著者
高瀬 英彦
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学学芸学部論集 (ISSN:18807887)
巻号頁・発行日
vol.45, pp.247-255, 2008-01-31

十数年前、セーヌ川沿いのコンシェルジュリーのマリー・アントワネットの独房で、「ギロチン」とマリー・アントワネットが処刑前に書いた妹宛の「手紙」を見た.「マリー・アントワネットの遺言書」といわれているものだ.涙でにじんだ文字が痛々しかった.フランス革命という歴史を実感しつつ、歴史の残酷さに胸が痛くなったことを思い出す.その後、「ギロチンと手紙」はどこかへ消えた.リアルすぎて、一般の目に触れぬよう資料館に移され、保存されたようだ. 今年、ラファイエット百貨店近くの「贖罪礼拝堂」を訪れた際、その手紙が、コピーされて残っていた.そのコピーが手に入ったので記録のため、ここに再録して保存しておきたい. 手紙を読むと歴史上の女王というより、残してゆく子供たちを気遣う母親そのものの姿だ.歴史上の出来事、人物像については様々な観点から様々な見方がなされる.マリー・アントワネットについても同じで.彼女の生き方に同情もあれば非難もある.以下、本文では1)マダム・エリザベットに宛てたマリー・アントワネットの最後の手紙 (1)日本語訳 (2)直筆の手紙2)マリー・アントワネットの誕生から結婚までの概略3)国家財政の逼迫4)オーストリアへの亡命失敗と処刑の順で記録した.
著者
小西 瑞恵
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学学芸学部論集 (ISSN:18807887)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.19-33, 2007-03-20

大阪中津にある南蛮文化館(北村芳郎館長)には、美しい黄金の十字架が保存されている。この十字架は、北村芳郎館長の解説によると、1951年に長崎県南有馬町(南島原市)の原城本丸跡から発見されたが、実は天正の遣欧少年使節がローマ教皇から託されて日本に持ち帰り、キリシタン大名有馬晴信(プロタジオ)に贈ったものであるという。この黄金の十字架について、最初に、これまで不明であった十字架発見の状況(発見者や発見場所)を初めて明らかにした。次に、文献史料(原文はイタリア語)により、これは十字架の形をした聖遺物入れであり、有馬晴信の遺品であることを確認した。天正遣欧使節については、織田信長が狩野永徳に描かせて託したローマ教皇への贈物(安土城の屏風絵)が探し求められているが、この十字架は使節が日本に持ち帰った教皇からの贈物である。なぜ島原の乱の舞台となった原城跡に、有馬晴信の遺品が埋もれていたかという問題については、同じく晴信の遺品である山梨県甲州市大和町栖雲寺蔵「伝虚空蔵菩薩画像」(最近、泉武夫氏により元末14世紀の景教聖像であることが実証された)について述べ、キリシタン大名として刑死した晴信の側近くにいた者が、島原の乱の際に原城跡で殉教したのであろうと推論した。
著者
小西 瑞恵
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学学芸学部論集 (ISSN:18807887)
巻号頁・発行日
vol.47, pp.45-55, 2010-01-29

本稿は日本の中世社会で都市の女性たちがどう暮らし、どう働いていたのかという問題を、古文書・狂言・職人歌合などを通じて明らかにしようとしたものである。戦後発達してきた日本の女性史研究は、今やジェンダー研究の段階に到達しているため、ジェンダー(社会的性別)のありかたに目標をしぼって問題を検討し、近世・近代社会への見通しをも試みた。第一章では、職人歌合を取り上げて、『七十一番職人歌合』を中心に検討し、142人の職人のうち、34人(35人)を占める女性職人の活躍は社会の実態を示しており、女性職人は職種を限定されるが、特定の業種ではむしろ独占的に営業していたことを明らかにした。第二章では、中世ヨーロッパの女性職人・商人について検討し、阿部謹也やエーリカ・ウイツ、レジーヌ・ペルヌーらの仕事に依りつつ、その活躍の実態と社会的地位の変化について考察した。第三章では、日本の女性の社会的地位の変化について検討し、女性の活躍が乏しかったとされている近世社会についても、近年の女性史研究の新しい成果により、さまざまな場で自立した女性の活躍が見られることを述べた。中世・近世から近代をつなぐ新しい女性史の構築が今必要とされているのである。
著者
小西 瑞恵
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学学芸学部論集 (ISSN:18807887)
巻号頁・発行日
vol.46, pp.177-188, 2009-01-31

