著者
荻原 桂子
出版者
九州女子大学・九州女子短期大学
雑誌
九州女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09162151)
巻号頁・発行日
vol.42, no.3, pp.83-91, 2006-02

漱石文芸における夢と現実の問題は、その作家的資質にかかわる重要な問題である。漱石は、人間存在の根源にあるものに固執し続けた作家である。意識の深層で蠢く無意識の暗がりに探照燈を照らし、人間存在の根源に深く分け入ろうとする作家的資質は、既に、作家以前の漱石に兆していた。たとえば、明治二九年一〇月の「人生」(「龍南会雑誌」四十九号)で、「蓋し人は夢を見るものなり、思も寄らぬ夢を見るものなり、覚めて後冷汗背に洽く、茫然自失する事あるものなり、夢ならばと一笑に附し去るものは、一を知つて二を知らぬものなり、夢は必ずしも夜中臥床の上にのみ見舞に来るものにあらず、青天にも白日にも来り、大道の真中にても来り、衣冠束帯の折だに容赦なく闥を排して闖入し来る」(『漱石全集』一六巻、一二-一三頁)と述べる漱石は、その後、作家となり、夢を方法として作品を書くこととなる。明治四一年七月から八月にかけて「東京・大阪朝日新聞」に連載された『夢十夜』は、まさに漱石の作家的資質が開花した作品である。意識の深層に蠢く無意識の世界が、夢という方法を採ることで、意識の表層に浮かび上がってくる。この夢と現実の交錯のなかで、漱石は人間存在の根源に分け入ることができると考えたのである。本論では、明治四一年九月から一二月まで「東京・大阪朝日新聞」に連載された『三四郎』の広田先生の夢に着目し、漱石の夢の方法について論及する。
著者
荻原 桂子
出版者
九州女子大学・九州女子短期大学
雑誌
九州女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09162151)
巻号頁・発行日
vol.37, no.1, pp.45-52, 2000-09

一葉の作品は、明治の女性たちの生きざまとその魂のうめきを、雅俗折衷体という文体を用いて描いたものである。それは、明治という時代のはざまで、近世的な価値観と近代化がもたらした自我の覚醒のせめぎ合いのなかで、どのように自己実現を果たすかという一葉自身の自己実現化という問題と相克しつつ展開されるのである。その文体は、まさしくその時代的境界にたたされた危機的な均衡のなかで、多くの評家によって絶賛されることになる。男性の気持ちが絶対視される社会にあって、男性の気持ちの受け皿としてしか認識されていなかった女性にも、精神はあるのだという主張である。虚に漂うこうした女性の声を集めて、その声に呼応する形で、語る主体である一葉の自己実現が「誠にわれは女成けるものを、何事のおもひありとてそはなすべき事かは」(「ミづの上」) という感慨とともになされる。それは、近代日本という時代の変遷の荒波を、男性社会のなかで女戸主として生き抜くという厳しい現実感のなかでなされるのである。こうした確かな現実認識にささえられた一葉の視線は、この時代を生き抜くさまざまな階層の女性の声を、生の声として聞くことを可能とした。作家としての時代を視る目、人間を視る目を一葉は日々の生活のなかで獲得したのである。この厳しい現実認識が、時代の裂け目に鋭く突き刺さり、その時代に翻弄されない独自の文体を編み出した。それは、雅文体という伝統的和文の体をとりながらも、その美文的修辞を拒絶した鋭い現実認識に根差した俗文体を取り入れている。一葉の文体には、時代の波に翻弄されることのない毅然とした態度と、その時代の制度に拮抗する自由な精神が両立していることを示している。
著者
荻原 桂子
出版者
九州女子大学・九州女子短期大学
雑誌
九州女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09162151)
巻号頁・発行日
vol.43, no.3, pp.63-76, 2007-02

漱石文芸における<狂気>とは、平常は人間の心の闇に潜み、突如として人間を襲う不可抗力としての歪みを発生させるものである。漱石文芸の主人公たちは、こうした恐怖と不安をともなう居心地の悪さのなかで人間の暗闇に潜む「人間の罪」のまえに佇立し続け、人間の関係性に悩む能力を高めていくのである。漱石は、「神経衰弱と狂気」(『文学論』序)を手がかりに、人間連帯への求道のなかで、<狂気>の超克の可能性を模索するのである。漱石文芸における<狂気>の諸相は、自己「本来の面目」と現実との歪みを認識し、「人間の罪」を自覚することで、その罪の前に佇立する人間の姿である。漱石は、自己の文芸創作をとおして自己の内なる<狂気>と対峙するなかで、「自然」に逃避するのではなく、「自然」を呼び覚ますことの重要性に気付きはじめる。漱石文芸の登場人物は、「自然」からの疎外に病んだ孤独を抱えながら、自己の内なる〈狂気〉と対峙し、「自然」に帰一するように、自己「本来の面目」にたどり着こうとするのである。
著者
荻原 桂子
出版者
九州女子大学・九州女子短期大学
雑誌
九州女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09162151)
巻号頁・発行日
vol.36, no.3, pp.111-120, 2000-02

