp.123-146, 1999-12-24
上代の借字 (いわゆる万葉仮名) は楷書体に基づいていたために、語句のまとまりを表示することができなかった。平安初期になると、草書体の仮名が形成されて、その欠陥が克服された。連綿や墨継ぎを効率的に制御して語句のまとまりを表示すれば、清音と濁音との音節に同じ文字を当てても、語句の同定に支障を生ることがないので、仮名は清濁を区別しない音節文字の体系として形成された。上代の韻文は語句の線条であったが、平安初期になると、清濁の対立が捨象された仮名の線条に切り替えられ、共通の仮名の線条に複数の語句を重ねる表現技巧が発達した。その結果、韻文の形式が {57577} に限定され、三十一文字の狭い枠のなかに豊富な表現を盛り込むことが指向されるようになった。それが、『古今和歌集』に代表される平安初期の和歌である。仮名の線条にことばを組み込んだ和歌は、一次的には視覚でとらえて理解するように構成されている。平安末期になると言いさし形式の表現技巧が発達し、和歌が再び語句の線条に戻ったために、以後の歌人たちは、『古今和歌集』を和歌の鑑と仰ぎながら、それらの和歌が仮名の線条として構成されていることを見抜けなくなり、今日に至るまで語句の線条として理解されてきた。したがって、和歌の表現解析は、注釈の伝統から脱却して、再出発する必要がある。検討の過程をつうじて、『古今和歌集』の構成原理を明らかにし、あわせて、巻19の「短歌」が示唆する日本語韻文史の諸問越について考察する。その帰結は、末尾の <結語> されている。