ここで取り上げるのは、日本の16世紀から17世紀におけるキリスト教徒の女性たちで、彼女らがどのような社会状況におかれ、どのように人生を全うしたのかという歴史的事実を検討することが本稿の目的である。畿内とその周辺地域を中心に、都市のキリシタン女性の実像を検討した。一例は堺の日比屋了桂の娘モニカであり、もう一例は明智光秀の娘玉(細川ガラシャ)である。日比屋モニカは貿易商人・豪商で堺のキリシタンの中心人物である父了桂のもとで育った敬虔なキリシタンであったが、その婚約は彼女の意に染まぬものであったため、宣教師に相談して結婚を拒否しようとした。彼女の結婚と死は、都市堺で精一杯意志的に生きようとしたキリシタン女性の生涯の実例である。また、細川ガラシャは明智光秀の娘玉で、細川忠興夫人である。彼女が謀反人の娘として社会的に孤立するなかでキリスト教に帰依するまでのいきさつを、従来の説のように高山右近の影響から考えるだけではなく、侍女清原マリアとの強い結びつきから明らかにした。彼女が死ぬまでの劇的な生涯は、当時の日本社会で自立的に生きぬこうとした女性の典型的な例である。最近の研究により、ガラシャがヨーロッパにまで聞こえた有名な存在であったという事実についても述べた。
著者
太田 蓉子 村田 仁代 北尾 和信
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学学芸学部論集 (ISSN:18807887)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.81-108, 2007-03-20

この度神戸ファッション美術館との学館協働事業の一環として、18世紀初期・ロココ初期の宮廷衣装ローブ・ヴォラントを借用することができた。実物を手に取って間近に観察し測定する機会を得て、このローブの再現を目指す復元品の製作を試みた。 本研究は、ローブ・ヴォラントの復元製作をもとにして、ローブの形状と構造および縫製の仕方を明らかにしたものである。さらに、「ロココの華」と言われるローブ・ア・ラ・フランセーズへと形状が移行する過程、および当時の服作りに対する考え方や衣服製作の技術を方法を探ることを目的としている。
著者
長谷川 伸三
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学学芸学部論集 (ISSN:18807887)
巻号頁・発行日
no.43, pp.51-70, 2006-03

京都豊年踊りとは、天保10年(1839)3、4月京都市中におこった熱狂的な踊り現象をさす。本稿では、この豊年踊りの絵画資料を概括し、その伝播過程や絵画の共通性や特異性を検討する。まず木版刷りの史料を検討した。京都で発行された一枚刷り「豊熟都大踊」「みやこおどり 鈴なるこの神徳」(大阪府立中之島図書館)や木版本『町々吉兆都繁栄』(早稲田大学附属図書館)は、この踊りの情報を各地へ伝える役割をはたした。たとえば後者は、『天保雑記』(国立公文書館内閣文庫)や『藤岡屋日記』(東京都公文書館)にそのまま書写されている。次に図巻・屏風の資料を検討した。図巻としては、「蝶々踊図巻」(大阪歴史博物館)と「天保十年豊年踊図巻」(チェスター・ビーティ・ライブラリー、アイルランド共和国ダブリン市)が双璧をなす。また「天保踊図屏風」(京都市歴史資料館)について、写真をかかげ、関連史料と合わせて紹介した。最後に冊子のさし絵を検討した。なかでも「天保視聴記事」(愛知県西尾市立図書館岩瀬文庫)のさし絵は図巻に匹敵し、『天保踊之記』(愛知県大洲市立図書館矢野玄道文庫)は、踊りに使われた衣装や提灯・手燭を図入りで説明している。これらの資料は、文字資料(文書・記録)とあわせて、豊年踊りの実状を詳細に明らかにするであろう。
著者
北村 英子
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学学芸学部論集 (ISSN:18807887)
巻号頁・発行日
no.43, pp.252-245, 2006-03

