- 著者
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荻原 桂子
- 出版者
- 九州女子大学・九州女子短期大学
- 雑誌
- 九州女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09162151)
- 巻号頁・発行日
- vol.36, no.3, pp.111-120, 2000-02
『三四郎』は、明治四十一年九月一日から十二月二十九日まで百十七回にわたって、東京・大阪朝日新聞に連載された。同年八月十九日の同紙上に「『三四郎』予告」がある。田舎の高等学校を卒業して東京の大学に這入つた三四郎が新しい空気に触れる、さうして同輩だの先輩だの若い女だのに接触して色々に動いて来る、手間は此空気のうちに是等の人間を放す丈である、あとは人間が勝手に泳いで、自ら波瀾が出来るだらうと思ふ、さうかうしてゐるうちに読者も作者も此空気にかぶれて是等の人間を知る様になる事と信ずる、もしかぶれ甲斐のしない空気で、知り栄のしない人間であったら御互に不運と諦めるより仕方がない、たゞ尋常である、摩訶不思議は書けない。『三四郎』で、問題になるのは、作品における「美禰子」という女性の存在である。田舎から出できた「三四郎」の愛の対象としてその華麗な容姿を作品のいたるところで発揮するが、その本質は、作品読解の焦点のひとつとなっている。「美禰子」という女性の本質を理解し、その存在が「三四郎」に与えた影響を考えることが、作品『三四郎』の読解の重要な要素であることは、言うまでもない。さらに、作品末尾の「迷羊(ストレイシープ)」という「三四郎」のつぶやきが、作品全体に意味するものを解明する。