『三四郎』は、明治四十一年九月一日から十二月二十九日まで百十七回にわたって、東京・大阪朝日新聞に連載された。同年八月十九日の同紙上に「『三四郎』予告」がある。田舎の高等学校を卒業して東京の大学に這入つた三四郎が新しい空気に触れる、さうして同輩だの先輩だの若い女だのに接触して色々に動いて来る、手間は此空気のうちに是等の人間を放す丈である、あとは人間が勝手に泳いで、自ら波瀾が出来るだらうと思ふ、さうかうしてゐるうちに読者も作者も此空気にかぶれて是等の人間を知る様になる事と信ずる、もしかぶれ甲斐のしない空気で、知り栄のしない人間であったら御互に不運と諦めるより仕方がない、たゞ尋常である、摩訶不思議は書けない。『三四郎』で、問題になるのは、作品における「美禰子」という女性の存在である。田舎から出できた「三四郎」の愛の対象としてその華麗な容姿を作品のいたるところで発揮するが、その本質は、作品読解の焦点のひとつとなっている。「美禰子」という女性の本質を理解し、その存在が「三四郎」に与えた影響を考えることが、作品『三四郎』の読解の重要な要素であることは、言うまでもない。さらに、作品末尾の「迷羊(ストレイシープ)」という「三四郎」のつぶやきが、作品全体に意味するものを解明する。
著者
荻原 桂子
出版者
九州女子大学・九州女子短期大学
雑誌
九州女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09162151)
巻号頁・発行日
vol.39, no.3, pp.121-128, 2003-02

作品「琴のそら音」は、明治三十八年六月、「七人」に発表され、明治三十九年五月、大倉書店・服部書店刊行の『漾虚集』に所収された。「琴のそら音」は、「遠い距離に於てある人の脳の細胞と、他の人の細胞が感じて一種の科学的変化を起す」という「不思議」な出来事を、「幽霊」というキーワードで、その生の実存に深く関わりながら、描き出そうとする。『漾虚集』は、日露戦争時に執筆されたため、その影響も色濃く表現されている。漱石は、西欧に対する近代国家日本のあり方に深い疑義を呈していた。日露戦争の勝利に、国民は狂喜乱舞するが、その後のポーツマス条約の不遇な内容によって国民の怒りと不満が爆発する。こうした社会情勢のもと、漱石は旺盛な執筆活動を開始したが、それは、世間の喧騒とはかけ離れた幽玄の世界に男女の恋愛を描くという幻想的なものであった。「幽霊」「催眠術」という超現実の世界に漱石の生の重い想念を開花させた作品として、「琴のそら音」について、論及する。なお本稿における漱石の作品引用は、すべて『漱石全集』岩波書店 (平成五年十二月〜平成十一年三月) に拠った。
著者
荻原 桂子
出版者
九州女子大学・九州女子短期大学
雑誌
九州女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09162151)
巻号頁・発行日
vol.44, no.3, pp.143-154, 2008

『羊をめぐる冒険』は、一九八二年八月『群像』に発表された村上春樹(一九四九年〜)の長編小説である。一九七九年六月『群像』に発表された『風の歌を聴け』、一九八〇年三月『群像』に発表された『1973年のピンボール』に続く、<鼠>三部作の最終作として若い世代から圧倒的な支持を受け、一九八二年には野間文芸新入賞を受けた。内閉した自己の心と、他者の心との関係性に触れ、自分か自分として感覚できない自己をめぐる病が描きだされる。他者の心に達するということの不可能から、他者との断絶のなかで生きていた<僕>が、<羊>をめぐる冒険に駆り出される。「自分自身の半分でしか生きてない」(第三章-3)と不思議な力のある耳を持つ女友達に言われ、「僕の残り半分」(同)を見出す行動にでることで、<撲>は自閉した自己を解放する冒険にでるのである。そこには、向こう側の世界が待ち受けていたのである。
著者
荻原 桂子
出版者
九州女子大学・九州女子短期大学
雑誌
九州女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09162151)
巻号頁・発行日
vol.43, no.1, pp.63-72, 2006-09