萬葉集はいうまでもなく、和歌がすべて漢字で記載されたものである。それらの和歌、一首一首中に同じ漢字が二回以上用いられ、それぞれに異なる訓み方をしているものを抽出して、記載者の記載意識や表記法等を研究しているが、本稿においては巻十六および巻十九について追究した。 巻十六(十六・3786)=(去(サラ)・去(ユケル))・(十六・3791)=(緑子(ミドリコ)・若子(ミヅコ)・童子(ワラハ)・子(コ))・(十六・3791)=(衣(ギヌ)・衣(コロモ))・(十六・3791)=(童兒(ワラハ)・兒(コ))・ (十六・3791)=(飛鳥(トブトリ)・飛鳥(アスカ)・飛(トビ))・(十六・3791)=(禁(イミ)・禁(イサメ))(十六・3859)=(頃者(コノゴロ)・者(ハ))(十六・3885)=(生取(イケドリ)・生(サク))・(十六・3886)=(明久(アキラケク)・明日(アス))・(十六・3885)=(今日ゞゞ(ケフケフ)・日(ヒ)・今日(ケフ)・明日(アス)) 巻十九(十九・4156)=(年(トシ)・年魚兒(アユコ))・(十九・4211)=(壮子(ヲトコ)・壮(サカリ))・(十九・4211)=(嬬(ツマ)・媙嬬(ヲトメ))・(十九・4211)=(惜(アタラシキ)・惜(ヲシキ))・(十九・4214)=(何如(ナニ)・如久(ゴトク)・如(ゴトク))・(十九・4245)=(國(クニ)・國家(ミカド))・(十九・4254)=(天(アマ)・天(アメ))・(十九・4254)=(見(メシ)・見(ミ)) 以上、巻十六および巻十九について、右の漢字を抽出して研究したものである。
著者
小西 瑞恵
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学学芸学部論集 (ISSN:18807887)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.37-49, 2006-03-08

本稿は、昨年上梓された五島邦治『京都 町共同体成立史の研究』、永島福太郎『中世畿内における都市の発達』の二著を得て、中世都市共同体についての二、三の問題を取り上げ、検討したものである。その問題の一は、中世都市民の成立についてである。平安京成立後の京都の都市民は、林屋辰三郎氏によれば「京戸」であり、それが「京童」になり、「町衆」に進化するとされていたが、五島説は初期の都市民をさす特定のことばは成立しなかったとし、摂関時代の都市民の実態を都市型官人と、より身分の低い大工・瓦師などの都市民から成り、検非違使の麾下にある保刀禰とよばれる人々が下級官人として指導的役割を果たしていたとした。この説について、戸田芳実説と網野善彦説とを比較して、その関連性と問題点を指摘した。次に、保の成立と下級官人としての保刀禰という問題を取り上げ、戸田芳実氏が明らかにした新しい町と保の出現を例にして、拙稿「中世都市の保について」(2001年)でも論じた都市住民が主体となった成立過程について再確認した。京都郊外の大山崎上下十一保や宇治の番保についても同様である。最後に、永島福太郎氏が紹介した堺についての新史料である元亨3年(1323)7月の「堺御庄上下村目録帳」(海竜王寺文書)を実際に検討し、これが摂津堺北荘のものであるという永島説を確認し、その歴史的意味について論じた。
著者
高橋 晴子
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学学芸学部論集 (ISSN:18807887)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.173-189, 2007-03-20

