- 著者
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中村 羊一郎
Yoichiro NAKAMURA
- 出版者
- 静岡産業大学情報学部
- 雑誌
- 静岡産業大学情報学部研究紀要 = Bulletin of Shizuoka Sangyo University
- 巻号頁・発行日
- vol.9, pp.266-225, 2007-01-01
日本列島の太平洋側東北部に位置する陸中海岸には、リアス式の海岸線が織り成す多くの入り江がある。なかでも岩手県下閉伊郡の山田湾には、暖流に乗って回遊するイルカがしばしば「浦入り」をしてきた。湾に面した大浦集落では、これを網で囲って海岸にまで追い込んで捕獲する、イルカ追い込み漁が近世の早い時期から行なわれており、この種の漁法としては日本の最北端での実施例に位置づけられる。村内外の出資者が金本、村内の有力者が瀬主(網元)となり、集落全戸が参加して行なう大規模な漁であり、時には一度に数千頭の漁獲があった。盛岡藩には、年間五貫文の礼銭を納入して漁の権利を確保したが、藩も新規参入者を認めず村方を支持して漁を継続させた。漁の収益は全戸に配布され、公共の用途にも使用された。明治以降、岩手県の水産行政ではイルカ漁は坪外に置かれたため、漁は慣例に従って続けられていたが、いわゆる旧漁業法が施行されてイルカ漁の位置づけも明確になり、正規の漁業権が確立した。本稿では、この過程を史料に基づいて跡づけるとともに、村落をあげての集団漁労活動の意義と、漁民のイルカ観を考える。なお、大浦におけるイルカ漁は、大正期に入ってからは数回の捕獲記録を残すのみとなり、昭和以降は全く行なわれなくなった。