漱石は、自己の内なる狂気と対峙し、狂気を作品に相対化して描くことで、人間の生の根源にある心の実体を描き出そうとする。漱石は、『行人』の前作『彼岸過迄』で、「自分はたゞ人間の研究者否人間の異常なる機関が暗い闇夜に運転する有様を、驚嘆の念を以て眺めてゐたい」(「停留所」一『漱石全集』七巻、三九頁)と述べている。漱石の文芸創作の課題は、「人間の異常なる機関が暗い闇夜に運転する有様」を相対化して描くことである。『行人』は、その最も実在的な、人間の暗闇を映し出し、狂気を極限にまで相対化して描いた作品である。『行人』にある「即ち絶対だと云ひます。さうして其絶対を経験してゐる人が、俄然として半鐘の音を聞くとすると、其半鐘の音は即ち自分だといふのです。従つて自分以外に物を置き人を作つて、苦しむ必要がなくなるし、又苦しめられる懸念も起らないのだと云ふのです」(四四『漱石全集』八巻、四二七頁)は、西田幾多郎の「自己の意識状態を直下に経験した時、未だ主もなく客もない、知識とその対象とが全く合一している」(「第一編 純粋経験 第一章 純粋経験」『西田幾多郎全集』一巻、一頁)状態と響き合うのである。夏目漱石と西田幾多郎は、ともに明治という時代とともに青春を過ごし、和魂洋才のなかから、独自の境地を切り開いたのである。
著者
荻原 桂子
出版者
九州女子大学 :
雑誌
九州女子大学紀要 (ISSN:18840159)
巻号頁・発行日
vol.48, no.2, pp.1-17, 2012
著者
荻原 桂子
出版者
九州女子大学 : 九州女子短期大学
雑誌
九州女子大学紀要 = Bulletin of Kyushu women's university (ISSN:18840159)
巻号頁・発行日
vol.51, no.1, pp.117-130, 2014

宮沢賢治詩の魅力を生徒に気づかせる指導方法として、詩の感動の中心と細部の表現の関係を中心に考察する。賢治詩のなかでも「永訣の朝」は教科書収載が最も多い作品であり、高等学校一・二年の詩教材として安定した位置にある。賢治の作品は、童話とともに国語教科書に収載されることが多いが、言語表現にいくつもの解釈が生まれる深遠な魅力をたたえている。豊かな言語表現を真摯な態度で読み解くことが学習者に求められるのだが、「永訣の朝」は『春と修羅』と題されたものに収録されていることからも、「修羅」の言語表現として読む可能性を持ち続けなければならない。「永訣の朝」においては、雪と水という清澄な言語表現にひそむ、生と死の世界を彷徨する「修羅」の昏迷があることを、文学教材の言語表現から読み解くことが重要である。
著者
荻原 桂子
出版者
九州女子大学 : 九州女子短期大学
雑誌
九州女子大学紀要 = Bulletin of Kyushu women's university (ISSN:18840159)
巻号頁・発行日
vol.51, no.1, pp.117-130, 2014

宮沢賢治詩の魅力を生徒に気づかせる指導方法として、詩の感動の中心と細部の表現の関係を中心に考察する。賢治詩のなかでも「永訣の朝」は教科書収載が最も多い作品であり、高等学校一・二年の詩教材として安定した位置にある。賢治の作品は、童話とともに国語教科書に収載されることが多いが、言語表現にいくつもの解釈が生まれる深遠な魅力をたたえている。豊かな言語表現を真摯な態度で読み解くことが学習者に求められるのだが、「永訣の朝」は『春と修羅』と題されたものに収録されていることからも、「修羅」の言語表現として読む可能性を持ち続けなければならない。「永訣の朝」においては、雪と水という清澄な言語表現にひそむ、生と死の世界を彷徨する「修羅」の昏迷があることを、文学教材の言語表現から読み解くことが重要である。
著者
荻原 桂子
出版者
九州女子大学・九州女子短期大学
雑誌
九州女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09162151)
巻号頁・発行日
vol.36, no.1, pp.71-77, 1999-09

「滑稽の裏には真面目がくつ付いて居る。大笑の奥には熱涙が潜んで居る。雑談の底には啾々たる鬼哭が聞える。」(二)という「諷語」を作品に活かすことで、「趣味の遺伝」という「男女相愛」の「玄境」を現代に問いかける。作品の背景は、明治三十七年(一九〇四)から明治三十八年(一九〇五)の日露戦争であるが、読者と物語の時間を共有するということ以外で、漱石がこの戦争とかかわることはない。というのも、漱石には「生理的な『厭戦思想』はあっても、政治的な『反戦思想』はない。」からである。作品の主題は、あくまでも「天下に浩さんのことを思つて居るものは此御母さんと此御嬢さん許りであらう。」(三)という「余」が、「此両人の睦まじき様」に「清き凉しき涙を流す。」(三)ということ以外ないのである。ここに、「父母未生以前に受けた記憶と情緒が、長い時間を隔て、脳中に再現する。」(三)という漱石文芸の世界が開示する。
著者
荻原 桂子
出版者
九州女子大学・九州女子短期大学
雑誌
九州女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09162151)
巻号頁・発行日
vol.35, no.1, pp.101-109, 1998-09