本稿は、現在、作成しようとしている身装電子年表に関する論文の最終稿である。本年表は、近代の日本を対象とした画像を含む電子年表であり、最終的にはWeb上での公開を目的としている。この年表の特色のひとつは、記載事項の選択基準をはっきりと謳っていることである。その選択基準とは、1)同時代の身装イメージの忠実な再現に役立つような内容(おもに画像によって示される)、2)80年間の身装の変容のステップを具体的に示すような内容、ということである。 本稿の目的は、上記の選択基準を前提として、同時代資料より年表記載事項を選択していくために必要な<重要テーマ>について論議し、<重要テーマ>を確定することである。最終的に33の重要テーマを抽出したが、その抽出方法は、身装をなり立たせている主たる要因を物的要因と社会的要因にわけて列挙し、それぞれの内容を時系列に添って分析するという方法を用いた。抽出した33の重要テーマは「身装の社会的評価」、「衣服改良・改良服」、「衛生、健康観」、「身体観」、「着装」、「衣服の構造、制作技術」、「素材」、「子供服、通学(服)」、「(和洋)アンダーウェア」、「フォーマルウェア」、「女性の和装一般」、「男性の和装一般」、「学生、女学生」、「装飾一般」、「副装品一般」、「男女の髪型一般」、「束髪」、「化粧一般」、「美容業、美容師」、「道路、街」、「照明」などである。
著者
小西 瑞恵
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学学芸学部論集 (ISSN:18807887)
巻号頁・発行日
vol.45, pp.233-246, 2008-01-31

国際港湾都市として知られる長崎は、1580年(天正8)から1587年(天正15)まで、イエズス会が支配する教会領の自治都市であった。この自治都市長崎の歴史については、1970年代に始まる安野眞幸氏の詳細な研究があるが、都市史研究者でさえ、それを熟知しているとはいえない。また、その歴史的位置についても、都市史の上で共通の理解が成立しているとはいえない。その理由は、最近の都市論がヨーロッパの自治都市と日本の自治都市との比較研究を軽視する傾向があるためである。しかし、私は16世紀から17世紀にいたる日本の歴史を考える上で、教会領長崎の検討が重要であると考える。15世紀から17世紀半ばにいたる大航海時代についても、従来のようなヨーロッパ中心の史観ではなく、アジアを主体として考えるという新しい研究動向をうけて、あらためて自治都市長崎を検討することが必要になっている。ここで安野氏の研究を中心に研究史をふりかえり、自治都市長崎の歴史と歴史的位置を検討した。その結果、自治都市長崎が安野氏や網野善彦氏が述べているように、同時代の堺や伊勢大湊と同じ公界である事実を確認し、詳細な比較検討が可能であることを例証した。たとえば、自治都市長崎の自治組織は10人前後の頭人たちが構成する「頭人中」「惣中」であったが、これは堺の会合衆が10人であったことと一致する。また、港湾の管理運営についても、長崎では大湊と同様、公界によって行われていたと推測した。このような比較検討を、さらに進める必要がある。教会領長崎の信仰・宗教の中心は、氏神神宮寺のイエズス会による破壊によってキリスト教(教会)になるが、権力による破壊と弾圧を経て、江戸時代には氏神としての諏訪神社の再建と回帰(長崎おくんち)にいたることも述べた。
著者
一棟 宏子 萩原 美智子 中野 迪代 若井 希水子
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学学芸学部論集 (ISSN:18807887)
巻号頁・発行日
no.43, pp.163-170, 2006-03

