著者
望月 高明
出版者
都城工業高等専門学校
雑誌
都城工業高等専門学校研究報告 (ISSN:0286116X)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.42-31, 2008-01

本稿では前号に引き続いて、楠本碩水の生、わけても退隠後の梅林山荘時代について述べる。読書と講学の両者は、碩水の後半生におけるアルファであり、オメガァであった。そして、本稿では主として「講学」という私塾における講義を中心とする碩水と塾生たちとの共同という象面に焦点を当てて、その後半生を追跡しようとした。棄禄とともに始まった碩水の後半生は、始めから終わりまで貧窮とともにあった。その日常は、名利の生というものとはおよそ縁遠いものであった。そして、そのような清貧の生か、明治という時代に対するアンチテーゼとしての象徴的意味を担っていることを論じた。碩水はまた、私塾における教育の苦心を語っている。その主旨は、今日の学人は「古人の意思気象」を合点していないために、その弊害が少なくないというものである。このことが、碩水の講学において重要な地位を占めていることを指摘して、それが宋学の学問の本質に根差したものであること、更にはその意義について論じた。また、碩水は「塾規」を制定しているが、その中で伝統思想が筋道立った秩序性を失っていよいよ断片的性格を強めていった明治以後においても、依然として孔子・朱子の精神を標榜している。このことは突き詰めていけば、明治時代において朱子学者であることとは、畢竟どういうことかという問いへとわれわれを導く。そして、この問いを解くキー・ワードとして「例外者」という概念に着目した。

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