著者
金子 百合子
出版者
日本スラヴ・東欧学会
雑誌
Japanese Slavic and East European studies (ISSN:03891186)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.91-119, 2006-03-31

本研究は次の理論仮説および分析装置に基づく。異なる言語(筆者の場合、ロシア語と日本語)のアスペクト意味体系を対照する場合、ある種のアスペクト的意味特徴は多くの言語に共通して表わされるが、その表現の仕方は各言語で異なる可能性があることを考慮する必要がある(普遍性と相対性)。その「異なり方」にアプローチする概念的装置が「意味的優勢素」(Падучева)であり、それは他言語と比較した際の詳細な内容的差別化、発話における高い使用頻度や低い意図性、他言語への翻訳の難しさ等の特徴で際立つ意味(野)に対して用いられる。言い換えれば、意味的優勢素とはある言語が比較的得意とする意味野であると同時に、当該の言語話者にとってはあまりにも身近なために意識されずに用いられている意味野でもある。筆者はロシア語のアスペクト機能意味野において"限界"の概念が意味的優勢素とみなされるとする立場を擁護する(Пертухина)。これはロシア語のアスペクト体系における、限界に関する多様な概念の重要性、その内容的差別化、表現形式の豊富さ(文法レベルでは完了体、語形成レベルでは動作様式、終了指示性による動詞の意味分類)、発話における高い使用頻度と表現の非意図性、高い文法性、翻訳の困難さなどが根拠である。筆者の先行研究では限界の一つのバリアントである開始限界、つまり開始性の表現について、ロシア語におけるその優勢的な実現のあり方を日本語との比較で検討してきた。本論文は筆者の主張をさらに実践的な側面から補強するために新たなデータとして三島由紀夫『金閣寺』とそのロシア語訳(Г. Чхартишвили≪Золотой Храм≫)を取り上げ、両言語において開始表現がどのように用いられているかを具体的に検証する。また、当研究をロシア語以外の言語に拡大する今後の可能性も視野にいれ、参考までに英語訳(I. Morris≪The Temple of the Golden Pavilion≫)を付した。分析の結果は筆者のこれまでの研究結果に矛盾しない。典型的な開始表現(起動的開始性)だけを取り上げても、日本語原作では54回用いられるのみだが、ロシア語訳テキストでは211回を数える。すなわち、ロシア語テキストにおける開始表現は日本語テキストにおけるそれの約4倍となる。この事実は、別の観点から捉えれば、日本語テキストにおけるかなりの数の"非開始表現"がロシア語テキストでは開始表現として解釈、転換されることを示す。このような特徴はロシア語のアスペクト体系が、時間軸上に次々と展開していく諸状況を前にしたとき、各状況から限界点を取り上げて、つまり、そこに優先的に焦点を合わせて、記述する傾向にあることを示唆する。一方、ロシア語の開始表現に取って代わられる日本語の"非開始表現"の多くは位相意味を持たない動詞の単純形式(-ル/-タ形)であるが、その他、-テイク、-テクルなどの移動のプロセスを含意するテ形複合動詞や、「〜(よう)になる」のような、時間的推移の位相というよりも、むしろ質的変化を意味する表現がしばしば用いられる。

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こんな論文どうですか? ロシア語と日本語における開始表現 : 三島由紀夫『金閣寺』を題材に(金子 百合子),2006 http://t.co/hqgth9ksuz
こんな論文どうですか? ロシア語と日本語における開始表現 : 三島由紀夫『金閣寺』を題材に(金子百合子),2006 http://id.CiNii.jp/T7uyL

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