住宅性能表示制度は、消費者が住宅取得に際し合理的な選択の目安をつくる目的でH12年に実地された。今日まで評価住宅の実績は増えているが、H16年は新築住宅全体の13.7%、当初の目標を下回り低調である。業態による実績は不明だが、大手ハウスメーカーが積極的に利用する一方、設計事務所・中小工務店の利用が少なく、業態で相当偏りがあると推察される。 当初から問題点が指摘されてきたが、制度が発足した以上、消費者に役立つ有効なツールとなることが望まれる。それには全ての業態に公平な選択の機会が与えられることが大切であり、その観点から、本研究は制度の利用状況を再検討する。 今回は研究対象を戸建て住宅に限定、最も利用が少ないと思われる注文住宅建設に係わる設計事務所調査と関係者へのヒアリングとアンケート調査を行い、制度の普及が進まない要因を検討した。それらに基づき、消費者が制度を利用し適切な住宅選択を行う過程で設計事務所が担う役割について考察した。調査期間は2004年12月から2005年3月であった。 (1)型式認定を利用する量産住宅ではコスト・業務量が抑えられ、多く利用されている。(2)設計事務所の利用は少ない。施主との接触が多く、信頼関係を築けるので安心確保の費用対効果としてはメリットが少ないと敬遠している。(3)コストと申請手続きの負担感が大きい。(4)任意制度を肯定する率が高い。(5)制度の限界・問題点を含めて公正でわかりやすい情報提供が不足、消費者が主体的に判断し難い。(6)制度利用に消極的な事務所も多く、業者への情報も不足している。 制度の改善には、性能項目の個別選択システムを構築し、検査や申請書類の業務量をスリム化して、適切な価格で利用できる方法を確立すべきである。さらに、建築士が本制度の利点を認識し、専門家として建築主に本制度を的確にアドバイスできるよう情報面からの支援体制を整備することが必要であろう。
著者
伊豆原 月絵 高木 麻里 澁谷 摩耶 齋藤 久美子 百武 真友美
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学学芸学部論集 (ISSN:18807887)
巻号頁・発行日
vol.47, pp.85-94, 2010-01-29

大阪樟蔭女子大学と神戸ファッション美術館の学館協働事業として、神戸ファッション美術館の収蔵品について、平成19年度より18世紀のフランス宮廷衣装のドレスの織物・刺繍・装飾・縫製の復元を行っている。復元研究の最終目的は、第一次資料を基に、美意識を支えた縫製・構成技術、ドレスのフォルムから身体のフォルムを、また、染織の色彩と紋様から意匠や象徴性などを解明することで、往時の求められていた美意識を明らかにすることである。復元研究では、19世紀末以前の衣装を対象とする服飾美学、服装史、構成学の既往研究のほとんどが、美術館、博物館の展示ボディに着装されたドレス表面の計測結果や図像資料から、また、欧米の文献を基にパターン(構成図)作成を試み、復元製作をしているのが実情である。なぜなら、現存する歴史衣装は少なく、華やかなるロココ時代の宮廷衣裳にいたっては、日本のみならず世界でも数十点に満たない。したがって、第一次資料を基にした復元研究は、少ないのが現状である。このようなことを鑑み本論文では、復元製作において、最も重要な情報収集として、18世紀のドレスの文献調査に併せて、保存状態の優れた神戸ファッション美術館所蔵の18世紀に製作された女子のフランス宮廷衣裳を第一資料とし、計測調査(1着のドレスの計測した箇所は、10,000箇所以上)とその記録方法に重きを置き、第二次資料作成の方法について述べた。
著者
日比野 英子 萩尾 藤江 タミー 木村 楠本 健司
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学学芸学部論集 (ISSN:18807887)
巻号頁・発行日
vol.47, pp.105-117, 2010-01-29

本研究では、唇裂口蓋裂の女性のよりよい社会適応を目標としたプロジェクトの先駆けとなる、実践的活動の検討を行う。医師・臨床心理士・メーキャッパ-からなる治療チームを編成し、対象者に個別的な化粧施術と化粧指導を行ったが、その前後に、自分の顔・医療・化粧に関する質問紙および面接による調査を行った。その結果、対象者は医療や形成手術に満足していると表明したものの、顔の疾患部位である鼻と唇が気になっている人が多く、化粧については抵抗感があることが見いだされた。化粧意識に関しては、本チームでの化粧施術を体験する前は、化粧の否定的・消極的な対人的効果を語る人が多く、体験後は、肯定的かつ積極的な対自己効果を挙げる人が多かった。このような意識の変化から、この体験が、化粧への抵抗感を弱めて、化粧を通して自身の顔と向きあい、積極的に自分の顔を受容していく契機となりうる可能性が示唆された。また、化粧された新しい顔を他者に示すことが、より健康的なペルソナの構築にも役立つ可能性があると考えられ、対象者の社会生活がより適応的なものになり得るものと考察される。
著者
武田 雅子
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学学芸学部論集 (ISSN:18807887)
巻号頁・発行日
vol.47, pp.31-43, 2010-01-29