『坑夫』は、主人公が北へ北へとめざす坑夫になるまでの前半部と、銅山に着いてから坑夫としての生活を体験する坑内での後半部とでは、その運動の方向性だけでは語りつくせない、漱石の作家としての二極を見ることができる。前半は「〓徊」という立場で主人公の意識を追うことに全神経を集中している。しかし、後半で「シキ」という現実の生と死が向き合う世界に身をおいてからは、文学理論家としての漱石ではなく、生の暗部を追う作家漱石の鋭い目が見開かれ、「生涯片付かない不安の中を歩いて行くんだ」という「片付かない不安」の中を生きる人間を描くことになる。
著者
荻原 桂子
出版者
九州女子大学・九州女子短期大学
雑誌
九州女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09162151)
巻号頁・発行日
vol.34, no.3, pp.91-100, 1998-03

作品末尾の「憐れ」は「非人情」の対極にあるのではなく究極に存在するものである。「非人情」を追求してきた画工にとって、それは非現実的なものではなく、現実的な確かなものである。現実は何一つとして変わっていないが、画工の意識の中では変化が遂げられる。それは、那美の内面の変化でもある。
著者
荻原 桂子
出版者
九州女子大学・九州女子短期大学
雑誌
九州女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09162151)
巻号頁・発行日
vol.39, no.1, pp.85-92, 2002-10

「舞姫」は、明治二三年 (一八九〇) 一月「国民之友」第69号付録に掲載された。鴎外二九歳の作である。太田豊太郎の一人称で語られるこの作品は、完成度の高さにおいて、近代文学史において重要な位置をしめている。本稿は、ここに描かれる太田豊太郎の近代知識人としてのありかたについて考えるなかで、その感性を導きだしたエリスの存在について考察する。明治日本の精神においては、異国での結婚を前提とした恋愛、官命への反抗、家の放棄は、倫理に反する重罪であった。たとえば、愛した女性を捨てるよりも、国家や家を捨てることのほうが、罪が深いとされる。明治日本の精神構造のなかでは、個人の精神は、抹殺される。そのなかで、エリスは狂い、太田豊太郎は痛恨の痛みを持続する。近代知識人太田豊太郎が超えようとした近代とは何だったのか。森鴎外「舞姫」について論及する。
著者
荻原 桂子
出版者
九州女子大学・九州女子短期大学
雑誌
九州女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09162151)
巻号頁・発行日
vol.38, no.1, pp.67-75, 2001-09

賢治の童話は、その法華信仰に強く根差してはいても、それが決して説教臭くなったりすることはない。なぜなら、賢治自身が信仰であり、その心のさまをそのまま描いたものが「心象スケツチ」(「新刊案内」) という賢治童話だからである。それは、かりものではない、賢治の心身をかけた祈りそのものである。賢治にとっては、「きれいにすきとほつた風をたべ」(「序」) ることも、「桃いろのうつくしい朝の日光をのむ」(序) ことも、日常茶飯の出来事で、特別なことではない。しかし、賢治をとりまく社会は、「すばらしいびらうどや羅紗や、宝石いりのきもの」(「序」) に、現を抜かす。そうした社会の暴力や貧困に蝕まれていく純真無垢なこどものために、賢治は祈りを込めて、童話を書くのである。人間の生そのものが抱える不条理を、現代社会が抱える精神の危機を打開するために、「すきとほつたほんたうのたべもの」(「序」) の実現を、九つの童話に託すのである。童話集の三番目に収録された「注文の多い料理店」では、信仰によっても救いきれない人間の軽薄が、二人の紳士の顔がもとにもどらないことの原因である。賢治が、「都会文明と放恣な階級に対する止むに止まれない反感」(「新刊案内」) と書いたとき、その矛先を自分自身にも向けたに違いない。「イギリス風紳士」を迎え撃つ「山猫軒」は、その名のとおりすべてにおいて、西洋風にできた「西洋料理店」なのである。「山猫」も、巧みな言葉をつかって獲物をおびきよせる狡猾な頭脳犯なのである。「すきとほつたほんたうのたべもの」(「序」) とは、こうした現代社会に巣くうのっぴきならない根源悪に立ち向かうための唯一の武器であり、時代や社会に押し流された人間が、本来のすがたにもどるための解毒剤でもあったのだ。