著者
大山 麻稀子
出版者
日本スラヴ・東欧学会
雑誌
Japanese Slavic and East European studies (ISSN:03891186)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.149-165, 2006-03-31

グレープ・ウスペンスキーは、「ナロードニキ作家」とも呼ばれる。しかし、この呼び名には、彼の外貌をゆがめて都合良くその作品を解釈しようとする、当時のリベラル派のジャーナリズムの意図があったといえる。本稿では、ウスペンスキーによる農民の分析を通して、イデオロギー的な視点に拠らずに彼の思想内容を把握することを目的とする。第一節では、農耕を営み、その生活の根幹において大地へ服従せざるを得ない農民(農奴解放前)が獲得した世界観に関する、ウスペンスキー自身の観察と見解を考察する。第二節では、資本主義経済が流れ込んだ農奴解放後の農村にいかなる混乱が生じたかをウスペンスキーの目を通して示し、農奴制によって育まれた農民の世界観の負の部分についての彼の分析に、主に着目する。彼の見解によれば、農奴制時代を通してロシア農民の内部に形成された、自分では何も責任を負わない受動的な赤子精神は、農奴解放後の資本主義経済において、百姓をして無分別に他者から奪い取らせ、同時にまた、無防備に他者の搾取の魔の手にかからせてしまう。続く第三節では、農奴解放後の農村社会に対するウスペンスキーの評価付けによって、彼の思想が当時のナロードニキ思想とは一定の隔たりがあったことを論じる。ウスペンスキーは、農村共同体を社会主義的理想に近しいものと美化する姿勢をナロードニキらと共有せず、同時に、農村生活の中に「ロシア」独自の発達段階を見なかった。加えて、ロシア正教の宗教的独自性をも認めておらず、彼によれば、キリスト教というのは昔の賢人が民衆の中に導入した「幾世紀もの苦悩の末に、人類が辿りついた最後の言葉」である。第四、五節では、近現代のロシア・インテリゲンチアの希望の基となった「農村共同体」、「ロシア正教」といった理念を放り捨ててしまったウスペンスキーにおける救いに言及する。ウスペンスキーは、「民衆のインテリゲンチア」と「刺すような社会の諸問題」いう理念を持ち出している。前者は、民衆に道徳的な義務を唱導する農村の精神的リーダーであり、後者は、民衆に直接伝えられるべき、現代にとっての「最後の言葉」である。これらの内にウスペンスキーの救いがあったのかどうかを判断するのは困難であるが、いずれにせよ、彼を「ナロードニキ作家」と一言で定義づけるのに誤りがあるのは事実であろう。ソ連時代の一定の評価の下に埋没しているウスペンスキー研究においては、今後一層の独創性と柔軟性が要求されるように思われる。

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