「詩はその言語の精髄」と言われる。英語を習ったからには、英語の詩を味わうようになりたいものだが、しばしば「詩は難しい、ましてや英詩なんか」という反応に出会う。これは実にもったいない。英詩は英語の特徴の詰まった宝箱のようなものだから。しかし、難しいという反応があるからには、これを解きほぐさないといけないだろう。それは、毎年詩の授業を担当してきたので、常に課題としてきたことだった。授業は最初1年の通年ものであったが、今では、半期ものとなっている。そこで、年に2回、英詩の全くの入門から始まって、何とか個々の作品に出会うというところまでもっていくという作業をしていることになる。毎年そのためにプリントを作成し、それに改正を加えているのだが、それを形にしようと、「大阪樟蔭女子大学論集第44号」に、概要をまとめた。次に実際の執筆に入ろうとすると、「詩とは何か」の書き出しはなかなか困難で、ためらっているうちに、別のプロジェクトにかかっていてそれを掲載したこともあり、2年が経ってしまった。このたび、根本問題は、他から攻めていくことにして、まず詩形について取り上げることにした。リマリック、ハイク、ソネット、コンクリート・ポエム、自由詩を例となる詩と共に取り上げた。
著者
塚口 眞佐子
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学学芸学部論集 (ISSN:18807887)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.137-149, 2007-03-20

デザイン史を観るに1860年代から1930年代までの70年間とそれ以降の70年間を比較した場合、前者がいかに劇的な展開を果たしたか驚くばかりである。歴史様式の混乱状態からモダンデザインへの胎動期、そして誕生、成長まですべてを包含している。それだけに関係が複雑に交差し、過去の様式史とは異なる多元的な理解が必要となる。また、担い手もこれまでとは異なり、勃興する中流階級がデザインの潮流を支えた点も注目に値する。本稿ではこの期間のうち19世紀のデザインをリードした英国のヴィクトリアン期、中でも中流階級のインテリアに照準を当て、様相の背景を探ることで、デザイン史が展開した必然性に迫り解明することをねらいとしている。 建築やインテリアは社会状況や時代精神、生活意識の反映である。デザインのあり方にはこれらの理解が欠かせない。第1章では、モダンデザインの胎動期となったヴィクトリアン期のインテリアの概観とともに、時代精神、特に階級意識とジェンダーをからめてこの様相に迫ってみる。第2章では、装飾品の実態を詳述することで、装飾品に仮託された生活意識を浮かび上がらせる。第3章では、第1章と第2章で明らかにした過剰な装飾の様相から発生した改革運動とその展開を取り上げる。ここではモダンデザインへの移行に大きな役割を果たした日本の影響を軸に述べている。いずれの章も具体的事項を語ることで全体像を浮かび上がらせたいと考える。
著者
柏野 健次
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学学芸学部論集 (ISSN:18807887)
巻号頁・発行日
no.47, pp.19-30, 2010-01

本稿では、英語の(準)助動詞を題材にモダリティ論を展開していく。まず、第1節ではモダリティ研究の基本問題として「助動詞は単義か多義か」という問題を検討する。筆者の立場は、「理論的には単義説のほうがネイティブ・スピーカーの直観を反映しているが、英語教育の観点からは多義説の持つ意義も見逃すことはできない」というものである。次に第2節では、have to とmight as well を例にとり、擬似法助動詞と認識的モダリティの発達について論を進める。have to が認識モダリティを表すということは周知のことであるが、その日本における認知の歴史を振り返る。一方、might as well がWhen we went to the seasideon our summer holidays, it was so cold it might as well have been winter. にみられるように、認識モダリティを表し、as if に近い意味で用いられるという事実はあまり知られていないように思われる。第3節では、if 節に現れるwillを取り上げ、認識的モダリティの客観化の問題に挑む。ここでは、Leech (2004)の考えを手がかりに、「誰(話し手か聞き手か)のいつの時点での予測判断か」をベースに据え、If you'll be alone at the New Year, just let us know about it. の文もIf I will be late, I will call you. の文も統一的に説明できる意味論的な論拠を提出する。
著者
堀 裕
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学学芸学部論集 (ISSN:18807887)
巻号頁・発行日
vol.47, pp.232-226, 2010-01-29

