著者
奥谷 浩一
出版者
札幌学院大学
雑誌
札幌学院大学人文学会紀要 (ISSN:09163166)
巻号頁・発行日
vol.73, pp.21-50, 2003-03-20

本稿では,植物と動物の位置性にかんするプレスナーの理論を考察した前稿に引き続き,人間の位置性にかんする理論を検討する。プレスナーによれば,人間が環境領野にたいしてとる位置性は,植物の開放性,動物の閉鎖性・中心性とは異なって,脱中心性である。動物は,おのれのうちに意識と中心を有し,環境世界にたいしては行動図式をもって対処しうる。しかし動物は,空間的には<ここ>,時間的には<今>のうちに埋没し,これらと事物とを真に対象化することはできない。これに対して人間は,動物と同じく閉鎖的・中心的ではあるが,<ここ>と<今>にたいして距離を取り,「意識とイニシアティヴの主体」として,おのれの中心から外に出て,これらを対象化し,これらから離脱することができる。人間は,自我をもち,「消失点」または「眺望点」を自己の背後にもつ。しかし,自然による束縛を免れた人間には,動物のような自然的な場所と安定性はもはや失われ,自らの足で立たなくてはならず,場所も時間もなく,境界ももたずに,自らの力で進路を切り開かねばならない。こうして人間は,自然的技巧性を発揮して,道具を用いて文化を創造する必要に迫られ,媒介された無媒介性によっておのれを表出し,歴史をおのれの背後に残さざるをえず,そして世界のうちにおのれの本来の場所をもたない無場所的=ユートピア的性格のために,世界根拠または神への信仰という宗教的次元によっておのれの故郷へと還帰せざるをえない。われわれは,位置形式という首尾一貫した観点から植物・動物と人間との差異に一歩一歩迫っていこうとするプレスナーの理論から豊富な諸論点を大いに学ぶことができる。しかし,彼が空間的なイメージに固執して,人間の一切の営為を脱中心性という位置形式へと還元するあまり,一種の還元主義に陥っているのではないかという嫌疑もまた生じている。彼が言う「消失点」または「眺望点」も,人間の大脳化に伴って,自己自身を対象化しうるまでに発達を遂げた人間の自己意識から説明しうるのであるから,結局のところプレスナーはドイツ古典哲学における観念論的な伝統に回帰していると言わざるをえない。そして位置形式の差異から動物と人間を考察する限り,そこには両者のあいだに橋渡ししえない質的断絶しか見えてこないことになろう。ここにプレスナーの理論の時代的制約と限界があるように思われる。

言及状況

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編集者: Trendneed
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編集者: Trendneed
2020-10-16 05:40:13 の編集で削除されたか、リンク先が変更された可能性があります。

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