- 著者
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スミルノワ T.V.
- 出版者
- 日本スラヴ・東欧学会
- 雑誌
- Japanese Slavic and East European studies (ISSN:03891186)
- 巻号頁・発行日
- vol.27, pp.57-82, 2007-03-30
今日かなり普及している比較的新しい学に言語文化学がある。この学にたずさわる研究者たちは先例現象理論を構築したが、これはロシア的コトバ=ヒトの特徴づけにも大いに役立っている。先例現象という領域には、先例テクストや先例状況、先例言説、そして先例人名が入る。先例人名(PI)とは、「個人名で、1)先例として広く流布しているテクストに関係する(たとえばオブローモフ、タラス・ブーリバ)か、2)当該母語使用者に広く知られている状況と結びつき、よく先例として引かれる名(たとえば、イワン・スサーニン、コロンブス)、また特定の価値をはかる基準となるべきそれなりの全体性を指し示す象徴名(モーツァルト、ロモノーソフ)のことである」。「それは、使用される際に、当該PIのもつ弁別的諸特徴の集まり全体への訴えかけが生じる、ある種の複合記号である。それはひとつ、またはいくつかの要素からなりたちうるが、あくまでもひとつの概念を意味するものである」(クラースヌィフV.V.「他者」の中の「身内」:神話か現実か、モスクワ、ITDGK『グノシス』、2003, p.197-198)。PIはロシア連邦国民によって活発に使用されているが、それはロシア文化も東方の文化がそうであるように、高度に文脈的なものに属しており、コミュニケーション主体間で交わされる情報の大部分がコンテクスト(内的な、あるいは外的な)のレベルに存在するためである。だが背景を共有しないものにとってPIを判別し理解することは、ふつうは辞書にも載っていなし解読もできないので、いちじるしく困難である。PIの意義は、異文化コミュニケーション実現のために必要なだけでなく、国民性の理解のための鍵でもある。なぜならPIは、その母語話者の心的特性や国民性ときわめて緊密に結びつき、情報の選択とその提示方法に影響を与えている、文化=コトバコードの重要な要素だからである。PIは種々のタイプのテクストで、いろいろな立場で使用される。われわれはメディア・テクストの見出しにおけるPI使用の特質を検討することが重要だと考える。新聞テクストでは見出しは第一級の役割を担う。一面で言えば見出しは、記事に対する読者の注意を惹きつける機能を果たしている。他面、見出は、まさにそこから読解が始まるのであり、情報提供の音叉となって記事内容の主題と記述の調子を規定している。現代の見出しは「意味緊張の強化を指向している。それは一風変わった形態に走りがちで、評価の押しつけ、ことさらな表現、宣伝調に傾き、あらかじめ何が語られるかを示しつつ、新聞が扱う題材の受容が一定の方向でなされるよう調子を整えながら、報道するのである」。現代の見出しがこうした特徴をもつとするなら、新聞見出しとは、記事を理解し情報を予測する、また書かれる内容への筆者自身の態度がいかなるものかを判定する鍵である、と結論づけることができよう。新聞・評論的文体には報道と感化という、ふたつの重要な機能がある。しかし「情報の受け手を感化するためには、まずその注意を惹きつけなければならず」、その点はジャーナリストが種々の手法を駆使して努めているところであり、先例現象の利用もその内に入るのである。マスメディア言語の研究者は、今日の「評論的ディスコースでは読者の注目をひく個性的な見出しの量が急激に増えており」、いろいろのタイプのPIが、さらにはPIの変形がますます多く現れるようになったと指摘する。したがって新聞・評論的テクストを読む過程はコミュニケーションの特殊な種類であり、そこで前面に出てくるのは、情報の受容というよりもむしろ筆者の情報に対する態度の理解である。筆者が自分の書いた情報に対してとる態度の精髄が記事の見出しなのである。そうであるなら、コミュニケーションを効果的に行うための必須の条件は、先例現象が、事実に対する特定の見方を示唆する評価を含んでいるかもしれないということ、出来事に向けた筆者の視角を考えに入れるならしかるべき解釈が可能になる、ということを認識しておくことである。ロシア連邦の新聞は、見出しが直接出来事に関連するような場合、じかに名指しすることをできるだけ避けようとする。そしてこのことは一方では筆者が自分の立場をより正確に表明する助けになっているのだが、他方、外国人にとっては、PIを含めた先例現象がどんどん見出しの素材になるわけで、それだけ複雑さをも増す。メディア・テクストの見出しで使われているPIでいうと、たとえば、スチョーパおじさんとか、プローニン少佐、マザイ爺、ガヴロシ、ミトロファン、フィリーポック、ムム、サヴラスカ、ダンコ、モイドディル、ゴプセク、ヴァニカ・ジューコフなどは、ロシア連邦国民なら文学作品などを通して事実上全員が知っているために、すっかり流布している。ちなみにPIとなったこれらの主人公たちは人気児童文学の登場人物で、両親とか就学前児童施設の養育師たちが子供たちに読んで聞かせるか、小学校の文学カリキュラムで教育されたものである。例外は推理ものの主人公プローニン少佐で、アニメ『便器から覗くプローニン少佐の目』に出てくる流行の言い回しの中でそのイメージがクリシェとして定着した。これは何でもお見通しのKGBが持つ目のパロディーなのだ。PIにはほかにも、アフォーニャとか、ヴェレシャーギン、シュティルリツ、ヂェードチキンなどのように、映画のおかげでわたしたちの意識に焼き付けられたものもある。だがPIがなんといっても一番有名になるのは、文学と映画の二つの出典を同時にもつ場合で、ベゼンチューク、オスタプ・ベンデル、コレイコ、ヴァシュキ(ニュー・ヴァシェキ)、ヴォロナの町、パニコフスキー、シューラ・バラガーノフ、シュミット中尉の子供たち、角と蹄、人食いエロチカ、(郵便配達夫の)ペーチキン、アイボリート、アニースキン、ドゥレマル、雄猫バジリオ、ロビン・フット、ラスコーリニコフ、ソーネチカ・マルメラードヴァ、チーチコフ、フレスタコフ、ミュンフハウゼン、アレクセイ・メレシエフ、ドン・フアン、カサノヴァ、マウグリ、SHKID共和国、シンデレラ、ロビンソン・クルーソ、イリヤ・ムーロメツ、ミクラ・セリヤニノヴィチ、ガリヴァー、おやゆび姫、オブローモフ、シュトリツ、チムール、レフシャ、ドンキホーテ、ロシナンテ、コローボチカ、プリューシキン、パフカ・コルチャーギン、マニーロフ、ハムレット、キバリチシ小僧、プロヒシ小僧、カシュイ、バーバ・ヤガーなどがそれである。このほかにも、カラツューパ、ルイセンコ、ミチューリン、パヴリク・モローゾフ、ツシマ、ホディンカ、クリービン、スタハーノフ、ロモノーソフ、アレクサンドル・マトロソフ、アレクセイ・マレシエフ、イワン・スサーニンなど、ロシア連邦やソ連の科学や歴史、実在人物の伝記事実をもとにできあがった作り話がPIの出典となったものがある。ヘロストラテス、ユダ、バビロン、ペナーテース、トロイ、テルモピュライ、ヘラクレス、シシュフォス、ソロモン、デモステネス、キケロなど、ロシア連邦国民に知られている世界史や神話上の人物たちもPIの主人公として現れる。本論文ではメディア・テクストの見出しにおけるPIの使用を分析して、その局面での先例現象使用の特徴を反映させるような辞書を作ることが不可欠であることを論証し、言語文化学的辞書用の見出し語の事例をあげている。