大阪樟蔭女子大学による奈良市?城寺の調査の一環として、近現代における?城寺の「縁起」に関わる資料を三点取り上げて紹介する。一つは、一八七九年(明治一二)の『寺院明細張』である。もう一つは、一九七四年(昭和四九)に録音されたと考えられる、先々代の住職故下間松甫氏による、?城寺の解説である。三つ目は、一九八八年(昭和六三)に、?城寺が主体となって境内に設置された?城寺解説板である。これら三点の資料それぞれについて、「縁起」を生成していく過程を示すとともに、各時代ごとの特色があることを示した。とくに、明治期の行政と?城寺による「縁起」をめぐるやりとりや、現代には、下間松甫氏や現在の住職によって、文化財への高い関心をもって新たな「縁起」が生成している点について指摘した。
著者
上田 秀樹 木村 雅浩 村上.ゆき
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学学芸学部論集 (ISSN:18807887)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.115-131, 2006-03-08

本学では、平成14年度から管理栄養士養成施設として、厚生労働省から認可を受けて、食物栄養学科では、その教育・養成のカリキュラムに沿った教育を行っている。管理栄養士養成施設は増加することが予想されており、管理栄養士養成施設の外部評価として、国家試験の合格率が重要視されることが考えられる。以上の観点から、食物栄養学科では、国家試験対策に特化した科目を設け、合格率の向上を図っている。このような状況から、管理栄養士国家試験対策の一環として、各学生の学力や理解力に応じた学習システムの構築が必要であると考えられる。本研究では、学内ネットワーク機器を活用した管理栄養士国家試験対策の学習システムを構築することを目的とする。学生の学習を支援するツールとして学内ネットワークを利用したWebシステム構築に関して、データベースの設計とユーザーインターフェースを検討した。国家試験の過去の問題や模擬試験問題をデータベース化することにおいてはほぼその基本形が定まったと考える。また、ユーザーインターフェースや結果出力についても一定の基準に達していると考える。 今後は、1)利用状況によるサーバーのCPUやメモリー等ハードウェアのパフォーマンスの評価 2)ユーザーインターフェースの評価 3)ASPページ内のコードのデバッグ 4)結果出力様式の検討など、小数のモニターからの評価を元に本システムの最適化を図ってゆきたい。
著者
モーザー ジェイソン
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学学芸学部論集 (ISSN:18807887)
巻号頁・発行日
vol.46, pp.189-201, 2009-01-31

This paper introduces an experimental concept called the production cluster. The production cluster is a unit for measuring language complexity in open-ended pair work tasks. Current task-based studies often rely on units that when applied by the researcher involve breaking down learner production rather than looking at it holistically. The production cluster is a holistic macro-unit comprised of AS-units (Analysis of Speech Unit) that reflects concentrated learner engagement in his/her oral production and learning.
著者
ジェイソン モーザー
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学学芸学部論集 (ISSN:18807887)
巻号頁・発行日
vol.47, pp.191-201, 2010-01-29

In this paper I will discuss learner language complexity in oral tasks and how it has been conceptualized in task-based learning research. One of the key tools for measuring complexity in spoken discourse is the AS-unit (Analysis of Speech Unit). The AS-unit is a main clause and any attached subordinate clauses or sub-clausal units. I will first discuss the problems involved in codifying AS-units in data from communicative pair work tasks. I will demonstrate that subordination is not necessarily characteristic of communicative tasks, nor is it easy to identify in conversation, especially with beginner learners. In response I will argue that measuring learner productivity by words per AS-unit is an effective alternative. I will also demonstrate an AS-unit complexity benchmark based on AS-unit word count, in which units above a certain word count are deemed complex. The rationale for this benchmark will be discussed, and supported with examples from four beginner learners' data.