- 著者
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白石 崇人
- 出版者
- 一般社団法人日本教育学会
- 雑誌
- 教育學研究 (ISSN:03873161)
- 巻号頁・発行日
- vol.75, no.3, pp.263-275, 2008-09-30
本稿の目的は、明治20年代後半(1892〜1896年)における大日本教育会研究組合の成立過程と、その歴史的意義を明らかにすることにある。本論では、当時の高等師範学校存廃問題や教育雑誌における「教育学術研究」の内容、明治25年末から26年における大日本教育会の組織内外の動向を整理し、高師教員を含む教育研究推進派が、研究組合の成立過程で主導権を握ったことを明らかにした。つぎに、嘉納治五郎の大日本教育会改革構想や大日本教育会組合規程を精査し、各研究組合に込められた課題意識を検討した。最後に、研究組合がどのようにこの構想・規程を実現したか、具体的事例を通して検討した。その結果、研究組合の成立は、外国事例の紹介やその斟酌採用に従事しがちだった当時の高師教員に対して、国内の現職教員との研究交流や、日本の実情に合った教授法研究を促すものであったことを明らかにした。