著者
小西 瑞恵
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学学芸学部論集 (ISSN:18807887)
巻号頁・発行日
vol.45, pp.233-246, 2008-01-31

国際港湾都市として知られる長崎は、1580年(天正8)から1587年(天正15)まで、イエズス会が支配する教会領の自治都市であった。この自治都市長崎の歴史については、1970年代に始まる安野眞幸氏の詳細な研究があるが、都市史研究者でさえ、それを熟知しているとはいえない。また、その歴史的位置についても、都市史の上で共通の理解が成立しているとはいえない。その理由は、最近の都市論がヨーロッパの自治都市と日本の自治都市との比較研究を軽視する傾向があるためである。しかし、私は16世紀から17世紀にいたる日本の歴史を考える上で、教会領長崎の検討が重要であると考える。15世紀から17世紀半ばにいたる大航海時代についても、従来のようなヨーロッパ中心の史観ではなく、アジアを主体として考えるという新しい研究動向をうけて、あらためて自治都市長崎を検討することが必要になっている。ここで安野氏の研究を中心に研究史をふりかえり、自治都市長崎の歴史と歴史的位置を検討した。その結果、自治都市長崎が安野氏や網野善彦氏が述べているように、同時代の堺や伊勢大湊と同じ公界である事実を確認し、詳細な比較検討が可能であることを例証した。たとえば、自治都市長崎の自治組織は10人前後の頭人たちが構成する「頭人中」「惣中」であったが、これは堺の会合衆が10人であったことと一致する。また、港湾の管理運営についても、長崎では大湊と同様、公界によって行われていたと推測した。このような比較検討を、さらに進める必要がある。教会領長崎の信仰・宗教の中心は、氏神神宮寺のイエズス会による破壊によってキリスト教(教会)になるが、権力による破壊と弾圧を経て、江戸時代には氏神としての諏訪神社の再建と回帰(長崎おくんち)にいたることも述べた。

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