- 著者
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諫早 勇一
- 出版者
- 同志社大学
- 雑誌
- 言語文化 (ISSN:13441418)
- 巻号頁・発行日
- vol.10, no.1, pp.101-119, 2007-08
亡命プラハのロシア文学は、従来スローニムや雑誌『ロシアの意志』が代表と考えられ、ソヴィエト文学志向や若い世代への期待がその特徴とされてきた。ところが、近年これまで公刊されていなかった文書が発表されるとともに、アルフレッド・ベームと彼が率いる文学サークル〈庵〉の役割が再評価されるようになった。本稿はそうした近年の研究を踏まえて、ベームと〈庵〉の活動をロシア亡命文学のコンテクストのなかで捉えなおそうとしたものである。19世紀ロシア文学、とくにドストエフスキイの専門家として知られるベームは、プラハ移住後若い詩人たちの指導者となり、彼らに詩的技巧や言語の大切さを説き、文学の能動的な意義を訴えつづけた。そして、1930年代になっても依然としてソヴィエト文学の優位を主張していたスローニムに対しては、亡命文学が着実な成果を上げていることを説き、心の内面を素朴に表出する「日記的」な詩をよしとするパリのアダモーヴィチに対しては、形式の重要性を訴える論争を積極的に挑んだ。こうした当時の文学状況を振り返るとき、亡命プラハのロシア文学を支えていたのはベームであり、彼の功績は今後さらに検証されなければならない。