- 著者
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奥西 元一
- 出版者
- 日本作物学会
- 雑誌
- 日本作物學會紀事 (ISSN:00111848)
- 巻号頁・発行日
- vol.77, no.3, pp.288-298, 2008-07-05
房総半島北部の下総地方で,近世から昭和戦前期までみられた湿田農法について検討した.江戸期の下総地方の湿田では,唐籾とよばれたインド型赤米が広範に摘田(つみた)という湛水直播法により栽培された.栽培された水田は,たいとう土とよばれた黒泥・泥炭土壌の強湿田であった.この強湿田で日本型水稲を移植栽培すると,夏・秋落ちして生育が著しく抑制された.湛水直播栽培は,わずかに広がる土壌表層の酸化的条件を利用した栽培法であり,これに唐籾の草型特性が結びついた.これより湿田の程度がやや軽い下総地方の夏・秋落ち田では,昭和戦前期まで小苗・密植栽培が行われた.小苗・密植栽培は排水不良・生育制御が困難な湿田で穂数を確保するための栽培法であった.土地改良の遅れた下総地方では戦前まで湿田農法が残った.